東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市伊保庄の山間部の史跡事前調査ウォーキング(1/4)

2021年11月21日 | 歴史探訪他ウォーキング

 今年の史跡巡りウォーキングは11月で終わりです。そろそろ来年の史跡巡りの計画を立てなければなりません。そこで、まだ史跡巡りをしていない柳井市伊保庄の山間部を調査ウォーキングしてみました。参考にしたのは柳井市が出している「柳井にっぽん晴れ街道」です。その伊保庄の頁を参考にしました。スタートしたのは伊保庄にあるセブンイレブンです。そこをスタートすると、新しい舗装道路をどんどん歩いて南下しました。
 この新しい道はまだ開通しておらず、一部の方しか通らないようです。たまに車が通ります。右側の崖に注意しながら歩きました。その崖を這い上がるように作られている細い坂道があると、その坂道を登っては山に入りました。山にあるはずの行者堂を探すためです。最初に登った坂の上にはありませんでした。探索失敗です。再び舗装道路に降りて、次の坂道を登りました。坂道の最上部から山の中を徘徊するように探しまわると、やっと目的の行者堂跡を見つけることができました。

     山の中を徘徊するように探しまわり、やっと見つけた行者堂跡


 行者堂跡の周りを見渡すと、石垣跡があったり礎石と思われる石がありました。しかし、何十年も放置されたのでしょうか、それらの石はばらばらに置かれていました。唯一ちゃんとしていたのは祠です。その祠は、雨風が当たらないように石の屋根で覆われていました。まるで、古墳の石室の入口のようにみえました。

 行けども行けども獣道     壁状の大きな岩     半ば崩れた石垣
  

 かつてはお社があったようです。お社の柱を支える礎石と思われる石が転がっていました。瓦の破片が無いところをみると、茅葺屋根のお社があったと思われます。お社が建っていたらしい場所には石垣の跡がありました。石垣跡には草が無造作に生えていました。

     礎石の思われる石         山から見下ろした柳井湾
 

 この行者堂はだいぶ昔に廃されたように見えます。参道跡と思われる道は獣道化していますし、たくさんの倒木が山道をふさいでいます。山道は行者堂跡からさらに山奥に続いていました。その山道を行けば石柱か何かの史跡があるかも知れません。また、平生に通じる山道が残存しているのかも知れません。しかし、これ以上進むと道に迷う恐れがあります。そのため、今回はこの行者堂跡だけにしました。次に、金毘羅社跡に向かいました。

        柳井市伊保庄の山間部の史跡調査をしたルート

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