東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

防陽八十八ヶ所霊場の実踏調査 26番~30番ヶ所霊場 田布施町編(1/5)

2014年09月28日 | ふるさと

 私は、ウォーキングなどで神社やお寺などを訪れることがよくあります。この田布施町内をあちこち訪れていると、かつて霊場の御札所だったお寺や観音堂などがあることに気がつきました。私が最近知った霊場だけでも、防陽八十八ヶ所霊場、周陽八十八ヶ所霊場,南陽八十八ヶ所霊場,平和八十八ヶ所霊場,そして南平和八十八ヶ所霊場です。なお前者三つの霊場は、柳井市のお大師様(金剛寺)が一番ヶ所霊場か八十八番ヶ所霊場となっています。つまり、柳井市のお大師様(金剛寺)が、この地域の中心的な霊場だったことが分かります。

第一番ヶ所霊場、柳井市金剛寺(お大師さま)     二つの霊場を兼ねる御札所の例
 

 これらの霊場は複雑に入り組んでいます。一つの御札所が、二つの霊場の御札所を兼ねていることが少なくありません。何故兼ねているのでしょうか。
 もう一つの不思議ですが、防陽八十八ヶ所霊場は、普通の人ならばとても一日では回りきれない距離です。ざっと見て50km位はあると思います。巡礼者は宿泊をどうしていたのでしょうか。江戸時代後期に船で栄えた、柳井,水場,室積には宿場があったかも知れませんが謎です。ちなみに、巡礼地として有名な四国や埼玉県秩父の八十八ヶ所霊場は、今も宿泊施設が整備されています。

                 防陽二十六番札所の平生町竪ヶ浜の知願寺


 昔話を調べていると「昔、白装束の巡礼者を見かけた。」との話を時々耳にします。そこで、民間信仰を調べる上で外せない、これらの霊場の巡礼地を調べてみることにしました。その中で、使い古されて今にも千切れそうな「防陽八十八ヶ所霊場及里程表」を手に入れたので、この霊場を最初に調べてみることにしました。私が住んでいるために調べやすい田布施町から調査してみました。

     防陽二十七番札所、極楽寺の跡            極楽寺本堂跡傍のお堂
 

 最初に二十六番札所である平生町竪ヶ浜の知願寺に行きました。我家の代々の墓所があるお寺です。次の二十七番札所の極楽寺は柳井市余田にあるはずですが、いろいろ探して訪れると廃寺となっていました。本堂跡石碑とお堂が静かに建っていました。近所に方に聞くと、50年位前にお寺の運営ができなくなり、最後の娘さんが廃寺にしたそうです。その時、お墓などの運営を田布施町波野の大恩寺にお願いして移管したとのことです。大恩寺は、続く防陽二十八番札所で、飢民の碑などで田布施町では良く知られたお寺です。

     防陽二十八番札所の大恩寺       防陽二十九番札所、祇園観音/大師堂
 

 続く防陽二十九番札所が当初、まったく分かりませんでした。「防陽八十八ヶ所霊場及里程表」には、「上敬会所」と書かれていました。「教会所」の間違いかと思い、波野の天理教の教会所を訪れました。すると、天理教では巡礼はしないとのことでした。距離などをいろいろ調べた結果、波野の祇園観音だと分かりました。ただ、祇園観音と大師堂(弘法大師)の二つがほぼ同じ場所にあります。巡礼は通常「お大師巡り」とも呼ばれるので、後者の「大師堂」ではないかとも思います。近所の方のお話では、最近まで千坊山光福寺のご住職がこの大師堂にお祈りに来ていたそうです。御札所だったことは間違いないようです。
 そして次は、防陽三十番札所は長合の円満寺です。このお寺はこれまで何度も訪れましたので、すぐに分かりました。


      防陽三十番札所は長合の円満寺、円満寺内には小さな八十八ヶ所がある


 時代を考証すると、江戸時代後半に全国的な巡礼ブームがありました。例えば、お伊勢参りは有名です。この防陽八十八ヶ所霊場は、当時この地域で流行った巡礼地の一つだったのではないでしょうか。そこで、巡礼ルートの一部がある田布施町内の防陽八十八ヶ所霊場を最初に調査・確認しようと思います。そして、言い伝えられている「巡礼」を発掘しようと思います。

防陽八十八箇所 26~30番霊場(御札所)
 26番霊場:竪ヶ浜 知願寺     27番霊場:余田 極楽寺(廃寺)
 28番霊場:波野 大恩寺      29番霊場:祇園 祇園観音(大師堂)
 30番霊場:長合 円満寺

コメント (3)
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