湘南ライナー日記 SHONAN LINER NOTES

会社帰りの湘南ライナーの中で書いていた日記を継続中

中華街の喫茶店

2014-03-26 21:06:24 | 思い出日和


窓際の席に腰を下ろした途端、この方が呟いた。

「あっ、オレぜったいこの席ででインベーダーゲームやった」

久しぶりにお昼をご一緒した後、たまたま入ったのが喫茶店『ホルン』。にぎやかな中華街にあって、路地にひっそり佇む風情がいい。いつも通る度に気になっていた店だ。

注文してから豆を挽きコーヒーを丁寧に淹れてくれたお母さんにが二代目だそう。オープンからは数えて37年になるとのことなので、背中を丸めキューンキューンと夢中でボタンを押していたのはたぶん開店まもないころのことだろう。

染みついてかすかに漂う煙草臭は気になるけど、この店の歴史を感じさせてくれる。それでも、平日にもかかわらずお祭りのような中華街の喧騒から逃れ、ちょっと一服するにはとてもいい空間だ。だからこそ、今日まで続いているのかもしれない。



♪あの頃は恋だとは知らないで~

大きめのカップに並々と注がれた珈琲。強めの酸味は、若い頃の切ない日々を思い出させるには充分だった…
ってしみじみ語ったけど、よく考えたらオレにとってはこの店、何の思い出もなかったよ!
でも、そんな感傷に浸れそうな雰囲気なんだよね、ここ。

中華街レトロ

2014-02-24 18:14:07 | 思い出日和


「ナンキンマチ」
子供のころ、中華街はそう呼ばれていた。極彩色で、にぎやかで、高いトーンの中国語が飛び交い、香ばしい匂いが漂っていた。

今でも歩いている人の服装や、店の前の立て看板を除けば、あの頃とそう変わらないようにも思える。
そんな中でもちょっと気をつけていると、ちょっと懐かしい風景に出会えるところが面白い。




ほっ時計ない話

2013-06-21 20:20:53 | 思い出日和


「時計塔」解体へ

今朝の神奈川新聞に、こんな見出しを見つけた。
武蔵小杉といえば今やムサコマンハッタンと呼ばれるほど駅チカの高層マンション群が有名だが、かつてのランドマークといえば法政二高の時計塔だったのだ(ほんとか?)。あのあたりはアップダウンがなく、そのうえ以前は高い建物もなかったので、かなり遠くからでも見えたものだ。
そこへ3年間(プラス大学の体育の授業で1年間)通った身としては「解体」はショックである。思い出とともに、いつまでもそこにあり続けるものだとばかり思っていたから。

「10年20年と考えた時に安全に対する不安が大きい。皆さんに親しまれていきただけに、苦渋の決断だった」という副校長の話が載っている。16年度からの男女共学化に合わせ校舎を全面改装するとのことだが、こういう古いものを大切に使っていく姿勢、そこで学生生活を送らせることだって立派な教育の一貫だと思うんだけどね。

実は僕は法政工業生だったので時々しか使うことはなかったのだが、この校舎に入ると独特の匂いと薄暗さが歴史と何か格式高さを彷彿とさせて大好きだったのだ。もう一度、見ておきたいなぁ。
僕が通っていた頃は、主に「法政大学短期学部」が使用していたと記憶している。夜間で「法政短大」というのがあったのだ。あの江川卓さんは慶応の受験に失敗し、その法政短大に入学。2年間を終えて4年制の「法政大学」3年生に編入している。当時の野球部員はけっこうこのコースが多かったらしい。

輪タク

2013-01-24 23:12:56 | 思い出日和


子供の頃ときどき訪れた町には懐かしい匂いがする。
駅舎は建て替えられ、駅前もきれいになっていたけど、少しだけ横道に入ったら古い建物も残っていた。
残っていたんだけど、停まっている車が違っていたなぁ(笑)。

鎌倉同窓会

2012-11-29 23:15:58 | 思い出日和


鎌倉時代の同窓会。
もとい、前職の「みんなの鎌倉遠足」の仲間達が大船に集合した。
考えてみたら、去年の今頃は秋のツアーを催行しながら年明けからのツアーを組み立てていた繁忙期だった。でも、なんだかもっとずっと遠い昔の話のような気がするのだ。忙しかったけれど、実に楽しい毎日。好きなことを仕事にしたわずかな時間が、とてもいい思い出になっている。
もう一度、鎌倉でみんなで会おうと別れたのだった。

大学時代のひとコマ

2012-11-21 20:13:28 | 思い出日和


何十年ぶりの大学での授業。
といっても、1コマだけ見せてもらったにすぎないんだけどね。しかも、母校ではない。でも、不思議なのは、場所も、教室も、机も、学生のスタイルだって何もかも違うのに、なんだかとっても懐かしいってこと。
よく考えたら、たったの4年しか通ってないのにね。おまけに、学校で何をしたかすらあまり覚えていないくせに、大学という空間に居るだけで、やたら懐かしい。
いま思えば、もっとちゃんと学んでおけば良かったなんて後悔するけど、これだけ懐かしく思えるのだから、それはそれで意味のあるたったの4年間だったのかもしれないな。

30年に1回の同窓会

2012-10-04 23:07:37 | 思い出日和


全国を単身赴任で渡り歩く大学時代の友人が来浜。
おっさん二人旅のメンバーと共に、中華街で一杯やったのだ。といっても、オレたち二人はもともと呑めず、来浜した友人もドクターストップで、全員がウーロン茶である。あの騒がしいおじさんたち、まさかノンアルコールだとは誰も思わなかったはず(笑)。
それほどよく笑い、よく食べた。

「またね」と言って別れたけど、次に会うのはいつだろう。
今日は30数年ぶりだったけど、30年後といえば、もう生きてないかもしれないなぁ。

ブッチャーけ話

2012-09-18 22:18:40 | 思い出日和


横浜文化体育館といえば、プロレスである。
大学時代の横浜スタジアム球場係員のアルバイトの雇用主がシミズスポーツ(現シミズオクト)で、野球のない日は“イロモノ”といわれるテレビラジオ芸能関係やプロレスにも呼ばれて係員をつとめることがあった。
そして、プロレスの仕事で忘れられないのがレスラーたちとのニアミスだ。文化体育館では、ジャイアント馬場とは食堂で一緒に「水戸黄門」の再放送を見たり、レフェリーの葉巻をくわえたジョー樋口から「誰々が来たらオレのところへ通してくれ」とチョクで依頼されたり(笑)。
しかし、強烈だったのはあのアブドーラ・ザ・ブッチャーだ。
僕は入口のドア際に立ち、関係者か否かをチェックしていた。そこへ、いきなり彼が現れた。いつもテレビで見ていたから巨漢であることはわかっていたが、彼の分厚さは想像以上だった。立っていた僕の腹にブッチャーの腹がぶつかり、そしてギロリと睨まれた。額に刻まれた幾筋もの深い傷を数十センチの距離で目撃。その迫力に、金縛りにあったようにまったく身動きできなくなったのを覚えている。
写真の右側の扉での出来事だった。

ちなみに、横浜文化体育館は竣工からちょうど50年。

まさかベーカリー

2012-09-12 20:18:56 | 思い出日和


子供のころ、相鉄線の瀬谷駅からバスに乗って母親の実家に向かった。その瀬谷駅に、今日何十年ぶりかで降り立ったのだ。

駅舎は近代的なものに変わっているものの、駅前のローカルなのんびりした雰囲気がとても懐かしい感じ。
今はバスの姿もバス停も見えないが、ここから乗って左に進み、帰りは右の道から戻って来たと記憶している。今日はその右の道を歩いてアポイント先に向かったのだが、道路は狭くてよくバスが走っていたなぁと感心する。いや、あまりの狭さに勘違いだったかとも思い、アポ先で尋ねたら「確かに通っていた」とのこと。
そうか、あの見事なハンドルさばきは、やっぱりこの道だったんだなと嬉しくなってきた。



さて、その道沿いの住宅街に古そうなパン屋さんを発見した。『あさかベーカリー』と書かれている。お客さんが次々と入っていく。つられて入った(笑)。
調理パンやサンドイッチがショーケースにずらりと並ぶ。どれも小ぶりで100円前後である。一度にいろいろな種類を味わえて嬉しい、楽しい。みんなたくさん買っていく。「1780円ですね」なんて声も聞こえてくるぞ。すごい、すごい。
僕も、カレーパンとクリームパンを購入。二つで180円。想像どおり普通にうまかった。

このお店、創業が昭和36年だというから、僕がバスでこの前を通ったときには間違いなく存在していたわけで、またまた嬉しくなったのである。


瀬谷駅前。懐かしい感じだけど「Digital」って書いてある。

パン・アメリカンダイナーの記憶

2012-08-10 21:17:46 | 思い出日和


パイオニアのカーステ「ロンサムカーボーイ」のCMのような。あるいは片岡義男の文庫本の表紙のような。

あのころあこがれだったアメリカンダイナーがあったのだ。

学生のころ、何度か仲間たちとカウンターに並んだ白いカバーのかかった丸いスツールに腰掛けて、ホットドッグをパクついたものだ。

場所は中華街のはずれだけど(笑)、名前も『パン・アメリカン』とまんまだけど(笑)、それはそれでなかなか素敵な気分だったのである。

何十年ぶりかでおじゃまする
「昔を知っていてくれる人が、こうしてまた来てくれるから、やめるわけにはいかないよ」
マスターはそう笑っていたが、いつのまにか閉店していた。せっかく横浜勤めになったので、いつでも寄れると思っていたのに。

こんな外観で、しかも中華街だけど、ここに来ると、いつもパイオニアのCMが流れ出すのだ。