アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

朝鮮戦争と私たち<上> 戦争は終わっていない

2016年05月11日 | 日米安保と東アジア

        
 北朝鮮は今年1月、「核実験」を行いましたが、それに関する興味深い記事が、しばらくして共同通信配信で載りました。
 「北朝鮮が1月の核実験前にオバマ米大統領に対し、朝鮮戦争の休戦協定に代わる平和協定締結をめぐる協議を要請、米朝が接触していたことが分かった」(2月23日付中国新聞)
 米政府はこの事実を認めたうえで、協議を拒否したといいます。

 そして今回の朝鮮労働党大会。金正恩第一書記は活動報告で、「米国に朝鮮戦争休戦協定を平和協定に転換するよう改めて要求」(9日付中国新聞=共同)したのです。

 朝鮮戦争は「休戦」しているだけでまだ終わっていない。早く終わらせて「平和協定」を結ぶ必要がある。これが北朝鮮の外交政策の根本なのです。
 しかし、日本人(およびアメリカ人)の多くは朝鮮戦争を忘れています。

 「私たちは過去をどのように記憶し、私たちはどのように忘却するのでしょうか。それを歴史から学ぼうとすれば、たいていの米国人と日本人がすっかり忘れていると言ってもよいもう一つの戦争に私たちは辿り着きます。すなわち、朝鮮戦争という、第二次大戦終結から五年もたたないうちに勃発した戦争です。
 他方、北朝鮮と韓国の人々はこの大戦火をけっして忘れたことがありません。特に北朝鮮について言えば、今日にいたるまで同政府の見解と行動を方向づけているのは、この戦争なのです」(ガバン・マコーマックオーストラリア国立大名誉教授、『転換期の日本へ』NHK出版新書)

 北朝鮮の「核政策」も朝鮮戦争によって規定されています。なぜなら、「敵対国」であるアメリカは朝鮮戦争で北朝鮮に核爆弾を投下する寸前だったからです。

 「朝鮮戦争開始からちょうど一月後の一九五〇年七月二四日、マッカーサー元帥は中国の介入によって『比類なき原爆使用』が行われると予期した。五カ月後…実際にマッカーサーは朝鮮半島で三四発の原爆を使用する計画案を統合参謀本部へ提出した。朝鮮戦争が頂点に達した一九五一年三月末までに、沖縄の嘉手納基地では原爆搭載機用ビットが作戦使用可能となり、あとは核コアを装填すればよいばかりの状態となっていた」(ジョン・W・ダワーマサチューセッツ工科大名誉教授、同『転換期の日本へ』)

 こうした朝鮮戦争の歴史的事実を「忘却」して、あるいは知らずに、または知っていて故意に知らぬふりをして、北朝鮮の「核保有」だけを一方的に批判することがいかに不当であるか明らかでしょう。

 「忘れられた戦争」といわれる朝鮮戦争。それを国際社会に知らせ、気づかせようと、80年代から行われている市民活動があります。朝鮮半島を分断する38度線を歩いて渡り、平和を訴え、朝鮮戦争を終わらせようと呼びかける各国の女性たちの行動(「インターナショナル・ウィメン・クロスDMZ」)です。昨年(5月)これに参加した沖縄の高里鈴代さん(「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」共同代表)は、その報告でこう述べています。(写真は「けーし風」より)

 「朝鮮戦争の一九五〇年から五三年までに四〇〇万人が死亡し、そのほとんどが一般市民でした。一千万人の家族が未だ非武装地帯によって分断されている。七千万人の朝鮮人がいまだ未解決紛争によって戦争状態の下で生きている。停戦状態から六十余年が経ち、私たちは未だ平和条約を待っている。この未解決紛争状態によって、米国、中国、ロシア、日本、そして韓国の軍事強化の口実となっているのです」(「けーし風」2015年10月号)

 これは「忘れた」「知らない」ではすまされない歴史の事実です。
 しかも日本人にとって朝鮮戦争は、「隣国の歴史」ではありません。日本(日本人)自身がその当事国(当事者)なのです。(続きは明日)


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