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旅行の最終日は三内丸山遺跡など青森市内をまわった。
なんとなく遺跡は山の方にあると思っていたが新青森からバスで10分ぐらいの近さで驚いた。
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三内丸山遺跡は縄文時代前期から中期の大規模な集落跡だ。
発掘調査により住居跡、土器、石器、木製品に骨角製品などが見つかった。
さまざまな形式の住居跡のいくつかでは建物が復元されている。
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掘立柱建物。
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大型竪穴住居。長さ10m以上。
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竪穴住居には茅葺き、樹皮葺きのほかに土葺き住居もあったそうだ。
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縄文の家づくり体験というのをやっていた。3ヶ月あまりかけて造るらしい。
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柱の下の方を焦がしてあるのは腐食を防ぐ昔の人の知恵だ。
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これは4.2m間隔で並ぶ6個の大きな穴。
ここから最大径1.03mもあるクリの柱が出土したそうだ。
ここに建てられていたであろう6本の柱は建物だったのか非建物だったのか説が分かれている。
目的や用途も祭殿など宗教施設、物見やぐら、見張り台、天文や季節の基準を知る施設などと見方が分かれる。
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大型掘立柱建物
青森県では建物説にたって県内のクリの幹高を参考に高さ約15mで3層床の建物を復元した。
屋根は構造や材料について検討不足ということを理由に復元しなかったようだ。
この後バスで 棟方志功記念館 を訪ねて たくさんの板画を鑑賞した。
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つぎに行ったのは青森県立郷土館。
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青森県の考古、自然、歴史、民俗、りんご、先人などの展示や児童生徒や一般むけのイベントが用意されている。
つがる市に三内丸山より後の縄文時代晩期のものとされる亀ヶ岡石器時代遺跡がある。
江戸時代から多くの土器などが勝手に発掘され亀ヶ岡物として人気があったらしい。
その後、明治と昭和から正式な調査と発掘が行われ土器、石器、木製品、漆器などが出土した。
北海道から東北南部にわたる広大な範囲で同質の文化が営まれたようで亀ヶ岡文化と呼ばれる。
この土偶は遮光器土偶と呼ばれる様式で女性の目の部分がイヌイットが雪中で着用する遮光器のような形をしている。
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最後に青森港、青森駅方面まで歩きベイブリッジを渡って八甲田丸を見てきた。
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1908年(明治41年)から1988年(昭和63年)まで青森と函館の間を結んだ青函連絡船。
旅客と鉄道車両を載せて津軽海峡を渡った。
八甲田丸は1964年8月に就航し1988年3月13日下り7便、青森側最終便として運航終了した。
今はメモリアルシップとして青森港に係留されている。
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青函連絡船というと思い浮かべるのは「津軽海峡冬景色」。
この碑の前に立つと石川さゆりの歌声が流れてくる。
4日間、さまざまな青森を見ることが出来て楽しかった。
長い旅行記をお読みいただきありがとうございました。