ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート ニュートン著 鳥尾永康訳 「光学」 (岩波文庫)

2016年11月03日 | 書評
太陽の白色光が屈折率を異にする色光の複合であることを発見した「ニュートンの光学」の集大成 第1回

序(その1)

岩波文庫の"自然科学"関係でニュートンの著書としては、この「光学」しかない。万有引力の証明となった「プリンピキア」は膨大なことと難解なことで一般読者向きではないと思われたのであろう。だが「光学」が誰でもわかる簡単な内容かと言えば、そうでもない。確かに数学的推論は影を潜めてはいるが、証明なしでその結果だけは採用しているのでかえって理解に苦しむ。数式を使わなければ理解が容易というほど科学は単純ではない。本書は職人芸的な実験に満ちているが、本書の実験を教材としてビデオ化するという企画が持ち上がったとすると、その実験を再現するのは容易なことではないだろう。精緻な観察、道具作り、レンズや鏡、反射鏡の研磨などニュートンならではの技能が必要で、果してどこの大学の監修が得られるであろうか。むしろ光学メーカー(オリンパス、日本光学、理化学機器メーカーなど)の協力が必要である。回折現象の実験にも用いられた二つのナイフエッジを研磨しセットするニュートンの職人的力量には舌を巻く。反射型望遠鏡の製作において、凹面鏡の研磨方法でドイツの職人の技を非難するニュートンは研磨職人以上の技量を持っていたようである。実験装置の瑕疵が観測を台無しにしてしまうことは、よくあることである。そういった精緻な技量が研究結果の信頼性を左右する時代であった。ニュートンの光学は、①プリズムによって生じた色、②天然物(物質)の色、③透明薄膜の色(干渉)、③虹など気象学的現象、④回折(物質と光の相互作用)の色を扱う「色の科学」である。ニュートンは流率法と逆流率法(微積分学)によって近代数学を創造し、力学を公理化して重力論的宇宙像を樹立し、太陽の白色光をプリズムで分離し近代科学としての光学を確立した。とくに太陽の白色光の複合性の発見は、前人未到の独創的な研究であったと言われる。最初から技術と科学が一体化した成果であった。ニュートンが色の研究へ向かったのは、ケンブリッジ大学の学生のころからで、デカルト「屈折光学」、ボイル「色についての実験と考察」、フック「顕微鏡観察誌」に刺激されたためと言われている。ニュートンが学生時代から書いていたノート「哲学的疑問」には、異なる色の光線(射線)は屈折率の度合いが関係するプリズム実験が記されていた。ニュートンは非球面レンズを用いる屈折型望遠鏡の色収差を改善することは不可能であることを察知し、凹面鏡型望遠鏡の製作を行ったことは有名である。それにはプリズム実験による白色光の色分離を知っていたからである。それは1662年の頃であったとされている。射線の色により屈折率が異なる事を確認した。1669年には反射型望遠鏡を制作した。口径2インチ、焦点距離8インチ、約40倍の倍率を持っていた。木星のの4つの衛星や金星の相変化を観察できたという。これには主鏡の研磨法が成否のカギとなった。1671年改良型の模型を(上右の写真)を完成した。1699年微積分の論文が認められ、ケンブリッジ大学ルーカス教授に任命された。そこで1670年より光学の講義を行った。反射型望遠鏡は高い評価を受け、1672年ニュートンは王立協会会員に推薦された。王立協会にニュートンは「光と色についての新理論」を送ったが、フックとホイエンスから反論され、5年間論争が続いた。当時の色理論は「光の改変説」が主流で、光が媒質を通過するときに様々な色に改変されるという説である。アリストテレス以来、デカルト、フック、バローなど17世紀の学者はこの立場に立っていた。

(つづく)