錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『江戸の名物男 一心太助』(その一)

2006-06-26 02:44:49 | 一心太助・殿さま弥次喜多

 錦之助の「一心太助シリーズ」では、第一作『江戸の名物男』(昭和33年2月公開)が、私はいちばん好きだ。この作品だけ低予算のモノクロだが、処女作にして「これぞ一心太助!」とでも言うべき見事な作品に仕上がっている。確かに第二作の『天下の一大事』(昭和33年10月公開)は、第一作の成功もあって総天然色になり、錦ちゃんもスタッフもみんなノリノリという感じで、最高に楽しめる娯楽作品である。(この第二作についてはすでにこのブログで感想を書いた。)しかし、作品の味わい深さ、内容的な奥行き、登場人物の奥ゆかしさ、きめ細かな情景描写という点では、第一作が勝ると思う。作品のスケール、ドタバタ喜劇的な面白さ、そして、錦之助の威勢の良い江戸っ子ぶりから見れば、第二作に軍配が上がるだろうが…。

 今回は、第一作『江戸の名物男』について書きたい。
 この作品はいろいろな点で素晴らしいと私は思っている。太助に成り切った錦之助のずば抜けた演技、月形龍之介の渋くて風格のある芸については語り尽くされていると思う。他の共演者について言えば、これも低予算のためか、やや手薄だが、太助を慕うお仲(中原ひとみ)の可愛らしさ、彦左衛門の家来笹尾喜内(堺俊二)の滑稽さ、老中松平伊豆守(山形勲)の一癖も二癖もある智謀家ぶり、長屋の大家さん(杉狂次)のほほ笑ましさ、魚屋の相棒(星十郎)の空元気など、みな適役ばかりで、二役を演じた錦之助の将軍家光も気品があって堂に入っていた。まあ、こんなことは言わずもがな、であろう。ここでは、あえて見方を変え、この作品の素晴らしさを語ってみたい。ちょっとマニヤックな鑑賞法になるかもしれないが、お許し願おう。
 まず何よりも注目したいのは、この映画が勧善懲悪のお決まりのストーリーでないことである。それにもかかわらず、十二分に楽しむことができ、痛快さを感じ、心を洗われたような爽快感を味わえるところが、第一作のすごさだと思う。
 ご覧になると分かると思うが、『江戸の名物男』には、悪者が一人も出て来ない。厳密に言えば、ちょい役でスリが一人出て来る程度である。彦左衛門のことを煙たがっている徳川の重臣は登場する。が、彼らは決して謀略をめぐらすような悪逆非道な権力者ではない。老中松平伊豆守の山形勲は、珍しく良い役で、彦左衛門の協力者である。若年寄の加賀邦男(端役だが…)は、彦左衛門に批判的だが、悪者ではない。太助が魚屋になってすぐに喧嘩をする魚河岸の連中も、彦左衛門のお裁きのあと、太助と仲直りして親しい仲間になる。
 東映時代劇で、悪役・敵役が出て来ないというのは非常にまれなことなのだ。娯楽作品では画期的なことかもしれない。だいたいどの時代劇も、ヒーローである主人公が悪事を暴き、最後は悪者を成敗するものとパターンが決まっている。そこに観客は鬼の首でも取ったかのような痛快さを感じるのだが、『江戸の名物男』は、このパターンを完全に脱している。脚本を書いた田辺虎男という人のことを私はほとんど知らないが、意識的に悪者の出て来ないストーリーを書いたことは明らかである。(第二作以降は、脚本家が変わったこともあってか、悪旗本や悪商人や手下の悪者たちがたくさん出て来て、残念ながらまた勧善懲悪のパターンに戻ってしまう。)
 要するに、この作品は、性善説に基づくとでも言おうか、人間の良心(善根)というものを前提にした上でストーリーが展開していく。途中で、片岡栄二郎がスリに財布を奪われた老人を助ける。が、あとでこの片岡が大罪人として捕縛され、馬に乗せられ引き回しになるシーンが出て来る。町の衆は片岡に石を投げるが、太助はそれを制し、生まれ変わる時は良い人になってくれと祈って彼を見送る。この場面など、やや作為を感じるものの、象徴的な表現だと思う。
 言ってみれば、『一心太助』第一作は、善男善女の人情話である。その面白さは落語的だが、この作品から得られる爽快感は、その内容が修身のお手本のようだからなのであろう。




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