一心太助のお墓がどっかにあるという噂は以前から聞いていた。この間、「有名人、著名人のお墓案内」というサイトで調べてみると、ちゃんとあった。東京・白金の立行寺というお寺に太助の墓があるではないか!立行寺は(何と読むのだろう?「りつぎょうじ」かな)、実は、大久保彦左衛門が建立したお寺なのだそうだ。ここには、彼自身の墓もある。彦左衛門こと大久保忠教(ただたか)は、もちろん歴史上実在した人物。『三河物語』という自伝が残っていて、これは老人の繰言を綴った本らしい。(この本、私はまだ読んだことがないが、今度読んでみたいと思っている。)問題は、一心太助の墓があるということだ。一心太助は架空の人物である。それなのに墓があるというは変な話だが、彦左衛門の墓の近くに一心太助の墓を作ったというアイデアが面白い。きっとシャレの分かる人が作ったのだろう。太助と彦左の墓のあるこのお寺、今度訪ねてみたい。泉岳寺の近くなので、ついでに赤穂浪士の墓も参って来ようと思う。
<一心太助の墓>
一心太助は、講談で有名な人物である。あの立川文庫にも入っているらしいが、先日私は神田の古本屋街で、太助の講談本を探してみたが、どうしても見つからなかった。古本屋のオヤジに聞いたら、東京の平井に講釈師田辺一鶴がやっている古本屋があるから、そこへ行ってみたらあるかもしれないと言われた。ただし、店主の田辺一鶴が客を選ぶので、注意してほしいとのこと。彼は気に入った客にしか本を売らないらしい。
この際、もうちょっと一心太助のことをお話したい。一心太助という人物が演劇に初めて登場するのは、河竹黙阿弥(1816~1893)が書いた歌舞伎『芽出柳翠緑松前(めだしやなぎみどりのまつまえ)』(通称「松前屋」)であるという。この歌舞伎、私は観たこともなければ、筋さえ知らないが(今度図書館で調べてみようかなと思っている)、どうやら、松前屋五郎兵衛という江戸の商人にして剣豪が主人公の話らしい。ちなみに、この人物は、錦之助の映画『一心太助・男の中の男一匹』で、大河内伝次郎が扮した役である。
もう一つ、『大久保彦左衛門』という長編小説がある。今ではあまり読む人がいなくなったが、土師清二の代表作で、痛快娯楽時代小説だ。私は、今、この本を読みかけているが、これが非常に面白く、歯切れの良い会話体にぐいぐい引き込まれてしまう。魚売りの一心太助も活躍するが、すでに女房持ち。その名前は「お千」といい、しっかり者だ。錦之助の太助の女房になるのは、中原ひとみが演じた可愛らしい腰元「お仲」だった。
錦之助の一心太助については今回は何も書けなかった。次回に乞う御期待。
<一心太助の墓>
一心太助は、講談で有名な人物である。あの立川文庫にも入っているらしいが、先日私は神田の古本屋街で、太助の講談本を探してみたが、どうしても見つからなかった。古本屋のオヤジに聞いたら、東京の平井に講釈師田辺一鶴がやっている古本屋があるから、そこへ行ってみたらあるかもしれないと言われた。ただし、店主の田辺一鶴が客を選ぶので、注意してほしいとのこと。彼は気に入った客にしか本を売らないらしい。
この際、もうちょっと一心太助のことをお話したい。一心太助という人物が演劇に初めて登場するのは、河竹黙阿弥(1816~1893)が書いた歌舞伎『芽出柳翠緑松前(めだしやなぎみどりのまつまえ)』(通称「松前屋」)であるという。この歌舞伎、私は観たこともなければ、筋さえ知らないが(今度図書館で調べてみようかなと思っている)、どうやら、松前屋五郎兵衛という江戸の商人にして剣豪が主人公の話らしい。ちなみに、この人物は、錦之助の映画『一心太助・男の中の男一匹』で、大河内伝次郎が扮した役である。
もう一つ、『大久保彦左衛門』という長編小説がある。今ではあまり読む人がいなくなったが、土師清二の代表作で、痛快娯楽時代小説だ。私は、今、この本を読みかけているが、これが非常に面白く、歯切れの良い会話体にぐいぐい引き込まれてしまう。魚売りの一心太助も活躍するが、すでに女房持ち。その名前は「お千」といい、しっかり者だ。錦之助の太助の女房になるのは、中原ひとみが演じた可愛らしい腰元「お仲」だった。
錦之助の一心太助については今回は何も書けなかった。次回に乞う御期待。
錦尊さん、錦ちゃん一筋って言いますけど、ひばりさんの歌もカセットで聴いてたじゃないですか!この間は古いウォークマンで錦ちゃんの歌を聴かせていただき、ありがとうございました。
「一心太助」の舞台をご覧になったとのこと、今度その貴重なお話を聞かせてください。お願いします!(早く聞かないと、錦尊さん、ボケちゃうかもしれないんで…)
確かに錦之助という俳優は自分の演技に自信を持っていましたね。自信満々というか「吹っ切れた」演技をしたときは最高でした。でも、映画によっては演技に迷いがあるなと感じる作品もありました…。私は錦之助の舞台を観ていないので、何も感想が言えませんが、映画に関しては少なくとも三度は観てから、感想を書こうと心がけています。だからビデオを何度も見返します。同じ箇所を繰り返し観る場合もあります。その点ビデオって便利ですね。一度しか観ないで、何かを書くのは錦之助ファンとしてやってはならないことだと思っています。ちゃんと観てもいない映画のことを書くような評論家は、軽蔑しますね。(そういう最低なヤツ、知ったかぶりの評論家が実に多いんです、困ったことに。)
錦之助の映画については、まともな批評が実に少ない気がします。数も少ない。「祇園祭」の批評なんか、キネマ旬報で佐藤忠男がちょっと書いているくらいですからね。「祇園祭」、私は二度しか観ないで、記事を書いちゃいましたが、自分では真剣に観たつもりです。(まあ許してください!)私は、良いものは良い、悪いものは悪いとズケズケ言うタイプなので、錦之助の映画でもバッサリやっちゃうこともあります。でも、錦之助を素晴らしいと思っている気持ちだけホンモノなので、まあ気を悪くしないでください。では、また!
初めてコメントを書きます。いつも「錦之助ざんまい」読ませて頂いています。今回『祇園祭』に関しての書き込みも読ませて頂きましたが、38年のブランクの後に、ご覧になったにしては、筋をこんなにはっきり覚えていられるのには感心致しました。映画を観る感覚が全然私とは違うのですね。私など毎年観ていても、こんな場面有ったかしらと思うほど鈍感です。それによく忘れます。ですから毎年観るのが楽しみです。背寒さまの感性には、本当に感心しています。
6月26日の書き込みの事・・・
昭和43年4月の大阪新歌舞伎座の演題は『反逆児』と『一心太助』でした。どちらかと言うと地方巡業での太助の方が多かったのです。梅田コマでもや1回くらいは、やったと思います。
この新歌舞伎座の43年は、私が結婚後、初めて錦ちゃんに接した、想い出の時間帯でも有ります。この時は、久し振りに、楽屋を訪問して錦ちゃんと、言葉を交わしました。でもこの時、錦ちゃんが自分の演技に、どれ程自信満々で有るかと言う事を知らされました。それで私は、その後は、錦ちゃんの演技に関しての感想は、言わない事にしました。私如きがこうしたら、なんて言えたものでは有りませし、錦ちゃんは、自分がこうだと思ったら、監督さんとでも張り合う程の自信を持っている方ですから、確かに彼の演技は素晴らしいものが有ります。
この時は一寸偉そうに言ってしまって後悔したものでした。
大阪堺市の市民会館に『一心太助』を持って錦ちゃんが来た時、私は11歳になった息子を連れて行きました。その時は、息子は何も言いませんでしたが、何十年もたった、つい最近息子に言われました『あんなに嬉しそうで、娘のようになっている母は見た事が無かった。別人の様な母の姿が理解できなかったと・・・でも今は解ると言っていました。
兎に角私は、錦ちゃん一筋ですから・・・。
『ご存知一心太助』は大阪歌舞伎座で昭和43年4月ですね。でもその一年前の42年6月に『江戸っ子繁盛記』という演目で、家光と太助の二役を演じておられます。
私はこの筋書きを持っています。
「竜馬がゆく」は長すぎますね。
錦之助は、舞台で「一心太助」を何度か上演したようですが、どうしん様は観ましたか?沢島監督の脚本・演出だったようですが…。
河竹黙阿弥のこの歌舞伎は、ほとんど上演されていないようですね。「一心太助」というキャラクターは、誰が創作したのか、今のところ分かりません。歌舞伎より講談に最初に登場したのかもしれません。
ところで、「おしどり駕篭」はいかかでした?面白かったですか?
すごいピッチですね。テレビの「鬼平犯科帳」
が終わって、ようやく少し映画の方を観る
時間がとれそうです。「おしどり駕籠」と「沓掛時次郎」を観ましたが、ここへお邪魔すると竜馬が終わって、太助さんへ・・・すごいです
本を読みながらでしょ?早読みの名人ですね
私は遅いので有名(家族なのかで)なので
追いつけっこないのは判ってますが。一心太助がそんなに昔からあったなんて、知りませんでしたし、お墓まであるのも知りませんでした。
これは、背寒さまのおっしゃる通り、太助=錦
ちゃんと、インプットされておりますから、それ以外は考えられないのですが、ルーツが歌舞伎なら、萬屋の演目にいれてほしい気もいたします。