横浜のほほん

横浜のはずれで、のほほんと暮らす男の見聞、考察、感想をつれづれに記す

弘前

2012-09-11 07:02:31 | 旅行



先週、大人の休日倶楽部パスを利用して青森県を観光してきた。
弘前、白神山地・暗門の滝、下北半島そして青森市内の3泊4日だった。






弘前駅前で昼食をとってリンゴの木に青い実がなっているのを見た後、
翌日に行く白神山地行きのバス乗り場と時刻を確認し歩きはじめたら雨が降ってきた。






傘も役に立たないと思える土砂降りが1時間も続いた。

その雨宿り中の出来事。
右手から黄色いTシャツの若い女性がバッグを抱えて傘もささず濡れながら足早に通りすぎた。
しばらくすると同じ格好で左手から大急ぎで戻ってきた。
このとき先の方で何かを落としたような気がすると妻が言うが遠くの方でよく見えない。
するとまた目の前を走って信号を渡っていった。
気になった妻が右手の先の方へ確認に行くとバイクのキーが落ちていた。
さらにその先を曲がったところに駐輪場があった。

推理・・・。  雨の中をバイクでやってきた女性はスーパーに何かの用事があった。
用事が済んで帰ろうと駐輪場に向かった。
キーがないのに気づきどこかに置き忘れていないか探しに、あるいはキー紛失の善後策のためにスーパーに戻った。

さてどうしたものか名案がないまま雨宿りをしていると、
信号を渡ってくる黄色いTシャツの女性が見えた。歩いて帰るためか今回は傘を持っている。
しかし足取りが遅く、いかにもしょんぼりしている。
妻がキーを見せて落としませんでしたかと声をかけると表情がパーッと明るくなった。
ありがとうございましたと言ってスーパーのほうへ戻って行った。







やや小雨になったので弘前城近くの津軽藩ねぷた村へ行った。







有名な青森市は「ねぶた」、対して弘前では「ねぷた」と呼ぶ。







弘前のねぷたには「扇ねぷた」と「組ねぷた」があり、8月初めに80台もの山車が市内を練り歩くらしい。







青森ねぶたは凱旋ねぶたとも言われて大きな山車のまわりをハネトが乱舞するのが特徴だが、
弘前ねぷたは笛太鼓が響き渡る中を山車がゆっくりと引かれる華麗なまつりで出陣ねぷたとも言われるそうだ。
漁師町と城下町の気質の違いもあるのだろう。







津軽三味線演奏のサービスがあった。
テレビなどでよく見かける「叩き三味線」ではなく「弾き三味線」の演奏に魅了された。







ねぷた村からそう遠くないあたりに「伝統建造物保存地区」がある。

この旧岩田家は寛政時代後期から文化年間に建てられたものと推定される武家屋敷だ。
ほかに藩医居宅の旧伊東家、武家屋敷の旧梅田家も近くにあるが休館日だった。







大きな建物の石場家は、わら工品や荒物を扱っていた商家だったが、今は酒や煙草を扱っている。
道路の方へ庇を張り出して「こみせ」という津軽地方独特のアーケードを作っている。







石場家から道路を挟んだ所に弘前城の亀甲門がある。
弘前城は桜の時期に大変賑わうところだ。







お堀には水鳥がいた。
オシドリのエクリプスのようだ。







弘前城と堀端を歩いて追手門広場まで来ると旧弘前市立図書館があった。
明治39年に東奥義塾の構内に建設されたものが移築され喫茶店などになっていたが、
平成2年に市制100周年を記念して現在地に修復・復元された。

すぐ近くに現在の弘前市立図書館があり、その一部が弘前市立郷土文学館になっている。
石坂洋次郎、佐藤紅緑、葛西善蔵、太宰治ら弘前出身または縁の深い作家10人の関係資料が常設展示されている。
また弘前市生誕と言われる寺山修二の企画展もやっていた。







追手門広場にはミニチュア建造物群もあった。
弘前市に存在していた文化財指定の洋館などの歴史的建造物を10分の1の大きさで再現したミニチュアだ。
角み(かくみ)呉服店、旧青森市役所、旧弘前偕行社など14棟が並んでいた。







青森銀行記念館のように現存する建物でミニチュアになっているものもある。
青森銀行記念館は明治37年に旧代五十九銀行本店として建てられた洋館だ。


今回は半日だけの観光となったが弘前市は見どころの多いところだ。