錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

中村錦之助伝~『お坊主天狗』(その2)

2013-06-02 22:10:28 | お坊主天狗・新選組鬼隊長
 『お坊主天狗』は錦之助にとって、次のような点で特別な作品であった。
一 撮影開始後に伯父吉右衛門が亡くなり、悲しみに暮れながらも頑張って撮ったこと。
二 超早撮りの渡辺邦男監督と初めて仕事をしたこと。ただし、錦之助が渡辺邦男監督作品に出演したのはこの一本だけだが、職人芸のような映画作りに舌を巻いたにちがいない。錦之助は、渡辺邦男からいろいろと有益なことを教わったと語っているが、その一つに、「セリフは口先だけじゃだめだよ。いいかい、セリフは眼でいうものだよ」と言われたことが、心に残る金言になったという。
三 片岡千恵蔵と初共演であったこと。千恵蔵と二人で芝居をする場面が多く、この作品での共演で、千恵蔵に好感を持たれ、以後錦之助はいろいろ千恵蔵から教えを受けることが多くなった。また、千恵蔵の戦前の代表作を錦之助が次々と主演していくことになる。
 そして、千恵蔵と錦之助が共演する場合の二人の役どころは、この作品で一つのパターンができ、その後の映画も三、四本はこのパターンを踏襲していく。つまり、千恵蔵が師匠ないし親分で、錦之助が愛弟子ないしは可愛い子分という関係である。『新選組鬼隊長』では千恵蔵の近藤勇に錦之助の沖田総司、オールスター映画の『仁侠清水港』では千恵蔵の次郎長に錦之助の石松である。
四 田代百合子が初めて恋人役になったこと。ただし、錦之助と田代は前篇から後篇の途中まではずっとレズビアン的な関係であった。お坊吉三は阪東小染が男であることをすぐに見抜くが、妹のおしゅん(田代)は、ぞっこん惚れた女役者の小染が男だということに気づいていない。後篇の途中で、小染が元服(?)して月代(さかやき)もまぶしい若侍に変身するが、おしゅんは彼を見て、あっと驚く。そして、男になった小染にもう一度惚れなおすのである。
五 錦之助はこれまでの映画の中でも三度ほど女形になったり女装したりしたことがあった。『花吹雪ご存じ七人男』では劇中劇で女形になって「藤娘」を踊り、『唄しぐれ おしどり若衆』では、花嫁に女装して悪旗本の屋敷へ乗り込んで立ち回りをやり、『里見八犬傳 暁の勝鬨』では、侍女に変装して浜路(田代百合子)の護衛をした。が、『お坊主天狗』では、最初からずっと女役者で、『雪之丞変化』の雪之丞のようなのである。つまり、女装が前篇全部と後篇の半ばまで続くわけで、セリフも女言葉であった。女形が嫌いだった錦之助は我慢して演じ続けたのではないかと思う。



 踊りの場面は前篇一回、後篇二回ある。前篇では、女役者の小染が若衆になり、おしゅん(田代)が娘になって二人で踊るが、あれは錦之助が名古屋山三で、田代が出雲の阿国だったように思うが、確かではない。後篇では、錦之助が女形と若衆になって違う場面で一回ずつ踊る。若衆姿は前篇と同じだった。振付は、藤間勘五郎。
 なお、『お坊主天狗』以後、錦之助が映画で女装して登場するのは、『勢ぞろい喧嘩若衆』の弁天小僧と、『羅生門の妖鬼』の小百合である。

 ところで、『お坊主天狗』は、もう映画館では見られない作品であり、ビデオ(またはDVD)にもなっておらず、東映チャンネルでも決して放映されない作品である。というのも、多分、東映に原版が残っていないと思われるからだ。しかし、『お坊主天狗』は、総集篇が16ミリフィルムで残っていて、私の知人がそれを所有しているので、現在はそれを観ることができる。前篇92分、後篇101分だったものを全部で約100分に縮約したもので、前篇を30分ほど、後篇を60分ほどカットしたと思われる。千恵蔵、錦之助、大友の登場する場面はほとんどカットしていないようだが、前篇では八汐路恵子、中村時十郎の登場する場面、後篇では宇治みさ子の場面を全部削除し、仇敵の一人島田照夫が殺される場面もカット。また、原健策(小猿七之助)、石井一雄(和尚吉三)、高千穂ひづるの場面もかなり切ったと思われる。
 では、なぜ、総集篇しか現在残っていないかを説明しておこう。『源義経 前後篇』も『新吾十番勝負 第一部第二部』も同じで、総集篇しか観ることができないのは、昭和30年代の東映の会社事情によるものである。また、これは東映に限らないことであるが、当時の映画会社(社長はじめ重役)に、映画を文化財として保存する意識が欠如していたこと、それとビデオの録画機材がまだ完備していなかったことが大きな原因である。とくに東映は、二本立て路線を敷き、さらに第二東映(ニュー東映)を作って量産体制に入ったため、頻繁に上映作品の穴埋めをしなければならなくなり、以前ヒットした作品のリバイバル上映を行なった。その時、前後篇から成る長尺の作品は、総集篇として一本にまとめて上映したのだが、原版のネガフィルムを使って編集したために(カットした不要なフィルムは廃棄)、元の二部作をポジに再プリントできなくなってしまった。そして、倉庫に残っていた二部作の上映用ポジフィルムも後年廃棄してしまったので、元の映画を永久に観ることができなくなってしまったわけである。
 調べてみると『お坊主天狗』は、昭和33年12月22日からリバイバル上映(併映作品は『月光仮面 サタンの爪』)されている。この時、総集篇を作ったのだが、クレジットタイトルの部分は作り直している。現在観ることのできる16フィルムは、この時の総集編のネガからプリントしたものなので、作り直したクレジットタイトルが付いているが、それを見ると、なんともいい加減で、あきれるばかりである。
 製作は大川博で良いのだが、企画に坪井與(与)と玉木潤一郎の二人の名前が書いてある。これが解せない。元の本編は、企画はマキノ光雄、企画補佐が山崎真一郎と玉木潤一郎だったはずである。マキノ光雄は昭和33年には亡くなっていたが、山崎真一郎はこの頃は東映東京撮影所長だったはずである。二人の名前をはずして、坪井與に変更したのは、『お坊主天狗』の映画製作時点でも彼が企画に携わっていたからなのだろうか。それとも昭和33年当時、企画本部長の職にあった坪井が総集篇を作るよう指示を出したからなのだろうか。
 それと、作り直したクレジットタイトルでひどいと思うのは、出演者の名前を大幅に少なくしてしまったことである。編集でカットした俳優の名前はもちろん出ていない。宇治みさ子は、ラストシーンでちょっとだけ顔を出すのだが、名前がない。八汐路恵子、中村時十郎は総集篇ではまったく登場しないので名前がないのは仕方がないにしても、坊屋三郎、山室耕、草間実、勝見庸太郎、時田一男、東龍子、赤木春恵たちは登場するのに配役に名前がないのは、おかしい。
 ともかく、東映の総集篇というのは、『お坊主天狗』だけでなく、『源義経』も『新吾十番勝負』も適当につなぎ合わせただけのやっつけ仕事で、製作スタッフや出演俳優への軽視もはなはだしく、また観客をなめている点では言語道断といった代物である。そして、大変な費用をかけ、スタッフや出演者が一生懸命に作った映画をズタズタに切り刻んで元も子もなくしてしまった点では、あまりにも愚かな行為だったと言わざるを得ない。




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