読書日和

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「あつあつを召し上がれ」小川糸

2018-04-30 23:57:37 | 小説


今回ご紹介するのは「あつあつを召し上がれ」(著:小川糸)です。

-----内容-----
この味を忘れることは、決してないだろうー
一緒にご飯を食べる、その時間さえあれば、悲しいことも乗り越えられる。
幸福な食卓、運命の料理とのふいの出会いを描き、深い感動を誘う、7つの物語。

-----感想-----
この作品には七つの短編があり、どの話も口語調の一人称で語られています。

「バーバのかき氷」
語り手はマユで、くだけた口調での語りになっています。
マユが小学五年生になる少し前の頃、母が「おばあちゃんの様子がちょっと変なの」と言います。
祖母は認知症になり最初に母を忘れ、ほどなくマユも忘れられます。

マユは母をママ、祖母をバーバと呼んでいます。
そして母は祖母を「おばあちゃんはもう、子供に戻ったのだから」という理由で「はなちゃん」と呼んでいます。
これはそう呼ぶことで「認知症になった」という重い状況を「子供に戻った」と軽くしたいのかも知れないです。
それで気持ちの整理をつけているのだと思いますが、マユは祖母が娘から「はなちゃん」と呼ばれるのを見ると戸惑うと思います。

祖母の様子がおかしくなって、マユ達は祖母が住んでいた団地の近くのアパートに引っ越しました。
父が愛人のところに行ったため今は母とマユの二人で住んでいます。

母は最後まで祖母の面倒を見ようとしましたが仕事と介護で体が限界になりある日会社で倒れます。
祖母は数週間前からホームに入居しました。

祖母はホームに入ってから食事をほとんど受け付けなくなります。
マユの夏休みが始まったこの日、母が家からお弁当を作ってきますが祖母は食べてくれないです。
その時の風に揺れるカーテンの描写が印象的でした。
カーテンの向こうに、青空が透けて見える。やっと長い梅雨が明けた。開け放った窓から、そよ風が入ってきて、まるでカーテンが呼吸をしているみたいに、膨らんだり凹んだりする。
風に揺れるカーテンにはしなやかさがあります。
特に白のカーテンだと爽やかさもあり、その向こうに見える青空との色合いが綺麗です。

マユは祖母が「ふ」という音を漏らしているのを見て富士山のふだと思い当たります。
何年か前に家族みんなでかき氷を食べに行き、並んでやっと噂のかき氷にありつけた時、祖母は「ほーら、マユちゃん、富士山みたいでしょう」と言っていました。
その店では天然氷を使っていて冬にプールのような所に水を貯めて自然の力で凍らせています。

マユがその店で買ったかき氷を持っていくと祖母が食べてくれます。
そしてマユにも食べさせようとして自身で木のスプーンを持った場面は良かったです。
認知症が進行して何も分からなくなってもそんなことはあると思います。


「親父のぶたばら飯」
語り手は会社員の珠実で、10月のある日恋人に中華街にある知る人ぞ知る人気のお店に案内されます。
二人は同じ会社に勤めていて、恋人は3歳年上のもうすぐ30歳で実家は横浜にあります。
メニューは恋人に任せ、ビールを一本頼んで、しゅうまいを食べ、次にふかひれのスープで、最後にぶたばら飯を食べることになります。

恋人は転勤で来年からカナダに行きます。
二人は付き合い始めてまだ半年で、最近はたまに恋人を「あなた」と呼べるようになったとありました。

「熱い食べ物は熱いうちに」が二人が食事を共にする時の鉄則です。
この話は食べ物の描写が上手く、読んでいると食べたくなってきます。
また今作の小川糸さんは比喩表現が冴えていて、ふかひれのスープは次のように描写されていました。
霧のように白濁したスープには、細切りにしたハムや野菜などが、願い事を記した七夕の短冊のように入り混じっている。
七夕の短冊は笹や竹にたくさん飾られます。
その様子を思い浮かべると、同じようにスープの表面にたくさんハムや野菜が見えているのが思い浮かびました。

今まで珠美をさん付けで呼んでいた恋人が初めて呼び捨てにします。
たまに「あなた」と呼べるようになったのに加え、珠美がしきりに恋人とのことをアピールしているのを見て何かあるような気がしました。

最後のぶたばら飯を食べ終わると恋人が大事な話があると言います。
もしかしたら別れ話かなと思いましたが、結婚して珠実も一緒にカナダに来てくれないかというプロポーズでした。

港に停泊中の船を、月が煌々と照らしている。私達は、一歩ずつ月へと近づいた。
これは良い表現だと思いました。
船に近づくとせず月に近づくとしたところがロマンティックです。


「さよなら松茸」
語り手は後藤という女性で、30代最後の一日、山下と奥能登にあるひなびた宿でお祝いしようと前々から決めていました。
しかし別々に出発することになります。

その宿には昨年の春先に一度来ていて、飾らないですが上質のもてなしをしてくれて何よりも料理が驚くほど美味しいです。
その時一緒になった中年の夫婦が松茸の時期はもっと感動しますよと教えてくれたので今回来ました。

今年の梅雨の頃、山下が他の女性と歩いているのを共通の知り合いが見つけて後藤に知らせました。
しかし話を聞こうとすると山下はのらりくらりとかわします。
そんな山下に嫌気がさしてこの夏後藤から別れ話を切り出しました。
後藤は松茸を食べに行く旅行は当然行かないだろうと思いましたが、山下がせっかくだから行こうと言います。
その神経は凄いと思いました。
予約をキャンセルするタイミングを逸してしまい予定どおりに能登行きを決行します。
山下とのお別れ旅行になるとありました。

山下が到着し食事処のいろりの間で向かい合って夕飯を食べます。
後藤は山下の存在を次のように語っていました。

十年以上一緒にいて、ほとんど空気のような存在になっている。恋愛感情というのとは少し違うけれど、薄くて甘い砂糖水のようなもの。それを、私の中から完全に払拭することは、まだできていない。

薄くて甘い砂糖水という表現が印象的です。
浮気は許せなくても山下自体は完全には嫌いになっていないような気がしました。
料理を食べ終わると後藤の気持ちは沈み、「この別れはきっと、私にとって人生最大の試練になるだろう。本当に、乗り切れるだろうか。」と語っていました。

この宿は朝ご飯が素晴らしく、松茸ご飯、松茸の入った茶碗蒸し、松茸の味噌漬け、レンコンと人参とモロッコインゲンの炊き合わせ、飛竜頭(ひりょうず、がんもどきのこと)、白菜のおしんこと品数が豊富で豪華です。
最後は松茸ご飯に土瓶蒸しのスープをかけお茶漬けにして食べていて、それも美味しそうでした。
後藤は悲しい気持ちになっていましたがご飯は美味しいと感じていたので、やがて失恋から立ち直れるような気がしました。


「こーちゃんのおみそ汁」
語り手は呼春(こはる)という26歳の女性です。
1月の寒い朝に生まれ、春を呼ぶという意味で母の秋子が名付けました。
母には「こーちゃん」と呼ばれていました。
その母は亡くなって20年になり、母が亡くなってからは父と二人で過ごしてきました。

結婚が決まりこの家を出ていくことになった今、呼春は自身の中に根付く「母」の存在を意識するようになります。
母は乳癌で余命が短かったため、呼春が幼稚園に入る頃から一人で家事をできるようにする特訓が始まります。
洗濯機の回し方、トイレ掃除のやり方、ご飯の炊き方、みそ汁の作り方などを教えられます。

公務員の父は出世を諦め毎日定時に帰ってきては呼春のためにたくさんの時間を費やしてくれました。
しかし呼春は本気で好きな人ができて結婚が決まった時、急に自身が父を裏切るような見捨てるような、後ろめたい気持ちになりました。

呼春は母の「こーちゃんがお嫁に行くまで、毎日、お父さんにおみそ汁を作ってあげてね。」という言葉を思い出します。
そして心の中で母に「私、ちゃんと約束を守ったよ。毎朝、欠かさずにお父さんのおみそ汁、作ったよ」と語りかけます。
父は「毎日みそ汁を作ってくれ」と言って母にプロポーズしました。
母は亡くなる自身の代わりに呼春に父への味噌汁作りを託していました。

この話が一番面白かったです。
結婚で旅立つ呼春の父と母への思い、娘の旅立ちに寂しくなる父の思いが良かったです。
小川のさんのすらっとした飾り気の少ない文章は感動する物語と相性が良いと思います。
近年の私は「感動」を押し出すような物語は読まなくなっていますがこの物語は面白いと思いました。
静かに淡々と温かな感動が描かれています。


「いとしのハートコロリット」
語り手は小林という老婦人で、ショー造という夫に語りかける文章になっています。
ショー造が何か話すことはほとんどなく小林が一方的に話しているのが印象的です。
今日は二人の記念日ですが何の記念日だったかは忘れたとありました。

ショー造は認知症で小林のことが誰だか分からなくなっています。
そして読んでいて小林も認知症気味になっているのが分かりました。

今日はパーラーの特等席でご飯を食べに来ました。
小林はかつて新橋で芸者をしていて、エリート一家の前途有望な画家の卵が新橋の芸者に想いを寄せたということで、二人が付き合うのには親戚総出で反対されたとのことです。

お店に着いて「お昼に予約しております、小林ですよ」と言うとウェイトレスがきょとんとします。
その様子を見て実際には予約していないのではと思いました。

小林はハートコロリットというメニューが好きです。
細かくした子牛肉を煮込んでホワイトソースと混ぜてからカリッと揚げるとのことで、初めて聞く食べ物で興味深かったです。

ショー造とお見合いをした時にこのパーラーで初めてハートコロリットを食べました。
しかし小林がハートコロリットを頼むとボーイがそんなものはないと言います。
さらにショー造のチキンライスとポタージュスープが運ばれてきますが、チキンライスは小林が知っているものとは違い無造作に盛りつけてあるだけでした。
小林が「桜の型で抜いてくださったはずでは…」と言うとボーイが怪訝な顔をして店長を呼びに行きます。
パーラーとありましたが小林がいるのはファミリーレストランのような気がしました。

小林とショー造の息子、隆造の妻がやって来て、やはり小林はファミレスに来ていたことが分かります。
さらに一人で来ていたことも分かります。
隆造の妻が「私のことは、忘れていただいて結構です。けれど、あなたがおなかを痛めて産んだ息子や、かわいがっていた孫のことは、どうか……」と言っていたのは印象的です。
私も認知症になった祖母に私が孫なのを忘れられたのでよく分かります。


「ポルクの晩餐」
語り手は「俺」で、「俺」は高層マンションの一室で豚を飼っています。
「食堂かたつむり」にも豚を飼っている人が登場していて、小川糸さんは豚に思い入れがあるのかも知れないと思いました。

ポルクの性別は男で「俺」の愛人で、別宅には妻と娘がいます。
「俺」はポルクを連れてパリに行き心中しようとしています。
ポルクが人間の男なのか豚なのかを曖昧に描いていて、最初は豚が人間の言葉を話しているのかと思いました。

「俺」は男の愛人がいるのを妻と娘に知られ娘に「キモい」と言われショックを受け死のうと思いました。
二人で餓死しようとしましたがお腹が空きすぎて無理だったのでビストロに行ってポトフを食べます。
そのポトフがしっかり煮込まれた具材がさらさらと溶け出すかのように描写されていてとても美味しそうでした。


「季節はずれのきりたんぽ」
語り手は由里で、夫の春彦とハネムーンでハワイにいる時に父が倒れ亡くなります。
梅雨の蒸し暑い時期、母がきりたんぽを作ると言います。
秋田生まれの父にとってきりたんぽは格別の食べ物で、わが家のクリスマスのご馳走は必ずきりたんぽと決まっていたとありました。
父は病院でもきりたんぽを食べたがっていました。
母は「妻と娘が食べてたら、お父さん、悔しがって天国から引き返してくれるかもしれないと思ってね……」と言っていて、不可能と分かっていてもすがりたい心はよく分かります。

父はきりたんぽを作る時のご飯の潰し方や野菜の切り方にうるさいです。
ご飯は潰し過ぎても潰しが足りなくても文句を言い、野菜は長さが揃っていないと文句を言い、よく忠実に作ってあげていたなと思います。

「どうしてかしらね。失くしてしまってからじゃないと、大切なものの存在に気付けないの」
母のこの言葉は重みのある言葉だと思いました。
そして失くしてしまったものを悔やむとともに、今あるものに目を向けるのも大事だと思います。

母が張り切って作ったきりたんぽの味がまずくて由里は戸惑います。
やがてなぜ料理がまずくなっていたのか分かります。

母の肩の力が抜けます。
父と暮らしていた時は鰹節や昆布、椎茸や煮干しなどから丁寧にダシを取っていましたが、最後は小袋に入ったインスタントの混合ダシを使います。
インスタントのダシに由里が丸めて作ったきりたんぽを入れ、残っていた具材を適当に入れて味をつけたお吸い物のような一品を作り、それが美味しく二人とも嬉しい気持ちになります。

物語の最後の言葉が印象的でした。
季節はずれのきりたんぽは、思いのほか苦くて不味かった。この味を忘れることは、決してないだろう。
母が父を亡くした喪失感から明るさを取り戻したきりたんぽとして心に残るのだと思います。
そして衝撃のまずさとしても心に残ることから、まずいきりたんぽになることはもうないと思いました。


どの物語にも印象深い食べ物が登場します。
印象深い出来事があった時に印象深い食べ物を食べると、その味が記憶に残ることはあると思います。
嬉しい出来事の時の食べ物ならぜひまた食べたくなると思い、悲しい出来事の時もその出来事を受け止めることができるようになれば、また食べてみようと思えるのではと思います。


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