この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

最高の続編映画だった!にもかかわらずいろいろ言いたいことがある『ブレードランナー2049』。

2017-10-30 22:09:09 | 新作映画
 ライアン・ゴズリング主演、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、『ブレードランナー2049』、10/28、Tジョイ久留米にて鑑賞。2017年40本目。


 まず自分と『ブレードランナー』について。
 SF映画の金字塔と言われるぐらい有名な作品ですから、自分も当然『ブレードランナー』は見ています。もちろん嫌いじゃないです。
 ただ、熱烈なファンかというとそういうこともなく、『ブレードランナー』の5つのヴァージョンをすべて見ているわけでもありません。
 それを踏まえた上でこのレビューは読んでください(何かしら勘違いしている部分も無きにしも非ずなので指摘してもらえれば嬉しいです)。

 『ブレードランナー』の35年後の続編『ブレードランナー2049』を観ました。
 監督のドゥニ・ヴィルヌーヴはいい仕事をした、そう思います。
 おそらく、彼以外の誰にも、それは前作の監督であるリドリー・スコットも含めてですが、これほど見事な『ブレードランナー』の続編は作ることは出来なかったでしょう。
 これほど前作に対してオマージュをささげている続編もそうはないです。
 にもかかわらず自分は本作に対していろいろ言いたいことがあるのです。

 自分は『ブレードランナー』を見て、レプリカントを次のような存在だと認識していました。
 人間を模して造られた人造人間。知力、体力、ともに人間以上に優れているが、人間に対して反乱を起こさないように寿命が短く設定されている。
 この認識で間違っていないですよね?

 しかし、『ブレードランナー2049』を観て、まず「え?」と思ったのが、新型レプリカントであり、ブレードランナー(捜査官)でもある主人公のKが旧型レプリカントの家を訪ねる冒頭のシーンです。
 何に「え?」と思ったのかというと、レプリカントの、寿命が短く設定されているという設定がごっそり無くなっていることに対してです。

 特別なレプリカントが、例えばレイチェルなどが、その設定を解除されているというのであれば、まだわからないでもないですが、一般的なレプリカントまでが寿命に制限がないとなると、ロイ・バッティの生き様、もしくは死に様は何だったのだろう、そう思わざるをえません。

 さらに「え?」と思ったのが、本作の、レプリカントは生殖能力を持たないという新設定ですね。旧作にはそういった設定はなかったですよね、確か?(ありましたっけ?)
 人間を模して造られた存在が、ありとあらゆる点において人間と同じであったが、生殖能力だけは有さなかったというのはちょっと不自然なような気がします。
 人間とまったく同じ人造人間を作れるテクノロジーであれば、その人造人間に生殖能力を持たせるのもさほど難しいことではないように思えるのですが…。

 わからないことはまだあります。
 本作において事実上の世界の支配者であるウォレスはこういった台詞を口にします。
 レプリカントが生殖能力を持てば、より生産性が高まる、と。
 この理屈もよくわからないですね。
 レプリカントが生殖能力を持てば、当然生まれてくるレプリカントは赤ん坊でしょう。その赤ん坊を成人まで育てようと思ったらそれなりに手間もコストもかかるはずです。
 それより現レプリカントのように生まれたときから成人の方が、生産性という観点から見ればよっぽど都合がいいはず、、、う~~~ん、わからないな。

 まぁでもこういったワケのわからなさ、筋の通らなさも『ブレードランナー』らしいといえば、そうなんですけどね。笑。
 そういった点においてもドゥニ・ヴィルヌーヴは旧作の精神を再現した、と思わずにはいられません。


 お気に入り度★★★☆、お薦め度★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
コメント
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