東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市日積の史跡巡りウォーキング(2/2)

2021年11月04日 | 歴史探訪他ウォーキング

 大帯姫神社を出ると、しばらく歩いて地蔵堂に行きました。この地蔵堂は地元の集会所になっているようですが、痛みが激しくて今では使われていないように見えます。江戸時代の享保年間の飢饉時に、日積で百姓一揆があったとのこと。その時の一揆の指導者が死罪となり、この地蔵堂で人知れず慰霊されています。日積では一揆が発生しましたが、田布施町の場合は一揆どころではなかったのです。飢饉で住民の1/3が亡くなったとの記録があります。ほとんどが栄養失調による疾病で亡くなったとか。子供が特に多く亡くなったようです。小さく弱い子供は生きることが難しかったのでしょう。

      史跡巡りスタート地点の柳井市日積ふれあいどころ437


  地蔵堂で小休止した後、大畠側に向かってしばらく歩きました。そして、鳩子川に架かる橋に着きました。橋を渡って道を分かれ、ひたすら鳩子川の上流に向かって歩きました。この道は、かつては日積と由宇を結ぶ街道でした。軽自動車一台が通ることができる狭くがれた道を歩きました。最奥部にある棚田を見下ろしながらさらに進むと、目的地の一つである鳩子の滝に着きました。

 慰霊碑が建つ地蔵堂     棚田を見ながら歩く   木立の中の鳩子の滝
  

 鳩子の滝で昼食休憩をとりました。しばらく休憩すると、銭壺山に向かう荒れた古道を登ってみました。途中数軒の廃屋がありました。なんとか歩くことができる道が竹藪の向こうに続いていました。今回は銭壺山に登ることが目的ではないため、途中で登ることを止めました。かつて人々が歩いたこの古道を歩いてみたいものです。数年前に、麻郷と麻里府を繋ぐ峠の古道を整備したことがありました。鎌やノコギリを持って行きました。残念ながらこうでもしないと、通ることでできない古道が増えました。

  由宇~日積間の古道を下る        福楽寺の名水に到着し休憩
 

 銭壺山に向かう荒れた古道を戻り、鳩子の滝に着きました。今度は、老人ホームあそか苑に向かって道をどんどん下りました。そして、あそか苑傍の早乙女塚に行きました。ところで、早乙女塚に向かって道を下っていると、なんと麻郷高塔に住むTさん達が柿をもいでいるところに出会いました。その偶然には本当に驚きました。Tさんが日積から嫁いでいることを初めて知りました。私は二個の柿をいただきました。ありがとうございました。

 いただいた柿を食べる   綺麗に咲いたコスモス   ふれあい437に戻る
  

 さて、早乙女塚は田んぼの中にあり小石が積まれていました。その昔、この早乙女塚でどんなドラマがあったのでしょうか。早乙女塚を見終わると、さらに道を下って福楽寺の名水に行きました。そこで休憩しながら、いただいた柿を一つ食べました。疲れた体に甘い柿の美味しかったこと!しばらく休憩した後、綺麗に咲いていたコスモス畑に立ち寄りました。その後は、ひたすら、ふれあいどころ437に向かって歩きました。到着するとアイスクリームを食べながら休憩しました。今回の史跡巡りに参加された方々お疲れ様でした。

       柳井市日積の史跡巡りをしたウォーキングのコース

コメント
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