シロハラ 2011-01-31 07:34:21 | 近所 近所ではヒヨドリやムクドリに混じって、この時期はツグミがたくさん見られる。 木の上ばかりでなく原っぱや畑で歩いて餌を探していることも多い。 ツグミの仲間でもシロハラは畑ではなく林の中やそのすぐ近くで活動している。 落ち葉をガサゴソはねのけて、その下の虫などを食べるようだ。 ガサゴソの音が聞こえても薮の向こうで姿が見えないというのは、地鳴きのウグイスを見つけられないのと同じだ。 すぐ近所の林でキョロンキョロンと鳴いて木の枝に止まったシロハラの優しい感じは雌だろうか。
コジュケイなど 2011-01-30 07:54:30 | 近所 原っぱはすっかり枯れ色。 土ばかりに見える休耕の畑をひょこひょこ歩き回るハクセキレイ。こんな所でも小さな虫がいるのだろう。 林の縁に向かうと下草の向こうに大きな鳥が見えた。 コジュケイの家族だ。歩きながら枯れ葉の下をガサゴソとやっている。 キジの仲間で木の実や虫などいろんなものを食べるらしい。 小学校の校舎に鳥が止まっていた。逆光なので回り込もうとすると不意に飛び立った。 尾羽の形からノスリではなかったかと思ったが、尾羽の先端の模様はチョウゲンボウのようだ。 訂正:紅さんのご指摘でチョウゲンボウが正しいようです。 紅さん、ありがとうございました。
横浜はあたたかい 2011-01-29 07:40:06 | 近所 新潟や山形などの雪国に比べて横浜のなんと暖かいことか。 ときに霜が降りることがあっても春を先取りする花たちを見かけることも多い。 ホトケノザやナズナに加えてオオイヌノフグリが出始めた。 梅の花もすっかり数が増えた。昨年はちょうど今頃熱海へ梅見に行ったのだった。 散歩の犬も気分が良さそう。 ハラビロカマキリの子供たちはいつ生まれてくるのだろう。
カシラダカ 2011-01-28 06:49:17 | 近所 冬の晴れた日、メタセコイアとハンノキが高く空に向かっている。 ハンノキの赤っぽいのは雄花、黒く見えるのは昨年の実だろう。 ヤマガラがやってきてついばむのは花だろうか小さな虫だろうか。 ハンノキの下の草むらから飛び出した小鳥が少し離れた木に止まった。3羽が見える。 カシラダカらしい。ホオジロに似たところがある。 別のところで後ろ姿を撮ることができた。
冬の旅5 2011-01-27 07:20:15 | 旅行 鶴岡公園内にある「大宝館」は、大正天皇の即位を記念して建てられた赤い屋根の白い洋館で もとは1階が物産陳列場や図書館で、2階は会議室と食堂になってたそうだ。 現在は、高山樗牛 丸谷才一、渡部昇一ら明治から昭和にかけての時代に各分野で活躍した鶴岡市出身者、 または鶴岡の発展に深いかかわりのあった人たちのの資料を展示し、その業績を紹介してる。 鶴岡公園から堀を挟んで致道博物館がある。 今回は見学しなかったのだが、近くに荘内藩校・致道館がある。 士風の刷新と優れた人材の育成を目的に、文化2年(1805)酒井家九代目藩主・忠徳公が創設した。 「致道」とは論語の「君子学んで以って其の道を致す」により、 道を究め、はっきりさせるというような意味で大垣藩、土佐藩その他にも同じ名前の藩校があった。 致道博物館がある場所には庄内藩主の御隠殿があったが、 昭和25年に致堂館資料および土地建物が寄付され財団法人致堂博物館として発足した。 この御隠殿は幕末十一代藩主酒井忠発のときに藩主の隠居所として上の赤門とともに江戸屋敷から移築された。 酒井家ゆかりの鎧、兜、調度品の数々をはじめ、庄内竿などが展示されているす。 撮影禁止で写真はないが手作りの庄内竿が興味深かった。4間以上の長いものを含めて多数の延竿が展示されていた。 庄内藩では心身の鍛練と武道の一助として磯釣りを奨励していたという。 城下から庄内浜までは、長い道のりを山越えをして歩いていき、長い釣り竿を持って往復するのは足腰の鍛錬に役立つというわけだ。 「能」を演ずることができるように、きれいな床板が張られた奥座敷から眺める書院造りの庭園も見事なものだった。 このほか旧鶴岡警察署庁舎、旧西田川郡役所、重要有形民族文化財収蔵庫、民具の蔵、旧渋谷家住宅などの建物もある。 この旧鶴岡警察署庁舎は外観のみの見学だが、ほかでは考古学資料も含めて歴史的資料、民族文化財、伝統工芸品などが見られる。 瓦人形は風俗人形、お雛様、おとぎ話の主人公、動物などを粘土で作り泥絵具で彩色した素朴なものだ。 大きな桶の台になっていた車箪笥は金品や帳面など大事なものを収める金庫のように使われたという。 ずっしりした外観はいかにも重そうで、火事の時に持ち出せるように車輪が4個ついていた。 奥に見えているのは馬そり。 「雪の降る町を」は中田喜直氏が昭和27年鶴岡で馬そりの窓から見た降雪風景を曲にしたそうだ。 旧渋谷家住宅は湯殿山の麓、旧朝日村の田麦俣から移築されたもので、山村豪雪地域の多層民家だ。 寄棟屋根であった民家の妻側の屋根を大きく開き、通風と採光を目的とした高窓をとりつけた結果 兜造りといわれる均整のとれた美しい茅葺き住宅は文政5年(1822年)に建てられたものだ。 ここは居間で囲炉裏を中心に家族が集まった。この地域では仏壇の上に神棚が置かれていたそうだ。 毎年1月~3月には囲炉裏(いろり)に火を入れて「いぶり出し作業」が行われる。 煙を充満させて屋根の茅などにひそむ虫を駆除したり防腐のために行うものだが、 見学した日は早目に火を落としていたので残り火だけを見た。 いぶり出し 荘内日報記事 仏壇の裏側は「主人」が寝る部屋だそうだ。 敷布団は「こもじぶとん」という藁でできた布団で、太い木は枕になったという。 精霊馬はお盆のとき先祖の魂が馬や牛に乗って帰ってくるという信仰から、 まこもや藁で形づくった牛、馬を軒先に下げておく慣わしがあった。 ここは水屋(ながし)で、山から湧き出る清水を器でくった水槽に引き入れ流していた。 右の桶は据え風呂、ひだりは物置になっていた。 2階3階にも上がることができて、昔の農具などが置かれていた。 華のない冬の旅を長らく読んでいただいてありがとうございました。
冬の旅4 2011-01-26 07:31:30 | 旅行 村上から鶴岡までは特急で1時間ぐらいなのだけれど冬は風が強く列車が止まることも多いという。 この日も強風で速度をうんと落とした列車の窓から見える真っ白な田んぼを雪風が吹きわたる。 予定より1時間ほど遅れて着いたのと雪が強かったので鶴岡の街を歩くのは翌日とした。 湯野浜温泉の宿でも夜中に風の音が聞こえていたが、朝には雲の切れ間から満月が見えた。 鶴岡へ向かうバスの窓から五重の塔が見えた。 曹洞宗の龍沢山・善宝寺という平安時代からの大きなお寺で龍神の寺として漁業関係者の信者が多いそうだ。 20年ぐらい前に話題になった人面魚は、ここの貝喰池(かいばみのいけ)にいた鯉だ。 バスを市の中心街、鶴岡公園で降りる。 鶴岡公園は庄内藩主酒井氏の居城「鶴ヶ岡城」跡で、本丸址には荘内神社がある。 明治10年に創建され、初代藩主ら酒井忠次ら4代の藩主が祀られている。 鶴岡公園には大宝館や昨年オープンした藤沢周平記念館があり4月中旬には桜が見事らしい。 堀の氷の上にも雪が積もって歩いて渡れるのではと思ったりする。 近くにある致道博物館は明日に譲るとして、公園を離れて歩いてみると村上より大きな町という印象だ。 鶴岡カトリック教会天主堂はロマネスク様式で明治36年に建てられた。 江戸時代は、武家町と町人町を川や濠で分断し数カ所に木戸口のついた橋を設け、 その木戸口のみを武家地への入口として町人の往来をコントロールした。 市内に11カ所の木戸跡の標識柱が設置されている。 内川にかかる三雪橋には三日町口木戸があったようだ。 作家藤沢周平は鶴岡出身で多くの作品に登場する海坂藩や城下の様子は庄内藩と鶴岡をイメージされているらしい。 市内のあちこちに藤沢作品ゆかりの地がある。 「蝉しぐれ」のオープンセットから始まった庄内映画村が月山山麓にあるが冬季は見学できない。 歩いている間ずっと雪だったが、気温が低いのかあられのような粒だった。
冬の旅3 2011-01-25 07:32:32 | 旅行 標高135mの臥牛山を中心に広がる村上城は戦国時代に本庄氏によって築城された後、 村上氏と堀氏により近世城郭として完成された。雪の石垣のみが見える。 寛文7年(1667)に落雷によって焼失した3層の天守閣の威容から舞鶴城の別名が生まれたのだろう。 嵩岡家住宅 昔の武家町にある「まいづる公園」は、皇太子殿下・雅子妃殿下のご成婚を記念して造られた公園で、 嵩岡家住宅、岩間家住宅、藤井家住宅という3棟の武家屋敷が移築復元されている。 雅子妃殿下の祖母・静さんの実家である嵩岡家は村上藩主内藤氏の藩士であり、 この住宅は幕末から昭和60年頃まで使用されていたという。 雪の中では武家住宅を見学する人も少なく、3日前に一人が記帳されていた。 そのため以前横浜に住んでいたという管理の人が喜んでいろんな話をしてくださった。 嵩岡氏は幕末に江戸でいわば現地採用された人で、この住宅も急きょ建築された。 そのため100石の武家にしては質素な造りなのだそうだ。 藤井家住宅は江戸時代には重野氏の屋敷であった。 奉行などを務めた250石の中級上位の藩士で昨日の若林家住宅に次ぐ格式を持つ武家屋敷である。 その後、明治30年代に産婦人科医である藤井氏が取得し病院部分などを増築した。 平成7年に村上市に寄付され解体調査ののち平成10年に復元された。 三の丸スポットにある村上歴史文化館の外観は藤井家の擬洋風病院建築物を参考としているという。 村上・岩船地方の近世から昭和にかけての民俗資料などが多数展示されていた。 その隣にある村上市郷土資料館はおしゃぎり会館とも呼ばれている。 おしゃぎりとは毎年7月7日に行われる村上大祭で曳きまわされる山車のことだ。 村上大祭は村上地方の総鎮守である西奈弥(せなみ)羽黒神社の祭りで、寛永の遷宮に際し お祝いと城下町の繁栄を願って町人たちが大八車に太鼓を載せて引きまわしたことが起源だそうだ。 現在は三基の神輿と19台のおしゃぎり(山車)が旧町人町を練り歩く。 郷土資料館には3基のおしゃぎりが展示されている。 また14騎の荒馬(堆朱を施した木製)がおしゃぎりを先導する。 おしゃぎりは京都の祇園祭を思い出させる。 また江戸時代に京都から寺院建築で来た漆工がその技法を伝えたのが村上堆朱の始まりとされる。 北限の茶の栽培の歴史は江戸初期にさかのぼるが京都・宇治から職人を招いたこともあるという。 3月には町屋の人形さま巡りが行われ、70軒の町屋に飾られた4000体の雛人形を見ることができる。 秋には三面川で伝統的な鮭漁が行われる。 会う人みんなが親切で人懐っこい方たちで、にぎやかな時期にも歩いてみたい街だった。
冬の旅2 2011-01-24 08:10:26 | 旅行 村上は大和朝廷が蝦夷対策に築いた磐舟柵がこのあたりとされ、平安時代には小泉庄と呼ばれた荘園であった。 鎌倉幕府から小泉庄の地頭に任じられた秩父行長がこの地で本庄氏と称した。 豊臣秀吉の時代に村上氏が入りこれ以降に村上の地名が生まれ、村上城と城下町が整備された。 江戸時代には松平氏など親藩や譜代大名が相次いで領したが享保5年以降は内藤氏が明治維新まで治めた。 城下町は武家町と町屋が分かれていて明治維新後も昭和20年ごろまで混じりあわなかったらしい。 そのためか武家屋敷がけっこう保存されていて、この若林家住宅もそんな一つだ。 若林氏は代々150石の家柄で約200年前に建設された住宅も格式の高い造りだが古材を多く使うなど質素な面も見られる。 村上は由緒ある寺院が多い町でもあるが、その寺町あたりに昔ながらの黒塀を復活させようというプロジェクトが進んでいる。 町屋を歩くとあちこちで鮭がつるされている風景を見ることができる。 村上市は古くから鮭の町として知られ数多くの鮭料理が作られてきたが、特に「塩引鮭(しおびきさけ)」が有名だ。 喜っ川は塩引鮭など鮭食品の製造販売をする店で、狭い間口で奥の深い造りは京都の町屋に似ている。 「新鮮な雄の秋鮭」の腹を割き内臓を取り、塩をていねいに擦り込み1週間ほど塩蔵してから 10時間以上水に入れて塩抜きした後、逆さづりにして4、5日寒風に晒すことで発酵・熟成するという。 村上の鮭は市内を流れる三面川(みおもてがわ)を遡上してくる。 江戸時代、村上藩にとって鮭は大切な収入源だったが不漁による深刻な事態ももたらした。 鮭の回帰性などの生態を研究した青砥武平次が藩主に鮭を保護することを提案した。 三面川に鮭の産卵用の分流(種川)を作り産卵に適した川床を整備造成することで鮭の自然ふ化増殖に成功した。 明治時代には日本初の人工ふ化にも成功している。 種川のそばの「いよぼや会館」では村上における鮭の文化や生態を学んだり鮭を中心とする水中の自然も観察できる。 「いよぼや」とは村上地方で鮭を指す言葉でもともと魚の中の魚という意味らしい。 鮭の稚魚が生まれ日ごとに別々の水槽に入れらていて成長していく過程も見られる。
冬の旅1 2011-01-23 06:46:26 | 旅行 2泊3日で新潟県村上から山形県鶴岡あたりを訪ねてきた。 泊った瀬波温泉と湯野浜温泉はいずれも海岸にある。 12月に予約した時は2日のうち1日は海の向こうに夕日が見えるのではないかと期待していた。 直前の気象状況で完全に諦めたが、やっぱり雪雲は水平線まで切れ目なかった。(写真は朝のもの) 海岸は強い風のせいか積雪が少なく見えるが市街地はたっぷりの雪だ。 車の多い幹線道路は除雪車が通るのだろう。走りやすそうに見える。 車道の雪は歩道に積み上げられることもありバス停もかろうじて先端部分だけが見える。 地下水を散布して融雪しているところも多く、村上で町屋歩きをした時には有りがたかった。 路面凍結の原因にならないように工夫もされているのだろう。 乗った電車が強風のため速度を落として運転したために大幅に遅れたこともある。 大雪、強風、酷寒、凍結など列車運行を難しくするものも多いようだ。 待つ間の暇つぶしに電車についた雪を見ていると、その上のステッカーに気づいた。 ↑あつい! 冬季間はドアレールにヒーターが入りますので注意してください。と書いてある。 乗客向けだろうか、職員向けだろうか。 線路の向こうのツララ。頭の上のに落ちることはないかと心配になる。 雪国の冬は全てに大変なようだ。
大田区にトラフズク 2011-01-22 07:10:03 | 近所 大田区の多摩川でトラフズクが見られると教えていただいたので行ってきた。 外堤防に立つと向こうに人が集まっているので、すぐに分かった。 三脚を構えてじっくり撮る人、単に観察だけの人、平日でも10人以上いた。 2本の柳の木に3羽ずつ合わせて6羽が止まっていた。 トラフズクは北海道などから越冬のためにやってくるらしい。 夜行性で昼間は樹上で眠るために我々も観察できるわけだ。 柳なので幅広の葉がないとはいえ沢山の枝が枝垂れてトラフズクの姿を隠す。 なんとか枝かぶりにならない角度を探して撮るが、眠っているので目がパッチリとはいかない。 これなどは少し目があいているほうだ。夕方以降に撮りに来るといいのかもしれない。 昼間はおおむね眠っているとはいえ、時おり起きて頭を大きく動かして羽根繕いをする。 そして頭がこちらを向いた一瞬、ギョロリと瞳が見えた。 最後に真下からお尻を撮って失礼。
木の実の今 2011-01-21 06:31:21 | 近所 高い木の上の方に薄い黄色の実がいっぱい。 ちょっとデコボコした実はセンダン。 秋に実ったいろんな実も熟したり弾けたり鳥に食べられたりして姿を変えている。 ユリノキの実は翼に種がついたものの集まり。一枚ずつ風に吹かれてはがれていく。 カラスザンショウはメジロ、カワラヒワ、ヒヨドリ、ムクドリなど小鳥たちの大切な食べ物だ。 これはフジの大きな莢が弾けて落ちた豆。1cmぐらいの大きさで碁石に近い形をしている。 もうだいぶ前から弾けはじめて、今は莢の方も落ちてしまっている。 フジはほかの木に巻きついて蔓をどんどん延ばすので思わぬ高いところに花を見ることがある。 ところで写真の蔓は上の方でぐるぐる巻いているが、下の方は伸びきっている。 若い木に巻きついたために、その木の成長の早さに蔓の方もまっすぐ延びるしかなかったのだろうか。 実ばかりで花がないので付録。 一株だけの菜の花。赤いのはトウガラシ。
もったいない 2011-01-20 06:03:56 | 近所 家の近くの畑まわりを歩いているとさまざまな野菜が収穫されないで残っている。 形が悪いとかサイズなど売り物にならない理由があるのだろう。 ひとこと連絡もらえれば引き取りに行くのだが・・・ このカブはまだ植わっているが周りが抜かれて中途半端な感じだった。 抜かれたものの一部だろうか、道路側に捨てられていたのがまだ新しかったので3個ほど頂いた。 味噌汁に入れたら美味しかった。もったいない話だ。 しばらく留守にしますので、コメントの返信等が行き届きません。 毎度申し訳ありませんがよろしくお願いします。
氷の上の小鳥 2011-01-19 05:40:30 | 近所 寒い朝、池に氷が張るとアオサギは餌をとりにくいのだろうか。いつも以上に所在なげに見えた。 セグロセキレイが飛んできて氷に着陸するとツーっと滑った後ヒョコヒョコ歩き回る。 氷の上でも小鳥の餌になるものたとえばユスリカの幼虫などがいるらしい。 もちろん氷の上ばかりでなく流れの浅瀬でも動き回っている。 ルリビタキの雄も氷上で見かけた。 こちらは草原の方にいたルリビタキの雌。 そしてその後、雄と雌がツーショットで見られた。 見たいと思っていた光景だが、遠かったのをトリミングしたので少し暈けている。 これはつがいというわけではなくて縄張り争いをしているように見えた。 実はセグロセキレイも絡んでいたのだが、3羽が一緒のところは撮れなかった。 しばらく留守にしますので、コメントの返信等が行き届きません。 毎度申し訳ありませんがよろしくお願いします。
寒い朝 2011-01-18 06:57:34 | 近所 すっかり冬型の気候で日本海側などは大雪で神奈川の平地では降らないものの朝の気温は零下を示す。 シモバシラ(シソ科)にできた霜柱は昼ごろになっても融けきらない。 水温は5度弱ぐらいあるが、草にかかったしぶきは明け方の冷え込みで凍りついている。 水滴状のものがあったりツララ状のものがあったり、どのようなプロセスで凍るのだろうか。 池も5mmぐらいの厚みの氷が張っている。 前の日に誰かが割って上に置いたらしい氷が下の氷と融合しているように見える。 風の強い日で氷の上にはガマの穂の綿毛が落ちていた。 午後の日差しで薄氷となった表面もキラキラして綺麗だった。