ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 柿崎明二著 「検証 安倍イズム」 胎動する新国家主義 (岩波新書 2015年10月)

2016年11月29日 | 書評
安倍流国家介入型政治(国家先導主義)は、戦前型政治体制へのノスタルジア その情緒的イメージ戦術に惑わされるな 第1回

序(その1)

異次元金融緩和、賃上げ税制などのアベノミクス経済政策から教育、集団的自衛権行使と憲法改正、安全保障法制整備まで、安倍流の国家介入型政治に通底(通奏低音)するのは、「国家の善意」である。その思考と意志を安倍自身の言葉から検証してゆくことが本書の目的であるという。政治思想史家丸山眞夫の手法に似た、政治家個人の信念や心情から読み解いてゆくやり方である。普通は個人がどういう気持ちであろうと、「結果責任」が政治家の評価であるとする考えからすると、客観性、歴史性、社会状況から遊離した手法であるが、しかしより深く安倍の政治的行動を理解できるという利点がありそうだ。しかし安倍の行動がぶれていないことが必要である。また安倍の行動が全くの個人的心情から出ているわけだはなく、周辺の取り巻きブレーンや官邸官僚の意見を完全にコントロールしているのか疑問が持たれる。でなければこれだけ多くの内外の問題を正確にかつ迅速に処理するという超人的判断力と政治力を仮定しなければできそうにない。そして首相の権限が高まったのは、一人安倍の能力と政治力にあるのではなく、歴代首相の官邸機能強化策が功を奏してきたから(それだけ議会の力が弱くなった)である。安倍政権の目指している政策を見ると、「戦後日本の歴史的転換期にある」ということはよくも悪しくも言えるのではないだろうか。現代日本を形作っている「戦後体制」は1945年からサンフランシスコ講和条約の7年間に出来上がって継承されてきた。安倍が抱いている究極の目標はその戦時体制から抜け出すことである。それを安倍は「戦後レジームからの脱却」と名付けている。歴史的転換点とはこの安倍の意志とその背景にある思考法である。2006年に成立した第1次安倍内閣は声高に「戦後レジームからの脱却」を叫んで、内外の反発を受け、とくにアメリカからの真実の独立(米軍撤退要求)と捉えたアメリカ保守層の懸念を招いて短期で失脚した。その反省から2012年の第2次安倍内閣はこのキャッチコピーを封印し、「デフレからの脱却」という看板を掲げた。経済の安倍(アベノミクス)というイメージ戦術が成功した。しかし安倍はA級戦犯が合祀される靖国神社参拝、教育改革、日本版NSC(国家安全保障会議)の設立、特定秘密保護法制定、武器輸出三原則とODA見直し、集団的自衛権の行使容認の閣議決定と安保法制整備などの政治的安倍カラーの政策を着々と進めた。日本はアメリカの言うことを聞く範囲内(集団的自衛権行使)において米国保守層はある程度の安倍カラー(戦前回帰と歴史修正主義)を許すことで合意したようである。この本では、歴史的認識や外交・安保・教育などの安倍カラーと呼ばれる政策と、経済政策を分けないで「国家先導」という構造から一体化して考えている。その背景にある思考と意志を「安倍イズム」と名付けている。安倍イズムつまり安倍晋三首相の「思考と意志」を読む上でのキーワードは「国「、「国家」である。安倍第2次内閣八足直後、2013年1月「新しい国へ 完全版」を出版している。その年の暮、作家の百田尚樹と「日本よ、世界の真ん中で咲きほこれ」を出版した。著作に関わらず安倍は国または国家という言葉を多用する。パスポートの意味を「外国である個人を、ある国の国民たらしめ、その個人が所属する国家であり、保護を受ける個人には、納税、投票、公共への奉仕などの応分の義務が生ずる」というのが安倍の国家感、国民感である。」これは国家と国民の一側面を捕らえた言葉で奇異感はないが、安倍に特徴的な点は、国家の肯定的な役割を高く評価し、一方否定的な面には決して触れないことである。この国家性善説みたいな論理が安倍の「思考と意志」の根底をなしている。その国家感を国民全般に求めると、「応分の義務」、「交響への奉仕」面が強調されてくるのである。日本人が愛国心をなくした戦後の歴史認識の最大の原因が、占領期に制定された憲法にあるとみなして、憲法改正は失われた価値観やほこりを「取り戻す政治」課題となる。安全保障法整備は安倍にとって国家の権限の本来の形を「取り戻す」ことになる。さらに経済分野で国家がより広い分野に直接的関わってゆく(介入)政治を展開することになる。国家による個人的生活や民間活動への介入をできる限り限定的にしようとする政策は前の故イズム首相の新自由主義的政策であった。いわゆる規制緩和のスローガン「民がやれることは民へ」がそれであった。ところが安倍は小泉と違って、民間活動兎への国家の関与を強めている。こうした「取り戻す政治」、「かかわってゆく政治」は心情レベルでの国家主義ということもできる。国家主義の教義の定義は国家の権威と優位性、国家への国民の服従を求めるものである。安倍の「関わってゆく政治」政治手法は、先頭に立って関係者あるいは国民を目指す方向へ導く、「国家先導主義」と名付けよう。本書は100%事実に基づくノンフィクションというアプローチではない。資料に基づいて著者の推察力・洞察力が強力に働くのである。

(つづく)
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