夜の涼しさを求めて夜を明かした山梨県の「道の駅朝霧高原」で雨の朝を迎える。
昨夜、この道の駅からシルエットになって、くっきりとした富士山が見えていた。これが4日間で下から見えた最初で最後の富士山だった。
東海地方にまともに上陸するという台風12号から逃れて、ひたすら北上した。
国道20号~国道16号~国道4号と繋ぎ、栃木県那須塩原市の「道の駅にしなすの」まで走った。雨は、栃木県内が最も強かった。
初めて走った国道20号は甲州街道なので、街道沿いの名所や旧宿場町の雰囲気を残す所に寄った。また、同じく初めて走った国道6号では、八王子や武蔵野を通り、横田基地も目にした。また、かねてから観たいと思っていた川越市の蔵造りの街並みを散策することができた。
⭕猿橋
桂川の深く美しい渓谷に架かる名勝猿橋。「錦帯橋」「木曾の桟」とともに日本三奇橋に選ばれ、長さ31m、幅3.3m、高さ31m。橋脚を使わず両岸から張り出した四層のはね木によって支えられている。
このように深い断崖絶壁の川ゆえに、このような工法で造られたようだ。
猿橋の架橋の始期については、「昔、推古帝の頃(600年頃)百済の人、志羅呼。この所に至り猿王の藤蔓をよじ、断崖を渡るを見て橋を造る」という伝説がある。なお、この橋は旧甲州街道の橋である。
⭕甲州街道の宿場の面影
国道沿いに建ち並ぶ上烏沢宿の古民家
上野原宿の名物酒まんじゅう。立て続けに4軒もあったので寄ってみた。ここだけで現在10軒もの酒まんじゅう屋があるそうだ。
こちらのイメージよりかなり大きい酒まんじゅう。直径10cmほど。1個85円。
このあとの甲州街道の宿場町にも、多くの酒まんじゅう屋があったところを見ると、甲州街道の名物でもあるらしい。
旧藤野町立郷土資料館「吉野宿ふじや」。明治29年の大火後すぐに再建された旅籠屋「藤屋」を活用している。
桑の葉を食べる蚕。この地域は、昔は養蚕と木炭作りが中心だったとのこと。たまたま昔の産業展が開催されていて、それに合わせて公開しているようだ。
向かいに残る明治29年の大火で焼け残った蔵。この左には、大火で焼けてしまったが、木造五層楼の吉野宿本陣があったという。
初めて目にしたナツメの実
現存する江戸時代後期の小原宿本陣
⭕川越市蔵造りの街並み
蔵造りは類焼を防ぐための巧妙な耐火建築で、江戸の町家形式として発達したもの。今の東京では見ることのできない江戸の面影をとどめている。川越商人の心意気が感じられる。
平成11年には国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、平成19年には「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されている。
ちょうど今日と明日は「川越万灯会祭り」で、きれいな提灯が飾られていて、観光客で賑わっていた。
昨夜、この道の駅からシルエットになって、くっきりとした富士山が見えていた。これが4日間で下から見えた最初で最後の富士山だった。
東海地方にまともに上陸するという台風12号から逃れて、ひたすら北上した。
国道20号~国道16号~国道4号と繋ぎ、栃木県那須塩原市の「道の駅にしなすの」まで走った。雨は、栃木県内が最も強かった。
初めて走った国道20号は甲州街道なので、街道沿いの名所や旧宿場町の雰囲気を残す所に寄った。また、同じく初めて走った国道6号では、八王子や武蔵野を通り、横田基地も目にした。また、かねてから観たいと思っていた川越市の蔵造りの街並みを散策することができた。
⭕猿橋
桂川の深く美しい渓谷に架かる名勝猿橋。「錦帯橋」「木曾の桟」とともに日本三奇橋に選ばれ、長さ31m、幅3.3m、高さ31m。橋脚を使わず両岸から張り出した四層のはね木によって支えられている。
このように深い断崖絶壁の川ゆえに、このような工法で造られたようだ。
猿橋の架橋の始期については、「昔、推古帝の頃(600年頃)百済の人、志羅呼。この所に至り猿王の藤蔓をよじ、断崖を渡るを見て橋を造る」という伝説がある。なお、この橋は旧甲州街道の橋である。
⭕甲州街道の宿場の面影
国道沿いに建ち並ぶ上烏沢宿の古民家
上野原宿の名物酒まんじゅう。立て続けに4軒もあったので寄ってみた。ここだけで現在10軒もの酒まんじゅう屋があるそうだ。
こちらのイメージよりかなり大きい酒まんじゅう。直径10cmほど。1個85円。
このあとの甲州街道の宿場町にも、多くの酒まんじゅう屋があったところを見ると、甲州街道の名物でもあるらしい。
旧藤野町立郷土資料館「吉野宿ふじや」。明治29年の大火後すぐに再建された旅籠屋「藤屋」を活用している。
桑の葉を食べる蚕。この地域は、昔は養蚕と木炭作りが中心だったとのこと。たまたま昔の産業展が開催されていて、それに合わせて公開しているようだ。
向かいに残る明治29年の大火で焼け残った蔵。この左には、大火で焼けてしまったが、木造五層楼の吉野宿本陣があったという。
初めて目にしたナツメの実
現存する江戸時代後期の小原宿本陣
⭕川越市蔵造りの街並み
蔵造りは類焼を防ぐための巧妙な耐火建築で、江戸の町家形式として発達したもの。今の東京では見ることのできない江戸の面影をとどめている。川越商人の心意気が感じられる。
平成11年には国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、平成19年には「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されている。
ちょうど今日と明日は「川越万灯会祭り」で、きれいな提灯が飾られていて、観光客で賑わっていた。