癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

田子ノ浦~村山古道~富士山(2日目)

2018年07月26日 | 登山・旅行
    
    今日の宿、富士宮コース8合目の池田館

 夜中は雨が降り続いていたが、スタート時の5:00には上がってくれた。
 ずっと霧雨が降ったり止んだりを繰り返したが、雨具を着ることはなかった。お陰で、暑くもなく、あまり汗を掻くことはなかった。

 村山古道を抜けて、15:00をメドに登れるところまで登るつもりでスタート。

 11:50、村山古道を抜けて、標高3010mの富士宮ルートの新6合目で登山道に合流した。その上は、晴れていてたが暑くはなかった。
 
 14:30に到着した8合目の池田館を今日のゴールとした。標高3250mなので、今日の獲得標高は2750mである。登山道へ合流してからの登りが、疲れた体には辛かった。それでも、コースタイムより速かった。

    
 村山浅間神社の横に村山道の入口があり、石畳の道となっていた。すぐに車道歩きとなったが、再び石畳の道が少し続いた。その後、しばらくは舗装の林道が続いた。

    
 未舗装の林道に入り、いよいよ登山モードとなる。
 標識や赤布やピンクテープが充実していて、迷う心配は全くなかった。

    
    杉や桧の人工林の中を進む。1000年以上続いた古道なので、深く掘れているところが多かった。

    
 6:25、820m、修験最初の遺跡、大ケヤキの札打場跡。古道が復活してからのものと思われる多くのお札が納められていた。

    
 7:30、富士山麓山のむら(休憩)。そばに
大きな建物があり、学生が歩いていた。村山古道で人を見かけたのはここだけ。
 右奥の橋の架かる日沢が富士市と富士宮市の境界で、ずっと上までこの日沢に絡んで古道が続いている。

    
 読み取れない石碑。新しいお札が納められていた。。これも古道が復活して参拝者が来れるようになったのだろう。

    
 8:20、1270m、中宮八幡堂到着。ここは、かつて馬返しの場所で役人が常駐していたという。女人禁制の山だったので、近くに女人堂もあったそうだ。
 馬返しがあるということは、このあと、斜度がきつくなるはず。なお、その横に続く踏み跡を進んだら、だんだん不明瞭になる。戻ったら、八幡宮の下に、日沢を横切って反対側に渡る所があった。

    
 溶岩剥き出しの日沢。この辺りから傾斜が徐々に急になってくる。

    
 11:05、2180m、高度を上げて行くと、植生はシラビソとツゲが中心となり、所々にはこのような倒木の海がある。開削するのが大変だったろう。

    
 2200m付近に広がる花畑。この辺りから花が多くなる。(花はまとめて、明日アップ予定)

     
 林を抜けたと思ったら、ガスが取れ、目の前に山肌が現れた。いよいよ村山古道も終わりである。

      
 11:50、2500m、新6合目の雲海荘と宝永山荘。ここまで、6時間弱で2000m登ったことにことになる。ここで、村山古道は終わりである。

    
 雲海山荘で、汁ものが食べたくて、天ぷらそばを食べる。
 そのあと、15時までには着けるだろうと、8合目の池田館に予約の電話を入れた。

    
 いよいよ富士宮コースの登りである。村山古道では誰にも会わなかったが、ここは嫌というほどの登山者がいる。

    
 はるか頭上に今日のゴール池田館が見える。

 疲れた体に、足場の悪い急傾斜の登りは非常に堪える。休み休み登っていく。

    
 14:30、3250mの8合目、池田館に到着。夕食のみで6500円。缶ビールは350mlが700円だった。数年前の朝日連峰以来だった。

    
 部屋は、いくつの区切りのある上下2壇の造りになっている。

    
 寝床は、2畳間を少し長くしたような部屋で、寝袋が3人分。結局、満員だったようで、夫婦連れと一緒だった。

    
 小屋の前から、明日下りで通る予定の宝永山と宝永火口が見えた。

    
 富士山の山小屋は水がなく、下から運ぶので、手の掛かる料理はできないので、夕食はどこもカレーと聞いていたが、本当にそうだった。
 寒かったので、一人一杯だけだったが、温かいお茶が美味しかった。

 早い夕食後、すぐに寝袋に入ったが、下が薄いマット1枚で固くて、なかなか寝付けなかった。その内に寒くなったので、持参した衣類をすべて着込んだ。

 明日は、天気が良さそうなので、2時過ぎに出てご来光を仰いで下山するつもり。

3日目(8合目~頂上(ご来光)~宝永山~下山)へ