ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文藝散歩 戦国時代の戦記文学

2009年03月30日 | 書評
「信長公記」 奥野高広・岩沢愿彦校注角川ソフィア文庫 第3回

序 (3)

 ここで本記に入る前に、織田信長公の簡単な年譜と事蹟・戦記を記して理解の助けとしたい。

天文3年(1534年)0歳:信長は那古屋城で生まれた。幼名を吉法師
天文15年(1546年)13歳:元服し 三郎信長と改名
天文21年(1552年)18歳:父信秀病死、織田家に動揺広がる。「たわけ」のポーズをとって織田家内の動きを見定める。
弘治元年(1555年)21歳:尾張統一に乗り出す。4月那古屋城から清洲に本城を移す。
永禄2年(1559年)25歳:3月岩倉の尾張伊勢守一族を滅ぼし尾張国内を完全に平定した。
永禄3年(1560年)26歳:5月今川義元を桶狭間で討ち取る。
永禄5年(1562年)28歳:美濃斉藤氏、伊勢北畠氏に対抗するため、東の松平元康(後の徳川家康)と同盟を結ぶ。
永禄7年(1564年)30歳:本城を清洲から犬山城に移す。美濃との境界の松倉城に入り斎藤氏に圧迫を加える。木下藤吉郎に墨俣城を築かせ牽制した。
永禄8年(1565年)31歳:北近江小谷城の浅井長政と同盟と婚姻関係を結び、近江観音寺城の六角承禎を制する。
永禄10年(1967年)33歳:稲葉山の井口城を攻略し斉藤龍興を倒して美濃を平定。9月美濃を岐阜と改名。正親町天皇信長に御所の改築を命じ、上洛を要請する。
永禄11年(1968年)34歳:二度伊勢に北畠氏を攻め抑圧して、朝倉義景のもとにいた足利義昭を迎えた。9月岐阜を出発、浅井氏も加わって5万の兵で入洛。三好氏は逃げ出し、足利義昭らは京へ入った。
永楽12年(1969年)35歳:上洛すると信長は兵を展開して、山城、摂津、河内、大和、但馬、伊勢を平定した。
元亀元年(1570年)36歳:1月天下平定の会議を招集。越前朝倉義景が上京しなかったので朝倉氏を攻めた。同盟の浅井長政に背後を突かれて敗走したが、姉川の戦いで朝倉・浅井連合を破った。元亀2年(1571年)37歳:本願寺顕如光佐が朝倉・浅井氏と結んで反乱。朝倉氏に味方した叡山を焼き討ちし宗教界の粛清に乗り出す。
元亀3年(1572年)38歳:将軍義昭、本願寺顕如光佐、武田信玄と朝倉・浅井氏・三好氏の残党らが反信長派を形成し、武田信玄が京へ向かい浜松の三方原の戦いとなった。信長・家康連合軍敗れる。家康岡崎城に逃げ帰る。
天正元年(1573年)39歳:武田信玄病死。将軍義昭を挑発して室町幕府を廃止する。朝倉・浅井氏両氏を滅ぼして越前・近江を完全に支配化に入れる。
天正2年(1574年)41歳:本願寺が盟主となり上杉謙信・毛利氏と結んで反信長派を形成する。伊勢長島一揆を根絶
天正3年(1575年)42歳:信長・家康連合軍、三河長篠の戦いで武田勝頼を破る。越前一向一揆を完全制圧
天正4年(1576年)43歳:毛利氏の救援を受けた石山本願寺と死闘を繰り返した。安土城を作る。柴田勝家・羽柴秀吉を加賀に派遣して上杉謙信の西進を妨害する。
天正5年(1577年)44歳:羽柴秀吉を総司令官として柴田勝家・明智光秀らに命じて中国平定作戦始まる。
天正6年(1578年)45歳:上杉謙信病死。
天正7年(1579年)46歳:明智光秀丹波を平定
天正8年(1580年)47歳:柴田勝家越中、加賀、能登を平定 播磨、但馬を平定
天正9年(1581年)48歳:羽柴秀吉因幡、淡路平定
天正10年(1582年)49歳:信長・家康連合軍、武田勝頼を滅ぼし、甲斐、信濃、上野の一部を平定。羽柴秀吉高松城をせめ、毛利輝元の大軍と対峙。秀吉の要請で信長安土城を出て救援に向う。6月2日宿舎の京都本能寺にて明智光秀の謀反によって自害。時に49歳であった。
(続く)



医療問題 「現場からの医療改革レポート」  Japan Mail Media

2009年03月30日 | 書評
絶望の中の希望ー医師は「医療崩壊」の現状をネットに訴える 第55回

医療に関する提言・レポートfrom MRIC(2009年1月22日)「メディカルツーリズムの勃興:日本の医療は競争力を有する」 少児科医 江原 郎 

 経産省白書によると2006年度のアジアへの外国人患者の数は180万人になったという。シンガポールに37万人、タイやマレーシアに40万人などで、欧米で研修を受けた医師が帰国して治療を行うのでレベルは高いという。その原因はアメリカにおける治療費が高い事である。盲腸炎で200万円(日本では40万円、一般に日本の治療費はアメリカの5分の1くらい)もかかり、医療保険もなく公的医療保険(メディケア)も受けられない人々では、渡航費を出してもアジアで自費診療を受けたほうが安上がりだという。もうひとつのメリットは待ち時間がなくサービスがいい事である(空港送迎や通訳付き)。日本での自費治療の率は平均1.25%に過ぎない。2007年度の民間医療機関の損益分岐点は病院で95%、診療所で99%である。診療報酬が引き下げられると直ちに赤字となる。ということで日本の医者や病院が公的健康保険の安い診療報酬から逃避し、自費診療に走る日も近いのではないかという提言である。要するにこれ以上厚生労働省が診療報酬を下げたら、医療機関は破産するという話である。アメリカのような民活がいいのか、日本の公的健康保険制度がいいのか、解は出ている。公的健康保険制度は死守しなければいけない。
(続く)

自作漢詩 「江村」

2009年03月30日 | 漢詩・自由詩
極目江天翠黛     極目江天 翠黛浮かぶ

暖煙漠漠古城     暖煙漠漠 古城の頭

満山春色花方発     満山春色 花方に発し 
  
集雨悠悠水自     雨を集め悠悠 水自と流る

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(赤い字は韻:十一尤 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)