読書日和

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「夏の裁断」島本理生 -文庫での再読-

2018-08-30 18:51:25 | 小説


今回ご紹介するのは「夏の裁断」(著:島本理生)です。

-----内容-----
小説家の千紘は、編集者の柴田に翻弄され苦しんだ末、ある日、パーティ会場で彼の手にフォークを突き立てる。
休養のため、祖父の残した鎌倉の古民家で、蔵書を裁断し「自炊」をする。
四季それぞれに現れる男たちとの交流を通し、抱えた苦悩から解放され、変化していく女性を描く。
書き下ろし三篇を加えた文庫オリジナル。

-----感想-----
※以前書いた「夏の裁断」の感想記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。

「夏の裁断」
29歳の作家の萱野千紘(かやのちひろ)は2ヶ月前、帝国ホテルの立食パーティーで芙蓉社の編集、柴田という男の手にフォークを突き立てる事件を起こします。
柴田の手に怪我はなく大事にはなりませんでしたがフォークで刺そうとするほど憎んでいるのはただ事ではないと思いました。

夏のある日、母が電話をしてきて帝国ホテルの事件の直後に亡くなった鎌倉の祖父の家の一万冊ある蔵書を自炊するのを手伝えと言います。
自炊は本を裁断して1ページずつデータ化していくことです。
物語は鎌倉での現在と柴田との回想が交互に進んでいきます。

千紘が柴田の反応を見て「間違えた」と思って青ざめる場面があります。
こう思うのは常に間違えないようにビクビクしながら過ごしているということで、柴田との相性は最悪だと思います。
柴田は最初から千紘を精神的に追い詰めることを繰り返していて、こんなに最悪な男ならすぐ別れれば良いのにと思いましたが、千紘の場合は嫌な思いをしてもどうしても柴田のことが気になるようです。

千紘は鎌倉の祖父の家に行きます。
縁側で蚊取り線香から立ちのぼる煙を見た時、タバコを吸う柴田を思い出す場面がありました。
これは私も何かを見た時にそこから連想される記憶が甦ることがあるので分かります。
嫌な記憶のほうが思い出されやすい気がします。

2年前に千紘は柴田と知り合いました。
柴田は初対面なのに失礼で、自然体の話し方で失礼なのが印象的でした。

自炊をしている時にキリスト教について書いた本が登場し、千紘が読む形で少しだけ作品内に本の文章が書かれていました。
島本理生さんの作品には「女性が男性から酷い目に遭わされる」「臨床心理学」という特徴がありよく登場しますが、キリスト教も他の作品で登場したことがありこの二つに次ぐ特徴だと思います。

母が長年経営しているスナックの古株のお客に英二という人がいます。
英二が千紘に自炊の仕方を教えてくれることになり母、英二、千紘の三人でスイカを食べる場面があります。
また千紘は柴田を「スイカの香りがする」と評していて、スイカを食べて柴田を思い出し「本物は柴田さんの匂いには似てなかった」と語っていました。
ここでも柴田のことを思い出していて忘れられずにいるのがよく分かりました。

千紘は大学は心理学科でかつては臨床心理士になろうとしていました。
現在は精神的に辛くて困っている層に小説で思いを届けようとしていますが上手く行かなくて悩んでいます。

千紘は柴田を「話を聞くのが上手い」と評していましたが、これは心の底の気持ちを引き出すのが上手いのだと思います。
そしてその気持ちを弄ぶのだと思います。

千紘は現在は猪俣駿というイラストレーターから好意を寄せられて断れずに付き合っていて、猪俣が突然鎌倉の祖父の家を訪ねてきます。
場所を教えていないのに自力で調べて来たと言いこれはストーカーじみていて怖いと思います。
そんな猪俣を見て千紘が胸中で語った「どうせ、断れないのだ。」はとても印象的でした。
千紘は相手に押されてしまう傾向があります。

猪俣は千紘に「心療内科とか行った?」と聞いていてこの言い方はないと思いました。
聞かれるほうがどれくらい嫌な思いをするかを考えていないと思います。
「猪俣君はまだアドバイスめいたことを語り続けていて、私はどんどん孤独になっていくのを感じた。」という言葉も印象的でした。
まず千紘はアドバイスなど求めていないと思います。
さらに猪俣の語ることは的外れで自己満足にしかなっておらず、聞く方の千紘はどんどん嫌な思いが募り孤独を感じるのだと思います。

猪俣君はたまに私を気まぐれと表現する。相思相愛じゃない原因を私に寄せようとする。
これも印象的な言葉で、猪俣を愛してはいないのがよく分かる言葉でした。

千紘は知り合いから下北沢の創作和食の店に誘われた時、柴田もいると聞いてお店に向かう途中で駅のトイレに駆け込んで吐きます。
そこまでして柴田のいる場所に向かうのは心が強迫観念に囚われていると思いました。
柴田は悪いことを悪いことと思っておらず躊躇わずに千紘の心を追い詰めていて、精神病質者(サイコパス)ではと思いました。

柴田から打ち合わせしようとメールが来て千紘はスペインバルに行きます。
現れた柴田がなぜか今度は千紘を気遣うことを言います。
千紘を追い詰める発言とは真逆のことを突然言っていて、これを見てやはり精神病質者ではと思いました。
加害側が精神病質者、被害側がその人に依存するタイプというのは一番恐ろしい組み合わせだと思います。

柴田とのことに思い悩む千紘は大学の時にお世話になった教授に会います。
自身が悪いのだろうと千紘が言った時教授が「どうして自分の違和感をないがしろにするの?」と言っていたのがとても印象的でした。
さらに「本能的に人をコントロールするのが得意な人間はいるんだよ」と言っていて、これはそのとおりでそういう悪質な人は存在します。

千紘は子供の頃母のスナックの常連の磯和という男に酷い目に遭わされたことがあります。
それ以来男の人が苦手になり、また何かあれば自身が悪いと考えるようになりました。
これは「過去に起きた事件が大きなトラウマとなり現在の性格に影響を与える」というジークムント・フロイトの精神分析学の考え方に基づいていると思います。
島本理生さんは中学生の頃から臨床心理学の本をたくさん読んでいて作品にも登場することがあり、その内容を見ると特にフロイトの精神分析学の本をたくさん読んでいたのではと思います。

千紘は柴田の言葉に「これ以上揺さぶらないでくれ。思い出させないで。」と思います。
「思い出させないで」は磯和のことで、千紘は柴田と居ると磯和を思い出すようです。
教授が語った言葉の中に「投影」という言葉があったのも印象的で、千紘は柴田に磯和の姿を投影しています。
そのせいで強烈な苦手意識を持ち、磯和に酷い目に遭わされた時にそれ以上酷い目に遭わないように大人しく従ったのと同じように柴田にも従うのだと思います。
千紘の柴田への依存の正体はこれだと思います。

柴田に追い詰められる千紘は次のように苦悩します。
それなのにどうして私は、ふりまわすのもいいかげんにして、と怒鳴って今すぐにタクシーを降りることができないのだろう。
これは柴田のことが苦手でも依存しているからだと思います。
前回の感想記事で「私が悪いのかもという思いがあるから」と書きましたが、その思いの根元には子供時代の磯和とのことがあり、それが私が悪いという自己否定や柴田に従うことに繋がっていると思います。

現在の千紘が東京の表参道で半年ぶりに教授に会い、教授がとても印象的なことを言います。
「誰にも自分を明け渡さないこと。選別されたり否定される感覚を抱かせる相手は、あなたにとって対等じゃない。自分にとって本当に心地よいものだけを掴むこと」
「選別されたり否定される感覚を抱かせる相手は、あなたにとって対等じゃない」はまさにそのとおりで、そのような相手はこちらを見下している可能性が高くまともに相手にしないほうが良いと思います。


「秋の通り雨」
千紘は王子というあだ名のモデルをしている男と付き合っています。
王子は千紘をかやのんと呼びます。
秋の初め頃に王子のやっているラジオ番組に呼ばれたのがきっかけで付き合うようになりました。
千紘が彼女いるんでしょうと聞くと王子は全く悪びれずにたくさんいると言い、一夫多妻制の国の王子様かと呆れて王子と呼ぶようになりました。

鎌倉の祖父の家は売るはずでしたが契約直前に購入希望者が逃げ、千紘はまだ住んでいます。
千紘は焼き鳥屋で清野(せいの)という35歳の男と話をし家に招きます。
その前には逗子に住む若い評論家の男を家に招いていて、次々と男を家に招くようになっていて驚きました。
千紘は清野がどこか柴田に似ていると思います。

「夏の裁断」とは違う、物語に漂う虚しさが印象的でした。
そして「夏の裁断」にあった恐怖の空気はなくなっていました。

千紘の「私のこと、どう思ってるんですか?」に清野は「そういうのは言葉にしないでおきたいんです」と答えます。
清野はとても淡白なところがあり、納得いかない千紘は清野と喧嘩になります。
しかし今度の千紘はしたたかになっていて清野を上手くあしらい、「夏の裁断」で何もかも自身が悪いと思っていた時とは変わったことが分かりました。

2、3ヶ月ぶりに猪俣から連絡が来ます。
清野と付き合い始めた千紘を心配する猪俣を見て千紘は猪俣にいつも心配されていたことを思い出し、次のように胸中で語ります。
一方的に心配される関係というのは果たして対等だったのだろうか。
これは対等ではないと思います。
猪俣は千紘を心配ばかりかける人と思っているのだと思います。

千紘は自身の心が清野を好きなのを悟ります。
そして東京に戻ることを決め、久しぶりに清野と会った時に東京に戻ると伝えます。

この話は終わりの一文が良く、次のようにありました。
なにが起きるか分からないということを、今なら私は、少し楽しめる気がした。
千紘の心が回復し始めているのがよく分かる一文でした。


「冬の沈黙」
千紘は東京に引っ越します。
鎌倉の祖父の家は民宿をやりたい夫婦が買い取りました。
仕事では柴田ほどではなくても妙に引っかかるようなことを言う編集もいますが、以前は自身のせいかも知れないと気を揉んで疲れていたのが、最近は「これから用事があるので、そろそろ失礼します」とぱっと打ち切って席を立てるようになり、やはり千紘は変わりました。

千紘が清野と話していてテーブルに頬杖をつく場面を見て、頬杖をつく柴田にビクビクしていたのを思い出し、清野になら自身が頬杖をつけるのだと思いました。
千紘は清野を何もくれないけれど奪わないと評しています。
清野に義理の姉と姪、甥がいることが分かりますが詳しいことは語らず気になりました。

久しぶりに王子からメールが来て会います。
王子はWebのCM動画に合わせて詩に近い文章を考える仕事を勧めてきます。
千紘は王子はちゃらく見えても色んなことを見聞きして考えていると悟ります。

教授にメールをして新宿御苑近くのカフェで会うと、教授は清野は千紘の求めているものは一生くれないかも知れないと言います。
清野は自身の生い立ちや家族のことを語ったり部屋を見せてくれたりはしないのだと思いました。

千紘は清野にもうきついと言い、さらに私はあなたが信じられないと言うと清野が出て行きます。
千紘は心の中で別れを告げます。


「春の結論」
千紘は昨年の11月で30歳になりました。
今年の春に東南アジアに行ってその取材を元に小説を書いてほしいという依頼が来ます。
まだ清野のことが忘れられずにいる千紘に清野からメールが来ますが一旦そのままにします。

千紘は磯和の名前をネットで検索して真珠で有名な海辺の町で配送業の仕事をしていることを突き止めます。
そしてその町に行き磯和の勤める営業所に行き、仕事が終わって飲みに行ったという情報を得てダイニングバーに行きます。
そこで千紘は磯和に酷い目に遭わされたことを抗議します。
「夏の裁断」の時では考えられないような行動に出ていて驚きました。
「夏の裁断」で教授が語っていた「どうせなら本人に返そう」と言う言葉がここにつながっていました。
酷い目に遭わされたまま黙ってはいないという心になったことが分かり、酷い目に遭わされた時から長い間沈んでいた心が開放されたのではと思いました。

千紘は清野にメールをして会って話したいことを伝え、久しぶりに会います。
清野の言葉が良く、千紘が自身の弱点と思って押さえ込もうとしているものをそれも千紘だと言ってくれていました。
清野が今まで言わずにいた自身の生い立ちの秘密を見せてくれます。
「夏の裁断」で弱っていた心が回復し、一度は別れた清野ともまた付き合うことになり、明るい終わり方になっていて良かったです


「リトル・バイ・リトル」「生まれる森」「大きな熊が来る前に、おやすみ。」そして「夏の裁断」の芥川賞候補になった四つの作品の中で私は断然「夏の裁断」をお勧めします。
千紘の追い詰められた心の描き方がとても優れていて緊迫した雰囲気がありました。
元々の芥川賞系作家らしい文章表現力に、優れた心の描き方が加わってかなり読み手の心に迫る作品になり、四つの作品の中で一番芥川賞に近づいた作品だったのではと思います。
主人公が臨床心理学を深く学んでいる共通点のある「ファーストラヴ」(2018年第159回直木賞受賞)でも優れた心の描き方が見られ、「夏の裁断」は後の直木賞受賞につながる人間の心を描いた名作だと思います。


※「島本理生さんと芥川賞と直木賞 激闘六番勝負」の記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。

※図書レビュー館(レビュー記事の作家ごとの一覧)を見る方はこちらをどうぞ。

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