アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「広河隆一事件」は他人事だろうか

2019年01月10日 | 差別・人権

 「フォトジャーナリスト」で雑誌「DAYS JAPAN」の発行人だった広河隆一氏が地位を利用して複数の女性に性的関係を迫った「性暴力事件」を告発した「週刊文春」(1月3・10日号)の記事が波紋を広げています。

 デイズジャパン社は12月26日に「声明」を出し、独自に広河氏から聴取した結果、同氏を12月25日付で代表取締役、取締役から解任したと発表しました。

 さらに同社は12月31日の2回目の「声明」で、広河氏からの「聞き取りを通じて、記事で取材に応じられた方々以外にも、同種の件があったことを確認」し、「今回報じられたような『性暴力』とは別に、社員や協力スタッフに対するパワーハラスメントと評されるべき事態が複数回」あったことも明らかにしました。
 同社はさらに調査をすすめ、「広河氏個人の過去の言動による被害実態」や、同社の体質について、休刊前の最終号で明らかにするとしています。

  当の広河氏は私が知る限り、「文春」報道以降、公に発言したのはデイズジャパンのHPに載った12月26日付の「コメント」だけです。

 この中で広河氏は、「取材に応じられた方々の気持ちに気付づくことができず、傷つけたという認識に欠けていました。私の向き合い方が不実であったため、このように傷つけることになった方々に対して、心からお詫びいたします」と述べています。これだけです。

  被害者を「取材に応じられた方々」と第三者的に称し、自らの行為を「向き合い方が不実」だったとするなど、問題の本質をとらえた謝罪とはとうてい言えません。
 広河氏は、事実と向き合い、被害者の声を真摯に聴き、自らの言動の意味を熟考し、文字通り心からの反省と謝罪を表明すべきです。

  そしていま、考えねばならないのは、今回表面化した「広河事件」は、広河氏だけの問題だろうか、ということです。

  ジャーナリストの乗松聡子氏(「アジア太平洋ジャーナル・ジャパンフォーカス」エディター)は、12月30日付琉球新報の連載コラム(「乗松聡子の眼」)で、<広河隆一氏の性暴力 女性差別抜け落ちた「人権」>と題してこの問題を取り上げ、「性暴力」の重大な犯罪性を指弾するとともに、こう指摘しています。

  「社会的正義を訴え、弱者を救済する仕事で尊敬を集めていた人物が、傍らでは女性の権利侵害の常習犯だったということは、衝撃をもって受け止められているが、これは氷山の一角ではないだろうか。
 私から見ると、いわゆる『平和』『人権重視』を自認する個人や団体の行動に、その守るべき人権やなくすべき差別から『女性』がすっぽりと抜け落ちていると感じることは少なくない。
 『正しいこと』をしているが故に、セクハラやパワハラが起こっても、被害者がより声を上げにくくなっているような状況を何度も目撃してきた。
 今回明るみになった広河氏の事件を社会全体で重く受け止め、真相究明、責任追及、被害者の支援・救済、加害者の更生に真剣に取り組むことこそが、将来にわたって泣き寝入りする被害者を一人でも減らすための道である信ずる」(改行は引用者)(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190104-00000008-ryu-oki

  外では「民主的」なことを言っていても、家では「亭主関白(男尊女卑)」、という話は昔から珍しくありません。あるいは、「女性の人権」が一般論にとどまり、肝心な身近な「女性」、家庭や職場の女性に及ばない。まさに「守るべき人権やなくすべき差別から『女性』がすっぽりと抜け落ちている」のです。

  「平和・人権」団体だけではありません。「ジャーナリズム」(メディア)の世界もこの傾向が強い社会です。
 そこは、自らの仕事・活動は「平和・人権・民主主義」を守っているのだという不遜な自負が蔓延し、さらに「先輩・後輩」、「師匠・弟子」の上下関係がはびこっているムラ社会です。広河事件の加害と被害の関係がそれを端的に示しています。伊藤詩織さんに対する元TBSの山口敬之氏の事件も同じです。

  私自身、男性として、かつて「平和と民主主義」を標榜する団体に身を置いていた者として、そして今も「ジャーナリスト」を自称している者として、自らの過去と現在を振り返り、乗松氏の指摘を他人事ととらえることはできません。

  広河氏や山口氏のように極端で表面化しなくても、それに類するような、あるいはそれに行きつくような言動は身近にあるのではないでしょうか。
 「平和・民主団体・組織」「メディア社会」であるのに、いや、あればこそ、表面化しない、しにくいという実態があるのではないでしょうか。

  「Me too」は性被害を受けた(受ける)被害者・女性の運動と思いがちですが、加害者あるいは加害者になる可能性が大きい男性にとっても、とりわけ「平和・人権・民主」団体・組織、ジャーナリズム(メディア)に身を置く男性にとって必要なのではないでしょうか。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする