東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

國木田独歩生誕150年記念 JR田布施駅周辺の関連史跡を巡りながら解説

2021年11月16日 | 歴史探訪他ウォーキング

 第一回の國木田独歩関連史跡巡りウォーキングは麻里府と麻郷を回りました。第二回の今回は、JR田布施駅周辺の関連史跡を巡りました。第一回と比べて距離が短いため、巡るだけでは時間が余ります。そのため、最初に田布施郷土館で開催中の國木田独歩生誕150年記念展示会を見ていただきました。私の方から、独歩が生誕してから亡くなるまでの独歩の住所,関わった人物,出かけた山や海などの場所,田布施に関わる小説などについて詳しくお話をしました。1時間程お話をしたでしょうか。お話が終わると、独歩に関わる史跡を案内しました。そして、史跡に着くたびに解説をしました。なお、コロナ対策のため第一回目もこの第二回も参加者を二十名に絞らせていただきました。

       田布施町郷土館に集合、史跡巡りする前に開催の挨拶

 
 郷土館を出ると、JR田布施傍の陸橋を渡り山陽本線の北側の長合地区に行きました。ちなみに独歩が田布施にいた頃はまだ山陽本線はありませんでした。独歩が去って数年後に開通しました。波野英学塾跡石碑に到着すると、今の東田布施小学校の長合分校跡であったことや、なぜ独歩がここで英学塾を開いたか、この塾がなぜ長続きしなかったなどについて解説をしました。

  波野英学塾跡石碑     上ゲ地区を歩く     富永有隣の定基塾跡
  

 波野英学塾跡を出て歩いていると、かつてあった山陽本線の遮断機跡に着きました。遮断機跡前でいったん止まって、独歩がいた頃はここに街道をあったことを説明しまた。独歩はこの街道を歩いて麻郷から波野英学塾跡に通っていたのです。山陽本線が開通したことによって、この街道は遮断されてしまい今に至ります。
 続いて、牛や馬が水を飲んだ場所と言われるお地蔵様に行きました。そのお地蔵様前で灸川の由来と牛との関わりや「さばらい」についてお話をしました。そのお地蔵様を過ぎて、少し歩くと富永有隣の定基期跡です。

    石崎ためが嫁いだ専福寺      全員無事に史跡巡りを終える
 

 定基塾跡では、富永有隣、東久治、そして独歩の関係についてお話をしました。そして、小説「富岡先生」と富永有隣の関係についてお話をしました。お話が終わると、専福寺に向かいました。専福寺に到着すると、独歩が家庭教師をしていた石崎ため(独歩が求婚した石埼とみの妹)のお話をしました。石崎ためは専福寺に嫁ぎ、幼稚園を開園して数百人の園児の教育をしました。その功績をたたえる追悼碑が専福寺に建っています。
 石崎ためのお話が終わると、戊辰戦争と専福寺の関係についてお話をしました。第二次長州征伐で幕府軍とたたかった第二奇兵隊は当時この専福寺に駐屯していました。戊辰戦争では東北などを転戦しました。専福寺に残された第二奇兵隊の史跡を解説しました。その解説が終わると史跡巡りは終わりです。みなさんと一緒に、来た道を通って田布施町郷土館まで帰りました。参加された方々、お疲れさまでした。

        JR田布施駅周辺の國木田独歩に関わる史跡巡りコース

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