横浜のほほん

横浜のはずれで、のほほんと暮らす男の見聞、考察、感想をつれづれに記す

哀悼

2014-11-18 17:31:30 | あれこれ


高倉健さんが亡くなった。
数々の名作に主演されているが私が思い出すのは「幸福の黄色いハンカチ」。
2003年に札幌から富良野までサイクリングしたときに夕張のロケ地に立ち寄った。
光枝の待つ家あたりには誰ひとりいなかったが、これからは訪れる人も増えるだろう。

ご冥福を祈ります。



旧中川から向島へ

2009-01-27 09:07:07 | あれこれ

亀戸天神を出て北十間川沿いをしばらく歩くと旧中川に着いた。
もともと中川の一部であったが荒川放水路の開削で分断され、
今は荒川から分岐し荒川に合流する6.7kmほどを旧中川と呼んでいる。
うねうねと蛇行していて昔の流れがしのばれる。
通常は水門を閉鎖して静水としているらしい。


少し上流へ歩くと大正民家園というのがあった。


大正六年(1917)に建てられた旧小山家住宅で、
江戸時代からの農家と近代の町屋の両方の性格を持った都市近郊住宅の構造を保存している。
関東大震災や東京大空襲にも被害を免れて、平成10年に墨田区に寄贈された。
大正時代の民家が保存されているのは珍しいのではないだろうか。


残念ながらイベントが行われているようで室内を見学することはできなかった。
庭には七福神の石像があちこちに配置されていて四季の花も楽しめそうになっている。

最初の写真に煙突が見えたので、その方向へ行ってみると銭湯が残っていた。




そのあと東武亀戸線に乗って向島百花園にも行ってみた。


亀戸天神では梅の花が少し早かったが、こちらでは早咲きの何本かが見ごろだった。


これは紅冬至(こうとうじ)と呼ぶ品種だが、その他の品種名を書きとどめることはしなかった。




着陸できない場合

2009-01-16 08:54:02 | あれこれ

きのう孫を見送りに羽田まで行った。
ところが手続きをして搭乗口まで行ってみると、旭川空港の条件が悪く
着陸できない場合は羽田へ引返すか札幌千歳空港へ向かうこともあるという。
どの航空会社も子供の一人旅をサポートしてくれるので大変便利なのだが、
このような場合はかなり問題だ。

万一の時羽田へ引き返すことがはっきりしていれば見送り出迎えがそれぞれ待機すればよいが、
別の空港に着陸した場合は大変困る。
もちろん空港で預かるなどサポートしてくれるとは思うが、
保護者が陸路で出迎えに急がなければならない
旭川空港から千歳空港までは相当な距離がある。




JALや息子たちと相談の結果、出発を1日延ばすことにした。

今回は事前に予想されたので念のための対応をしたが、
出発後になんらかのトラブルで変更になった場合はかなり慌てなければならない。
見送り人、出迎え人の連絡先は携帯電話の番号にすることは最低限必要なようだ。

なお予定していた便は25分遅れぐらいで到着したらしい。



鉄道博物館とテピア

2009-01-14 07:17:46 | あれこれ

先日、大宮の鉄道博物館へ行ってみた。
秋葉原にあった交通博物館よりずっと規模が大きくなっている。


ヒストリーゾーンでは蒸気機関車、電気機関車、特急、新幹線に車両の変遷など、
日本の鉄道の歴史を知ることのできる実物がたくさん展示されている。


ラーニングゾーンでは汽車や電車の動く仕組みを体験しながら勉強できる。


大きなジオラマでは始発から終電まで、在来線から新幹線まで、いろんな模型電車が走り回る。


ほかに何種類かの電車の運転シミュレータや、
屋外を速度制限や信号待ちを経験しながら運転することのできるミニ運転列車もあったが、
休日で混んでいたので体験しなかった。


地下鉄外苑前駅から国立競技場に向かう途中のテピアにも立ち寄った。
テピアとは先端技術館のことで前からあったが、昨年から展示方法が変わった。
先端技術の主要技術分野を選定して最新の製品やサービス、技術やシステムを展示している。
くらしとコミュニケーション、健康と医療、都市とモビリティ、
環境とエネルギー・資源、マテリアルとデバイスの5つの領域に分けて紹介されている。


子供向けにはドライブシミュレータとかロボットなどが興味を引くようだ。


このOKAOキャッチというのは画像の中から人の顔を見つけ出しカメラで追跡する。
たしかデジカメにも同じような技術が応用されているものがある。

テピアは都心にあり無料なので科学技術に興味のある人には穴場だ。


ニラ

2008-09-21 06:04:55 | あれこれ

ニラ(ユリ科)
近所では自生なのか栽培されていたのが逃げだしたのか、
あちこちでニラの花が咲いている。


多少の臭いはあるが花がきれいで食べても美味しく栄養がある。
我々年寄もそのように見てもらえれば満足だ。


私は京都の高校出身だが、同期会が活発で昨年は50年目の修学旅行を行った。
たまには関東在住者で幹事をやったらとの話があり、今年になって準備を重ねてきた。
いろんな人の知恵を集めて、ようやく実施案が固まった。


案内状、返信用ハガキ、振込票もそろって月曜日には郵便局へ持っていける。

6クラス200余名のうち何名が参加するか楽しみだ。

佃・月島

2008-09-14 07:55:58 | あれこれ

木曜日に友人たちと一緒に御徒町から湯島、お茶の水と佃島・月島を歩いてきた。

大阪市西淀川区の神崎川と左門殿川に囲まれる島のような形をした地域が佃と呼ばれる。
元は田蓑と呼ばれる漁業の盛んなところであったが、
徳川家康が漁業も大事だが人は先ず田で働けとして田にニンベンを付けて佃に改称した。
その後、佃村の漁民が家康に招かれ隅田川河口の埋立て地に住むにあたって佃島と呼んだ。


今も船溜まりは残っているが、昔ながらの家並みは少なくなって高層マンションが立ち並ぶ。


漁民たちが移り住んだ時に佃村ゆかりの神社をこちらにも創建したのが
いま朝のドラマでもおなじみの住吉神社だ。


隅田川べりに出ると壁にレリーフが3点かけられている。
これは三代安藤広重「東京明細図会 佃島灯明台下 汐干」という版画が元になっている。
版画(画像が小さいけれどカラー) 参照


一部を拡大してみると親子らしい二人が潮干狩りをしているようだ。

上の全体図の右上には灯台らしいものが見える。


これは最近建てられたモニュメントだが、元はこのあたりに灯台があったそうだ。
佃島の隣の石川島には無宿人対策のための人足寄場が置かれていて油絞を行っていた。
慶応2年その益金で隅田河口・品川沖航行の船舶のために、この灯台が築かれたという。



佃島小学校の近くにはこんなモニュメントもあった。
石川島の造船所の名残のようだ。


月島のほうへ進んで、西仲通りを歩く。
通称もんじゃ通り、朝のドラマの舞台だが洋品店も「あにおとうと」もなかった。


今はもんじゃ屋さんが目立つが、2階部分に目をやるとその昔がうかがえる。

日本語にすれば 中町

2008-09-04 08:30:25 | あれこれ

六本木の東京ミッドタウンへ行ってきた。
地下鉄大江戸線の駅から上がっていくとB1Fの案内カウンターのところに出る。
そこそこの広さがあるので、グループの集合や待ち合わせの場所に適している。


ちょっと1Fまで上がってみるとPLAZAという広い場所があり、
そこからミッドタウン・イースト、ウエスト、タワーにつながっている。
ホテル、オフィス、ホールなどがあるが今回は立ち入らなかった。
左へ行くとガレリアというショッピングエリアだ。

理由は分からないが女性が警官に食ってかかったり追われる一幕があった。


ガレリアは鎮守の森をイメージしたという4層の吹き抜けを中心に、
ショップ、レストラン、サービスなどのスペースが広がっている。


B1Fはレストラン、カフェ、食材店、食品スーパーなどとともに、
クッキングスタジオという一種の料理教室が外からも見えたりして面白い。

1Fと2Fはファッションの店が中心で我々には関心が薄い。
その中で Beauty&Healthcare と名付けられた場所には、
エステ、アロマ、ネイルサロンその他の店が並んでいて女性の気をひきそうだ。
隣接するCafeで簡単な食事やオーガニックのコーヒーを飲むこともできる。

3Fはインテリア&デザインのフロアーで、
キッチン雑貨やデザイン器具、箸、和雑貨など見て楽しい店が並んでいる。
サントリー美術館では「小袖」という展覧会をやっていて和服の女性も見かけた。
秋にはピカソ展が行われる。
Fuji Xerox Art Space では版画コレクションが常設展示されている。


ミッドタウン・ガーデンにつながるアトリウムでは「デニムの再生」という展示をしていた。


デニムの裁断の時などにできる端切れをデニムの耳というそうだが、
そのデニムの耳を活用しようという活動をオブジェに表現している。


B1Fや1Fからミッドタウンガーデンに出られる。
芝生や植木、花壇が広がっていて秋には楽しめそうだ。


この日は暑かったので、この店は手持無沙汰みたい。


ガーデンの中にある21_21DESIGN SIGHTは三宅一生、佐藤 卓、深澤直人が企画していて、
デザインのためのリサーチセンター、デザインについて考える場所、ものづくりの現場だ。
企画展なども行われる。


ガレリアのほうへ戻るとガーデンテラスと呼ばれるダイニングゾーンに名店がそろっている。
入らなかったけれど、窓の外に花や緑を見ながら食事できるのだろう。


ガレリアの内部の柱それぞれに人形などの美術品が展示してあったり、
アートに力を入れていて各所に大きな作品も置かれている。
これは乃木坂方面へ向かう角にあった。


国立新美術館へ向い左手を見ると六本木ヒルズがそびえていた。
ミッドタウンタワーには展望台がないので眺望を望むならヒルズだろう。


ミッドタウンを出て新美術館をぐるりと回って地下鉄乃木坂までのコースは、
ゆっくり歩いて20分ぐらいだった。



ミズタビラコに訂正

2008-05-27 10:39:38 | あれこれ

ミズタビラコ(ムラサキ科、キュウリグサ属)
これは先日京都大覚寺の門前で撮った花で、ワスレナグサとして記事に入れました。
その後ブログ友の「ちょびママさん」からミズタビラコと教えていただきました。
タビラコはキュウリグサの別名で、ミズタビラコは渓流沿いや谷筋などの水辺に生育するそうです。
ワスレナグサは花の芯がもっと黄色いのに、思い込みで間違えてしまいました。
お詫びして訂正します。


明治神宮

2008-02-25 08:44:17 | あれこれ

明治神宮の北池には、この時期オシドリたちがいる。


色のきれいなオスが目立つが、つがいになっているらしいのもいる。


「そこのオシドリ夫婦さん、こっち見て!」
なんて言われても振り向きはしない。


春一番の吹く中、結婚式の人たちを何組も見た。
参進といって神職が先導して新郎新婦および参列者が奉賽殿へ向かうことから始まる。
晴れがましい気持ちだろう。
仲の良いオシドリ夫婦になってもらいたいものだ。


小鳥を観察しようと御苑にも行ったが、風が強く寒いせいか姿も声も少ない。
シジュウカラやヤマガラを別にすると、
かろうじて会ったのはツグミに近いシロハラぐらいのものだった。、


空には無数のカラスが騒ぎながら飛んでいる。
なんか馬鹿にしているようにも聞こえる。


参宮橋のほうへ出るとポニーの公園があった。
人参をやったり子供が乗ったりして触れ合うことができる。


その隣には馬場もあって乗馬を楽しむ人たちがいた。
都心にこんなところがあるとは知らなかった。

見えても撮れない、見えなくても写る

2008-02-19 08:22:51 | あれこれ

横浜の田舎とはいえ都会に近い我が家からは、
望遠鏡を使っても星いっぱいの空は見えそうにない。


これらは我が家から撮ったもの。
だけど肉眼でもこのように見えたわけではなく、ズームしたレンズを通した画像だ。
そして星ではなく日の光がこのように写ったものだ。


少しズームと角度を変えると、こんな写真になった。
朝起きて窓ガラス越しに外を見ると、太陽が上がり始め林の間から光が差す。
肉眼では、枝や葉の間からこぼれる光が細い線になって輝いて見える。
何とか撮ってみようとするのだけれど、
シャッター速度や絞りを変えても上の写真のように星空になってしまう。


別の日にシャッター速度をうんと遅くして角度を変えて撮ると光の線にはなった。
しかし目で見るのは、これとは違う。
うまく表現できないが、光線の1本1本に細かい虹色の点が輝いているのだ。


見えているものが撮れなくて、見えていないものが撮れる。
興味深いことだ。

間にガラス窓を通していることも何か関係しているかもしれない。




谷戸山公園

2008-01-05 07:40:06 | あれこれ

ツグミだろうか。


何かの実を食べるために高い木の上にいるようだ。
実は数少なくなっている。


ここは小田急・座間駅に近い谷戸山公園。


わきみずの谷の湧水が小さな流れや水鳥の池を作っている。
田んぼと水辺もある里山には動植物が豊富だという。


起伏のある園内も木道が整備されていて歩きやすい。
ところどころに野鳥観察小屋が設けられている。


観察小屋でなくてもコゲラやシジュウカラ、メジロなどが見られた。
ゆっくりすれば、いろんな鳥に会えるのだろう。


工事中で水を抜いていた水鳥の池では渡り鳥たちを見られなかった。


小さな池には氷が張って午後も残っている。


子供たちは氷の破片を投げて遊んでいた。


この季節だから花はほとんどなく、
ガマズミの実が目立っていた。


3時間ほどの散策であったが自然が豊富なことを実感した。
いずれ、ゆっくり行ってみたい。

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しばらく出かけますので、ご訪問、コメントなどが滞ります。
よろしくお願いします。

いたち川と兼好法師

2007-02-25 08:01:25 | あれこれ

ここは横浜市栄区を流れる「いたち川」、自然が豊かなところだ。
川辺の遊歩道で、こんな説明プレートを見た。


いかにわが たちにしひより ちりのきて
かぜだにねやを はらわざるらん

句の頭に、いたちかは を読み込んだ歌の作者は兼好法師。
兼好法師といえば、私が子供の頃に遊んだ京都双が丘で徒然草を書いた人。
横浜にゆかりがあったとは気づかなかった。


ゴモジュ(スイカズラ科)
兼好法師は吉田兼好とも呼ぶが、本名は卜部兼好で1283年ごろに生まれた。
平野神社や吉田神社の神職を勤める家柄で、
兼好も宮仕えをしたのち30歳ごろに遁世し比叡山にいたが、
歌人として都に戻り1330年ごろに徒然草を著したらしい。


兄の民部大輔兼雄が称名寺(金沢区)の僧をしていた関係か、
兼好は20代のころから何度か関東に下向していて
金沢を「ふるさと」と呼ぶほどだったそうだ。


ハナニラ(ユリ科)
徒然草184段(末尾を参照)の話は、松下禅尼が
隠居所の障子張替えに関して息子時頼に倹約の大切さを教えたというものだ。
この隠居所がのちに光明寺となって、いたち川のそばに今もある。

この話を書いたことは、金沢あたりへの兼好の思い入れの表れかもしれない。


トサミズキ(マンサク科)
むかし住んだ京都といま住む横浜は兼好法師によっても繋がっていたのだ。

徒然草 184段
相模守時頼の母は、松下禅尼とぞ申しける。
守を入れ申さるる事ありけるに、すすけたる明り障子の破ればかりを、
禅尼手づから、小刀して切り回しつつ張られければ、
兄の城介義景、その日のけいめいして候ひけるが、
「給はりて、なにがし男に張らせ候はん。さやうの事に心得たる者に候」と申されければ、
「その男、尼が細工によもまさり侍らじ」とて、なほ一間づつ張られけるを、
義景、「皆を張りかへ候はんは、はるかにたやすく候ふべし、
まだらに候ふも見苦しくや」と重ねて申されければ、
「尼も、後はさはさはと張りかへんと思へども、今日ばかりは、わざとかくてあるべきなり。
物は破れたる所ばかりを修理して用ゐる事ぞと、若き人に見習はせて、心つけんためなり」
と申されける。
いとありがたかりけり。

現代語訳(蛇足)
相模守時頼の母は、松下禅尼という人であった。
あるとき、相模守を招き入れられたことがある。すすけた明り障子の破れたところだけを、
禅尼はみずから小刀であちこち切って張っておられたので、
その日の接待の手配をしてそばに控えていた兄の城介義景が、
「それをお預かりして、なにがしという男に張らせましよう。そのような仕事にたけた者です」と話されると、
禅尼は「その男は、この尼よりもまさか上手ではないでしょう」と言って、なおも一こまずつお張りになるので、
義景は「全体を張り替えられたほうがはるかに簡単でしょうに。
(ところどころを修理して)まだらになるのも見苦しくはありませんか」と重ねて話されると、
「尼も、いずれはさっぱりと全部張り替えようと思っていますが、今日だけは、わざとこうしておくべきなのです。
物は傷んだ所だけを修理して用いるべきだと、若い人に見習わせて、注意を促すためです」
と禅尼は話されるのであった。
大変まれな感動的な話である。