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湘南ライナー日記 SHONAN LINER NOTES

会社帰りの湘南ライナーの中で書いていた日記を継続中

砂糖をかけて食べたのだ

2011-07-14 19:22:10 | 思い出日和


前にも書いたかなぁ。
子供の頃のトマトは今のように完熟じゃなくて、いわゆる「青いトマト」で、砂糖をかけて食べたのだ。信じられないと思うけど。
でも、その砂糖の甘さが青さに妙にマッチしてうまかったのを思い出す。
今は糖分控えめが主流だけど、砂糖がありがたい時代が合ったのだ。
って、いつの時代よ(笑)。

写真は青いけど、これは真っ赤になる前の青さ。昔のは真っ赤にならなかったんだよね。

おもいで公園

2011-06-01 21:21:56 | 思い出日和


私の記憶力が確かならば、初めての男女交際は横浜公園である。中1の時だったか。
とはいっても、相手は好きな子というわけでもなく、単に男女二人ずつで出かけただけというカワイイもの(笑)。しかも、女の子たちにむりやり連れ出されたカンジだった。
「開港記念バザーっていってお店がたくさん出て楽しいんだって」
そんな誘い文句だった気がする。

ところが行ってみると、植木市だった(笑)。

今みたいに物販やフード系のブースも、お祭り系の露店も少なく、どう見たってやっぱり植木市。どうしたもんかと思いつつも、僕は後ろ手を組んでフンフンなかなかいい枝振りじゃなんて言いながらおどけて歩いてみせるのだった。
今では女の子たちの顔も名前も思い出せないけれど、今日植木市…じゃなかった第80回開港記念バザーの会場を歩きながら甘酸っぱい日を思い出したのだった。

そういえば、当時横浜公園に建っていたのは『横浜スタジアム』ではなく、まだ『平和球場』だった。

思い出ボロシャツ

2011-05-10 21:18:59 | 思い出日和


タンスを整理していたら、こんなポロシャツが出てきた。
横浜山手の『トイズクラブ』の刺繍がある。若いころ併設されている『ブリキのおもちゃ博物館』に、よく出かけ、その度にTシャツやトレーナーなども買い求めたものだ。

ポロシャツも、このタイプのずっと前、刺繍ではなく丸いワッペンタイプのものをオープン間もない頃に買って、ボロボロになるまで着た記憶がある。

ところが、ある日、広げた神奈川新聞にそのポロシャツと同じものが全面広告として載っていたのだから驚いた。
しかも、「WANTED!」の文字と一緒に「このポロシャツを¥100,000で買います!」とある。どんなに状態がよくなくてもだという。
ん~、残念!
もうとっくに捨ててしまっていたのだ。このときばかりは地団太を踏みまくったものだ(笑)。




先月までその神奈川新聞の『わが人生』欄を、ブリキのおもちゃ博物館館長の北原照久氏が執筆している。そして、4月12日にあの「WANTED!」広告のエピソードが綴られていた。オープン当初は、元町にあった無印良品でポロシャツを買ってきてワッペンを縫いつけていたそうだ。その後、メーカーから売り込みがあって量産がスタートした。この「WANTED!」、実は原点を忘れかけていた自分たち自身に向けたオープン10周年広告だったのだという。

「反響は3枚あり、2枚は買わせていただいた。もう1枚は持ち込んだ人が思い出だから持っていたいと言ってくれた。それも嬉しいことだった」
と書かれていた。

「思い出だから持っていたい」とは、なんとステキな。
僕なんか、黄ばんでボロボロだからと何にも考えずあっさり捨てちゃったんだよね(笑)。

もし、僕の手元にあの手作りポロが残っていたとしたらどうしただろう。迷わず持っていったかな?
いや、10万円で引き取るということは、それだけの価値があるということ。だったら、もっと値が上がるかもしれないから、それまで寝かせておこう…ウワッ、なんてアサマシイ考えだろう(笑)。
でも、こういうことって、北原氏が鑑定人をつとめる『なんでも鑑定団』では、よく聞く話だったりして(笑)。


タイガーマスクと500円札

2011-01-13 23:03:28 | 思い出日和


「タイガーマスク」と聞くたびによみがえってくる思い出がある。
僕はタイガーマスクにサインをもらったことがあるのだ。
といっても、初代タイガーマスクの佐山聡氏からではない。アニメ時代のタイガーマスクからである。

あれは小学6年生の頃。
二俣川駅南口のロータリー脇にリングが設けられ、そこで当時大人気だったタイガーマスクのショーが開催された。今でいえば「ウルトラマンショー」とか「なんとかレンジャーショー」の類である。
そこで、どういう経緯だったかは思い出せないのだが、僕はリングサイドで実況中継をやった(笑)。確かショーの中で、子供たちが覆面悪役レスラーたちに挑戦するようなコーナーがあって、なぜかそこで僕だけがマイクを握ることになったのだ。大きな声を上げるたびに駅前に響き渡って、街中に届いちゃうんじゃないかと震えたのを覚えている。それでも、面白いことを言うとの観客がワーッと湧いて、めちゃめちゃ気持ちよかった。
コーナーが終わると、ホンモノの司会者に呼ばれリング中央に歩み出る。すると、何人かのレスラーたちのサインが入った色紙に、最後にその場でタイガーがサイン。それを手渡されたのだ。
もちろん、当時はタイガーマスクはまだマンガやアニメでしかなかったのだから、これは単なるショーなのだと理解はしていたが、それでもとても嬉しくて誇らしく思ったものだ。

リングを降りると人垣の奥で遠縁のおばちゃん(駅前の二宮書店の創業者の奥さん)がニコニコして待っていた。
そして、「よかったよ、ごほうび」と言いながら、五百円札(札って…)を手渡された!

このところ毎日のように耳にする「タイガーマスク」という名。
僕には、ランドセルや文房具ではなく、サイン色紙と500円札が思い浮かぶのだ。


写真は、本文とも、虎の穴とも、ちびっこハウスとも関係ありません。

そんなことはアルマイト

2010-10-02 21:38:36 | 思い出日和


肉そぼろ、卵そぼろ、桜でんぶ…
アルマイトのフタを開けると、三色がきれいだった。
鮮明に覚えているのは、幼稚園のころのお弁当だ。

その後で思い出すのは、鈍い茶色系のおかず。
煮しめである。
にんじん、ごぼう、里芋、れんこん、椎茸、こんにゃく、いんげんなど、地味~な野菜を醤油やみりんなどで地味~に煮込んだ、キングオブ地味~な料理だ。
中高校時代、僕のアルマイトの弁当箱に入っている確率ダントツ1位だった。
嫌いではないのだが、あまりにも地味で、あまりにもたくさん食べ過ぎて、だんだんイヤになってきた。おまけに、時々その汁が白いご飯にまで染み出て、悪いときは弁当箱からもこぼれて、鞄の中から地味~な匂いを放つ(笑)。
社会人になって母製の弁当から離れて以来、煮しめを口にすることもなくなった。
しかし、若いうちは見向きもしなかった野菜の煮物関係が、歳を重ねるうちに恋しくなってくる。そんなこたぁあるまいと思っていたのに、いつのまにか好んで食べるようになってしまったのである。

今日の写真は、鎌倉東口「丸七商店街」内の荒物屋さん。リサイクルなのかデッドストックなのか、アルマイトのお弁当箱やら昭和的な台所用品が狭い店内にズラリ。奥には、ホンモノの流し(キッチン)がある(笑)。

ゴジラとホットドッグ

2009-10-15 23:41:49 | 思い出日和


「ぜったい買ってくると思ってた」
ズバリ、息子に言われてしまった『東宝特撮映画DVDコレクション』(ディアゴスティーニ)の創刊号『ゴジラ』である。
自分が子供の頃は親に映画館に連れて行ってもらい、息子が子供の時は僕が連れて観にいったゴジラシリーズ。その第一作だ。
さすがに、これは僕もまだ生まれていない昭和29年の作品。
僕の記憶の中では、この作品はホットドッグとセットになっている。
小学校の2~3年の頃だろうか。たぶん土曜日の午後、同級生の家に遊びに行った時のこと。彼は、二俣川銀座を抜けて運転試験場へ向かう道の高台にあった石井光学というメーカーの息子。つまりそこは社長さんの家だ。広い室内、ダイニングとキッチンの境にカウンターがある造りに衝撃を受けた。何しろ当時ウチは、ちゃぶ台でメシを食っていたのだから(笑)。
そのカウンターに並んで座って、その家ではたぶん2台目であろうテレビを見た。
そこに映し出されていたのが「ゴジラ」第一作だったのである。
怖かった。でも、面白かった。モノクロの画面と低音が響き渡るような音楽、そしてゴジラの叫び声に、ふたりでギャーギャーいって騒いだのを覚えている。それまでに劇場でゴジラシリーズは観ていたが、途中から怖いというよりも面白い、僕らの味方みたいな立ち位置になっていたので、この第一作は実に衝撃的だったのだ。
そして映画の途中、彼のお母さんがカウンター越しに「どうぞ」と出してくれたのが、白いお皿に載った手づくりのホットドッグ。
温かくてフカフカで、うまかった。
家でそんなしゃれたホットドッグなどというものを作るなど思いもよらない時代、この衝撃も大きく、以来ゴジラとホットドッグはセットになって僕の脳裏に刻み込まれたというわけだ。
数十年ぶりに観たゴジラは、当時の記憶を呼び覚ますには充分。ただ、背景に写る昭和の街並みを期待した分、ちょっとばかり物足りなかったかな。というのも、ほとんどがセットで撮影されていたから。そりゃそうですよね、「東宝特撮映画」だから(笑)。

青い目の美女

2009-06-05 22:58:33 | 思い出日和


長い人生の中で、外国人の方との接点はほとんどないのだが、一度だけ白人の美女に見初められたことがある。
大学生のころ、横浜スタジアムで球場係員のアルバイトをしていた時のことだ。
大学女子ホッケーの国際親善試合があった。確か相手はアメリカかカナダだったような気がする。
関係者入口のあたりで、外国人チームとバッタリ出くわして、その中の一人に見つめられてしまった。気がついたら“ロックオン”状態。白人の美女は美女だったが、とにかくガタイがたいしたもんだった。
そして、話しかけられる寸前、何か用事を思い出したかのようなふりをして僕は逃げ出したのだ。
試合が始まった。客席からフィールドを見ていると(おいおい仕事はどーした)、またその娘が活躍するんだな。グイグイ行く。ほれぼれする程の力強さ。いや~美女なんだけどねぇ。
試合終了後、彼女はチームメイトと共に、明らかに係員のユニフォーム姿を探していた。みんなが引きあげていくのに、いつまでも観客席を見上げているのだ。その様子を、僕はゲートの影から見ていた。まるで、缶蹴りで物影から鬼の動向をそ~っと見ている気分。ドキドキした。
いや、彼女にすれば、はるばる遠い東洋の国までやってきたんやさかい、ペンフレンドでも作って帰ろかてな軽い気持ちだったのかもしれない。
しかし、僕にはそうは見えなかった。
絶対に“喰われちゃう”と思ったのだ。
いま思えば、もったいないことをしたと悔やむばかりだが、あのころの僕には、まだ日本代表として戦う準備はできていなかったのである。

写真は、きのうの代々木駅。必殺ノーファインダーで。この方は華奢な美人さん。本文とはまったく関係ありません。
ちなみに、明日はサッカーW杯最終予選です(笑)。

臨戦態勢

2009-05-26 21:45:49 | 思い出日和


「誰だ!」
突然電気が消えてしまった真っ暗なラブホテルの部屋。
どこかに照明のスイッチがないかと手探りで歩みを進めると、わずかな光があり、しかもそれが一瞬動いて見えたのだ。部屋の明かりを消した“犯人”に違いないと思い、「誰だ!」と腹の底から声をあげる。自分でも、よくそんな大きな声が出たもんだと驚いたくらい。
そして、臨戦態勢をとる。
さあ来い。

…と身構えているのに反応がない。この暗さでは、向こうもこちらが見えていないはずだ。しかし、油断はできない。緊張が続く。
おぉ、ようやく少し眼がなれてきた。さっきの光のところを再び見ると、確かに手が見える。
よーし、そこかと手を伸ばそうとすると、その手も同時に動く。引っ込めると、その手も引っ込む。なんと、そこは鏡になっていて、自分の手が映っていただけだったのだ。
つまり、誰もいない(笑)。
また手探りで電話を探してフロントにかけると、何かの手違いで電源を切ってしまったとのこと。
ヘナヘナと力が抜けた。
いきなりパッと電気が点いた。目の前にあるその鏡には、真っ裸の自分が映っていた。
別の意味で臨戦態勢の時に停電したのだった。
もう何十年も前の若いころの話である。

写真は、横須賀を自転車で走った時に。三崎街道の旧道にある現役の『福助ホテル』だ。普通のホテルなのかな?尚、本文とはまったく関係ありません。

川崎旅情

2009-05-16 22:22:37 | 思い出日和


ムサコとモトスミを歩いて、トルコライスを食べた後、久々の南武線に揺られて川崎駅へ。
今は亡き川崎球場を訪ねた。いや、今もあるんですね川崎球場。スタンドは姿を消していたが、3基の照明塔は当時のままが活かされているという。
ここへは、大学生の頃バイトで何度か来ている。横浜スタジアムで球場係員がメインだったが、雇い主であるシミズスポーツ(現シミズオクト)が関東の各球場(西武球場を除く)をカバーしていたので、時々他の球場にヘルプに行くことがあったのだ。
後楽園も、神宮も楽しかったが、川崎は特に楽しみだった。
当時はロッテ(現・千葉ロッテ)の本拠地だったが、なにしろいつもガラガラで、声が筒抜け(笑)。いや、スタンドからの声だけじゃないですよ、選手やコーチたちの声も全部。コーチとスタンドの掛け合いがあったりしたんだから、ホント。のんびりした雰囲気なのに、妙な緊張感があった。「川崎劇場」と呼ばれるずっと前の話だ。
そして、僕らはファウルボールがスタンドに飛び込むと回収に走る。そして、拾った人にボールと交換にロッテのガムを進呈するのだ。他の球場では回収に手間取ることも多かっただけに、このシステムはうらやましかった。
それに、なんといってもラーメン屋さんですね。シンプルで、しかも立ち食いだったけど、これがうまかった。僕がいつも懐かしがっている昭和のラーメンは、ここの記憶だったのかもしれない。
今日は、アメラグのゲームで賑わい出店もあったが、残念ながらラーメン屋は見えなかった。でも、ちゃんとシミズオクトのお兄ちゃんがチケットをもぎっていたのだった。


こうやって撮ると、当時の感じに見えませんか。

本当は自転車で走るはずだったが、歩きにしたおかげで、いろいろ発見できました。




このあたりは区画整理されてしまうようですね。往時が偲ばれるいい雰囲気だけど。


「紙石鹸」って…


いい路地でした。


ステキな店すぎて、もう言葉はいりませんね。


いつまでも続いてほしいお店です。

あの頃は、川崎球場までの道のりは、けっこう恐いイメージだったけど、今はなんでもないね。今日も昼間っから人が続々と風俗店に吸い込まれていくのにはビックリした。

ムサコとモトスミ

2009-05-16 21:21:31 | 思い出日和


朝、表へ出たら空が今にも泣き出しそう。
そこで、折り畳み自転車を諦め、折り畳み傘を鞄に入れて歩きに変更した。
本日のテーマは『トルコライス』と『高校』と『川崎球場』である。当初は、自転車で行く『海底トンネル』をプラスするはずだったのだが、これは次回のお楽しみにとっておこう。
以前この新聞連載中に読んで興味津々だったトルコライス。そのお店の場所が母校のある武蔵小杉だったので、いつかはセットでと考えていたのだ。

まずは『高校』編。
僕の高校の卒業証書の学校名は『法政二高』となっているが、実は入学したのは『法政大学工業高校』である。僕たちが3年になる時に二高と合併(事実上は吸収された)したのだ。
学力レベルは二高の方がはるかに高かったので、ひとからはよく「ラッキーだったじゃん」などと言われたのだが、個人的には今でも『法政工業』の名のまま卒業したかったと思っている。小さな学校だったけど、けっこう誇りを持っていたんだよね。
今日は、まず元住吉駅からアプローチ。
モトスミというと思う出すことがある。あの頃は地下に改札があり、そこを出て右に進むとオレンジ色のジャケットを着た男が階段を降りてきた。まぶしかった。誰かと思ったら、永ちゃんだったんだ。スゴイ存在感だったことを思い出した。
そのモトスミは橋上駅になっていた!
商店街を歩いてみると、どうも記憶にない。これは、武蔵小杉駅へ向かう法政二高通りでも同様だった。古いお店も残っているようなのにだ。
まあ、何十年も前のことだし、考えてみれば通っていたのは僕の長い人生の中のたった3年間だもんね。とはいっても、校舎はよく覚えていたし、ほとんどそのままだった。
時計塔の校舎も、僕たちの校舎も、白くペイントされていたが、形はあのころのまま使用されていた。今は法政二中が使用しているらしい。そういえば、よくたむろしていた部室棟は撤去されていたな。


おっ、見えてきました。ここ、ここ、この校舎。今は、二中が使っているらしい。


中庭は今はアーチェリー場のようだが、当時は野球場?
お昼休みはゴムボールと角材バットでの熱戦が毎日展開されていたのを思い出した。


ここだったなあ、教室。

そして、あのころは普通だったので全く気づかなかったが(笑)、このあたりにも古くて味のある建物がけっこうありました。








「アランドロン」って…