明仁天皇が希望する「生前退位」について検討する有識者会議(座長・今井敬経団連名誉会長)は17日の初会合で、「8つの論点」(①憲法における天皇の役割②公務のあり方③高齢の場合の負担軽減策④〝摂政”の設置⑤国事行為の委任⑥天皇の退位⑦退位の適用範囲⑧退位後の身分・活動)を示しました。
この論点設定は、安倍首相の意向に基づくきわめて政略的なものです。
問題は、論点をこの「8つ」に限定することにより、重要・肝心な論点がはじめから排除されていることです。
1つは、「女性・女系天皇」「女性宮家」創設問題です。
今井座長は会議後、「女性・女系天皇の実現や『女性宮家』創設は議題に含まれないとの認識を記者団に示し」(18日付共同)ました。
これが、日本会議や安倍首相の年来の主張に沿うものであることは言うまでもありません。しかも安倍首相には、「女系天皇や女性宮家創設などの課題にも拡大していけば、目指す憲法改正論議が遠のく懸念もある」(同、共同)といわれています。
安倍首相は17日の初会合に出席し、「予断を持つことなく十分審議していただきたい」と述べましたが、最初から「女性・女系天皇」「女性宮家」創設を排除するは「予断」の最たるものです。
もう1つ「論点」から排除された肝心な問題は、憲法の「象徴天皇制」そのものの是非です。
「8つ」の中の①②を論議することは否定しません。それが政府の誘導でなく公正に議論されれば、明仁天皇が自らの判断で拡大してきた「公的行為」なるものの憲法上の問題点も明らかになるはずです。
しかし、①②も含め、「8つの論点は」すべて現在の「象徴天皇制」の枠内です。議論をこの枠内に押しとどめようというのが政府(国家権力)の狙いですが、それを容認することはできません。なぜなら、問われているのは「象徴天皇制」そのものだからです。
たとえば、「生前退位」を認めるべきだという意見の中に、「天皇と皇族は生身の人間だ。人間は人権を有している」(田中優子法政大総長、8月9日付中国新聞)、「一人の人間としては、天皇にも言論の自由があろう」(小熊英二慶応大教授、8月25日付朝日新聞)などの論調があります。世論調査で「生前退位」に賛成する「世論」の中にもこうした天皇の「人権」「自由」を理由とする意見は少なくないでしょう。
しかし、憲法の象徴天皇制は、天皇や皇族に基本的人権を認めていません。職業選択の自由も、結婚の自由も、居住・移転の自由も、苦役からの自由も、政治的発言の自由も認めてはいないのです。
「天皇制は一人の人間に非人間的な生を要求するもので、『個人の尊厳』を核とする立憲主義とは原理的に矛盾します。生前退位の可否が論じられるということは、天皇制が抱えるこうした問題が国民に突きつけられる、ということを意味します」(西村裕一北海道大准教授、8月9日付朝日新聞)
「天皇や皇室を規律する皇室典範について、天皇自ら改正を働きかけるということは、天皇が法の上に立つ専制的な権力を持った存在になるという解釈も成り立つ。象徴天皇制下で許されるのかという疑問はぬぐえない。…皇室典範の改正にとどまらず、憲法と天皇制の関係についても再検討する必要があるだろう」(原武史放送大教授、8月23日付琉球新報)
「生前退位」の問題は必然的に、「天皇制と立憲主義の矛盾」「憲法と天皇制の関係」に行きつかざるをえません。憲法の「象徴天皇制」自体の是非を問い直すこと。それこそが私たち主権者・国民が議論しなければならない「論点」です。