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アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

Nスぺ「沖縄戦最後の1カ月」が欠落させた2つの視点

2020年08月03日 | 沖縄と戦争

    
 2日夜のNHKスペシャルは、「沖縄“出口なき”戦場~最後の1カ月で何が~」と題し、帝国陸軍第32軍(牛島満司令官)が首里から南部へ撤退することを決めた1945年5月22日から6月23日までの1カ月に焦点を当てたものでした。

 米軍が細かいマス目の地図を作り精度の高い攻撃をしたことや、「新兵器」(VT信管)を使っていたことなどを「新たに分かった」としていましたが、特筆すべき新しさはありませんでした。しかし、「新事実」がなくても報道する必要・価値はもちろんあります。

 番組では、①首里の司令部が壊滅した時点で降伏せず南部へ敗走したことによって、1カ月で約4万6千人の県民が犠牲になった(沖縄戦における県民犠牲の約40%)②それは八原博通高級参謀が「本土決戦」の時間稼ぎのために主張し、牛島司令官が決断したもの③県民に対し「軍民共生共死の一体化」と称して軍に従うことを命じ、米軍への投降も禁じた④逃げ場となった壕・ガマでは軍と県民が混在し、軍は県民の食糧を奪い、子どもまで殺し、「自決」を強要した⑤県民に米軍への投降を禁じた八原は自分は投降して生き延びた―などが示されました。

 壕内で九死に一生をえた女性の、「敵はアメリカじゃない、友軍(日本軍)が敵になってしまった」という肉声(録音テープ)は、軍隊は住民を守らない、という沖縄戦の本質を言い表したもので、絶対に忘れてはならない言葉です。

 以上のような日本軍の暴虐・残忍さはこれまでの番組にくらべれば比較的よく伝えていた方だといえるでしょう。しかし、番組は重要な2つの視点を完全に欠落させていました。

 第1に、県民の犠牲を拡大した南部への撤退を、牛島、八原、長勇ら32軍司令部(写真中。左から、八原、牛島、長)が行ったものとしていましたが、その最終的な決断・命令を行ったのは東京の大本営です。そしてその最高責任者が天皇・裕仁であったことは言うまでもありません。

 沖縄戦全体が、「国体護持」=天皇制維持に固執した裕仁による時間稼ぎ(降伏引き延ばし)、そのために沖縄県民を犠牲にした「捨て石」作戦であり、南部への撤退もその一環でした。沖縄県民犠牲の最大の責任者は天皇裕仁です。この点を抜きにして沖縄戦の本質を語ることはできません。

 第2に、「軍隊は住民を守らない」という鉄則は、けっして過去の話ではないということです。沖縄県民を死に追いやった日本軍=皇軍。それが名前を変えて今に続いているのが自衛隊にほかなりません。
 自衛隊は組織的にも思想的にも帝国陸海軍の流れをくむ軍隊です。それは毎年、「沖縄慰霊の日」(6月23日)の早朝、沖縄に駐屯する自衛隊の幹部たちが制服姿で、牛島ら32軍を慰霊する「黎明の塔」に参拝している事実1つをとっても明らかです。

 その沖縄の自衛隊を、安倍晋三政権は日米軍事同盟(安保条約体制)に基づいて拡大・強化し、宮古島、石垣島、与那国島など八重山諸島をミサイル基地・最前線基地にしようとしています。
 自衛隊の説明会で、配備強化に反対する島民が、島が戦場になった場合どこに逃げればいいのかと問いただしたのに対し、自衛隊は、そこまで責任は持てないと答えました。

 島が戦場になれば住民は逃げ場がない。軍は住民を守らない。沖縄戦が示したこの厳然たる事実は、けっして75年前の話ではなく、まさにいま、現在進行形で沖縄で起ころうとしていることなのです。

 NHKの番組にそこまで望むのは土台無理な話ですが、番組を見た私たちは、「友軍が敵になってしまった」という壕の女性の言葉を、過去の話として聞き流すことは許されません。

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