桜町弘子は、東映三人娘(ほかに丘さとみ、大川恵子)の中でいちばん息長く東映映画に出演し続けた女優だった。お姫様役というより町娘役が多かったが、時には殺され役や汚れ役もこなし、演技力に光るものがあった。私の独断と偏見による評価から言うと、この三人娘の美人度は、大川恵子、桜町弘子、丘さとみの順だが、演技力から言うと、桜町弘子が頭一つを抜いていた。努力して進歩したと思う。ただし、この中で私が最も好きな女優は、丘さとみだった。(彼女は天性の女優のようだった。)
<桜町、丘、大川の東映三人娘>
桜町弘子は、伊豆半島の下田の出身である。高校までずっと下田で暮らしていたのだが、卒業と同時に東映に入社する。そのきっかけが面白い。高校3年の秋、同級生が雑誌広告を見て、「全国美人写真コンクール」に無断で送った桜町の写真が東海地区第一位に選ばれてしまった。その後すぐに「ミス丹後ちりめん」に選ばれ、伊豆下田に美女ありといった評判を呼んだ。そんな折、南伊豆に『剣豪二刀流』のロケハンに来ていた東映スタッフの一行がその噂を耳にする。タクシーの運転手が最初に教えたらしい。スタッフの一行には監督の松田定次が居て、彼が興味を示したというのだから、人生分からないものだ。松田監督の紹介で、桜町は京都の東映撮影所でテストを受け、合格する。そして、東映女優の道を踏み出すことになった。(以上、前掲書『明星』の「スタア小説、ああ乙女椿の花咲けば 桜町弘子物語」からの要約である。)
桜町の熱演で特に私の印象に残っているのは、伊藤大輔監督の『徳川家康』の中で演じた三河武士の後家の役である。百姓同然の質素な暮らしをしながら、女手一つで男の子を育て、主君家康による徳川家の再興を願っている、そんな年増の後家役だった。河原のような所で足が痛くて歩けない息子を少年の家康が助けておんぶしてくれる場面があった。この少年が主君家康だと知って、桜町は心を打たれるのだが、この時の桜町の表情が良かった。この貧しい後家役で、桜町は眉を剃り、確かお歯黒だったような気がするが、粗末な着物姿で、私の知る限り彼女が演じたいちばんの汚れ役だったと思う。また、荒れ果てた屋敷で、武士たちが意見の違いで争い、取っ組み合いを始めようとするときに、桜町が割って入る場面があった。男たちの料簡の狭さをなじり、貧しい暮らしを支えてきた女たちの苦労と我慢強さを訴えるのだが、そのときの桜町の形相と迫力は、凄かった。しかも同時に長いセリフをまくしたてるようにしゃべるのだ。伊藤大輔が書いた脚本のセリフは長くて難しいが、桜町はそれを見事にこなしていた。
そういえば、伊藤監督の『反逆児』でも、桜町は悲惨な目に遭う娘役を演じていた。舟で花を運んでいる途中、偶然信康(錦之助)に見初められ、身を委ねなければならなくなる。それが悲運の始まりで、信康の母の築山殿(杉村春子)によって、嫁の徳姫に対するつら当てに利用されてしまう。信康から邪慳にされると、今度は築山殿から拷問を受け、焼きごてまで当てられて、放り出される。復讐に燃えた桜町は、徳姫に願い入る。これは、実に難しい役だったと思う。初々しい処女の花売り娘から、切ない恋心を抱く女、つらい仕打ちに耐える女、恨みを内に秘めた女、そして精根尽き果て抜け殻のようになった女まで、多分伊藤監督にしごかれながら、演じ切った。
桜町弘子は、映画で主役になったことがない。常に脇役だった。ほんのチョイ役から、主演男優スターの相手役まで、幅広い役柄を全力で演じた。いろいろな作品に出ていたが、錦之助との共演作では、『ちいさこべ』での商家の品の良いお嬢さんが奇麗だった。後年のヤクザ映画では、『総長賭博』(山下耕作監督)で鶴田浩二の女房役が慎ましく、しかも情愛がこもっていて、とても良かった。
<桜町、丘、大川の東映三人娘>
桜町弘子は、伊豆半島の下田の出身である。高校までずっと下田で暮らしていたのだが、卒業と同時に東映に入社する。そのきっかけが面白い。高校3年の秋、同級生が雑誌広告を見て、「全国美人写真コンクール」に無断で送った桜町の写真が東海地区第一位に選ばれてしまった。その後すぐに「ミス丹後ちりめん」に選ばれ、伊豆下田に美女ありといった評判を呼んだ。そんな折、南伊豆に『剣豪二刀流』のロケハンに来ていた東映スタッフの一行がその噂を耳にする。タクシーの運転手が最初に教えたらしい。スタッフの一行には監督の松田定次が居て、彼が興味を示したというのだから、人生分からないものだ。松田監督の紹介で、桜町は京都の東映撮影所でテストを受け、合格する。そして、東映女優の道を踏み出すことになった。(以上、前掲書『明星』の「スタア小説、ああ乙女椿の花咲けば 桜町弘子物語」からの要約である。)
桜町の熱演で特に私の印象に残っているのは、伊藤大輔監督の『徳川家康』の中で演じた三河武士の後家の役である。百姓同然の質素な暮らしをしながら、女手一つで男の子を育て、主君家康による徳川家の再興を願っている、そんな年増の後家役だった。河原のような所で足が痛くて歩けない息子を少年の家康が助けておんぶしてくれる場面があった。この少年が主君家康だと知って、桜町は心を打たれるのだが、この時の桜町の表情が良かった。この貧しい後家役で、桜町は眉を剃り、確かお歯黒だったような気がするが、粗末な着物姿で、私の知る限り彼女が演じたいちばんの汚れ役だったと思う。また、荒れ果てた屋敷で、武士たちが意見の違いで争い、取っ組み合いを始めようとするときに、桜町が割って入る場面があった。男たちの料簡の狭さをなじり、貧しい暮らしを支えてきた女たちの苦労と我慢強さを訴えるのだが、そのときの桜町の形相と迫力は、凄かった。しかも同時に長いセリフをまくしたてるようにしゃべるのだ。伊藤大輔が書いた脚本のセリフは長くて難しいが、桜町はそれを見事にこなしていた。
そういえば、伊藤監督の『反逆児』でも、桜町は悲惨な目に遭う娘役を演じていた。舟で花を運んでいる途中、偶然信康(錦之助)に見初められ、身を委ねなければならなくなる。それが悲運の始まりで、信康の母の築山殿(杉村春子)によって、嫁の徳姫に対するつら当てに利用されてしまう。信康から邪慳にされると、今度は築山殿から拷問を受け、焼きごてまで当てられて、放り出される。復讐に燃えた桜町は、徳姫に願い入る。これは、実に難しい役だったと思う。初々しい処女の花売り娘から、切ない恋心を抱く女、つらい仕打ちに耐える女、恨みを内に秘めた女、そして精根尽き果て抜け殻のようになった女まで、多分伊藤監督にしごかれながら、演じ切った。
桜町弘子は、映画で主役になったことがない。常に脇役だった。ほんのチョイ役から、主演男優スターの相手役まで、幅広い役柄を全力で演じた。いろいろな作品に出ていたが、錦之助との共演作では、『ちいさこべ』での商家の品の良いお嬢さんが奇麗だった。後年のヤクザ映画では、『総長賭博』(山下耕作監督)で鶴田浩二の女房役が慎ましく、しかも情愛がこもっていて、とても良かった。
違います!鶴田の女房です!よく観ましょう!
ロビーで一服していたら、桜町さん、すぐに知人の方とどこかへ行ってしまったので、遠くからお見かけしただけでした。おっしゃる通り、お元気そうでシックな洋服を着ていました。
三年前の錦之助映画祭りの時に事務所の方へ連絡を取ったことがあるのですが、その頃はご病気とのことでした。お元気になられて良かったです。
また、ラピュタでお目にかかることがあると思うので、その時ご挨拶しようと思っています。
加藤泰監督が敬愛する伊藤大輔監督と一緒に作った「時代劇映画の詩と真実」は私の愛読書の一冊で、先日も読み返しました。
世間は狭いですね!ひょっとして『土橋了』君はいかがでしょう?彼が早稲田大学演劇学科の学生の頃からの友人です。しかしこのところ消息知れずです。
ともあれ、東京教育大学映画研究会OB会の件、よろしくお願いします。