ブログ 「ごまめの歯軋り」

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山本義隆著 「近代日本150年ー科学技術総力戦体制の破綻」(岩波新書2018年1月)

2019年08月28日 | 書評
栃木県下野市 三王山ふれあい公園の森 

エネルギー革命で始まる「殖産興業・富国強兵」は総力戦体制で150年続き、敗戦と福島原発事故で二度破綻した 第2回

序(2)

科学者・技術者および彼らが属する組織は(大学、企業、官庁諸研究所など)はつねに平和と繁栄に貢献する善なる領域に居ると思い込んでいる愚かな専門家がいる。むしろ戦争に手を貸、他国の資源掠奪の最先端にいると自覚する人は稀有な存在である。彼らが信奉する科学技術は全く制御不能の凶器であることを2011年3月11日の原発事故は露呈した。その事故を前にして技術者・企業・エネルギー資源庁が全く無能であったことも明らかにした。このように巨大化した科学技術を生んだことを理解するうえで、18世紀後半から19世紀前半にかけての欧米の産業革命の歴史を紐解くことが必要である。日本が開国した18世後半には欧米諸国は国内的には第2次産業革命といわれる重化学工業を中心とした技術革新を遂行し、対外的には帝国主義列強時代の海外植民地獲得戦争に突き進んだ時代であった。これらの列強との競争に巻き込まれた日本は植民地にならないよう民主主義思想や人権思想を置き去りにして富国強兵策を遂行し天皇制国家の形成に至った。西欧の文明とくに科学技術に関しては直輸入によって貪欲に効率的に吸収し、政府主導と軍の要請にこたえるべく工業化=近代化を成し遂げ、20世紀前半には帝国主義列強に仲間入りをした。機械における蒸気動力の利用は、それまで暖房や調理にしか使わなかった熱が物を動す力となっった意味で動力革命であった。そのエネルギー概念はさらに電力が照明・暖房・通信と併せてモータを駆動し動力を生んだ。従って電力と蒸気の使用は動力革命を超えるエネルギー革命を達成したのであった。まさにそのような時期に開国した日本は近代化をエネルギー革命として開始したのである。熱や電気が生産や運輸や通信や照明に強力に利することを知った。1869年に築地ー横浜間に電信網が架設され、1872年に新橋―横浜間に蒸気機関車による鉄道が開通した。また富岡に蒸気を動力とする製糸工場ができたのも同じ年であった。重工業や化学工業は軍需優先で始められた。こうして日本の近代化「殖産興業・富国強兵」はエネルギー革命の使用によって可能となった。当時の日本の人口はほぼ3000万人であったが、第2次世界大戦時には7000万人となり、戦後も増え続け1970年に1億人となり2010年に1億2800万人をピークとして急速な減少に向かっている。経済成長期に人口は増え今や経済成長政策が止まって人口は減少に転じた。成熟したヨーロッパ諸国と同じ段階に達したというべきであろう。今日の日本の為政者は人口が増えると内需が増え回復が回復するという逆転した論理で産めよ増やせよと叫んでいる。2011年の東電福島原発事故が、電力エネルギー消費が減退する中で原発発電に重点を移した挙句のオーバーランを象徴している。欧米の科学技術導入に日本の学制とりわけ帝国大学が果たした役割は大きい。生産力の増強と科学技術の振興は明治以来戦前戦後を通じての日本の国是であった。日本における官・産・軍・学協働の根底の思想は、経済の成長拡大とそれによる国力増進を第一とする国を挙げたナショナリズムによる結束と成長イデオロギー信奉に遭った。「新しい科学技術の改良は生産の増大と経済の成長、それに伴う人間生活の改善をもたらし、社会の発展と文明を牽引する」という命題が為政者の間で疑われることは無かった。「衣食足りて礼節を知る」が基本であった。

(つづく)


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