今日で、今回の武州路・上州路~信濃路~木曽路までを第一弾の終わりとして、残りの美濃路と近江路は、紅葉の11月中旬ごろに合わせるつもりだ。
今回は、当初の計画を2日分詰めることができ、まだまだ歩ける自信が付いた。
朝から手の込んだ手作り感満点の朝食。
ようやく最後になって、途中何度も目は覚めたが、8時間近く眠ることかでき、スッキリとした朝を迎えることができた。今日は、最短距離なので、遅い朝食も摂って、車で妻籠宿まで送ってもらった
8:00、ラストウォークのスタート。土曜日でもあり、出会う人も多く、その内1/3は欧米人だった。馬籠宿は観光客で賑わっていた。
妻籠宿から馬籠宿の間も見所が多かった。しかも、嬉しいことにほとんどが、いにしえのままの自然道だった。特に妻籠と馬籠の間は、もう一度歩いても良いと思うほどだった。
まずは水車小屋をはじめ、昔ながらの風情が残る大妻籠集落。昨日泊まった民宿はこの上の山の方へ上がったところだった。ここには、その民宿も含めて今でも営業している宿が6軒あるそうだ。妻籠宿の中の宿は5軒とのこと。昭和40年代は50軒近くあっても足りないくらいだったらしい。
つづら折りの石畳の道。急な坂道は雨で土砂が流れないように石畳にしたようだ。
一石栃立場茶屋跡は格好の休憩場所になっている。内部も開放して休憩所にしていた。
長野県と岐阜県の境になっている馬籠峠。
馬籠峠を抜けた峠集落は、伸びやかな斜面が広がる。
馬籠峠からの下りも生活道路以外は自然道だった。
馬籠の入口は小さな峠の上にあらり、正面に頭を雲に隠した恵那山が見えた。
いよいよ馬籠宿に入っていく。「馬籠宿」は、1896年の大火でほとんど焼失してしまい、いまある家並みはその後復元されたものである。「妻籠・馬籠」とセットで語られることか多いが、妻籠の伝統的建造群保存地区に対して、こちらは、宿場のテーマパークといった色合いが強い。
街道の両側にずらりと並ぶ飲食店や土産物屋も、現代的な宿場歩きが楽しめる。それでも、住民が一丸となって町並み保存に力を入れたことや、年月を経たことで、馬籠は宿場町ならではの風情を充分に醸し出している。
また、馬籠と言えば、島崎藤村である。生家や本人の墓もあり、幕末から明治にかけての激動の時代を描き、この馬籠宿を全国に広めた『夜明け前』の舞台でもある。
本陣跡にある島崎藤村記念館など多くの資料館や関係する建物が存在する。
ちなみに、藤村の妻は函館の人てある。『破戒』の出版に当たって実家の世話になった話は有名である。
おやつ代わりの五平餅を食べた。説明板をバックに。
馬籠宿を抜けた先の子規公園から眺める棚田が美しい。
十曲峠は、深い木立の中を石畳の続く急な坂道が続く。
「落合宿」は、本陣跡や常夜灯が目を引く静かな宿場である。
中ほどには、加賀百万石前田家から贈られたという格式高い表門を持つ井口本陣跡。中山道ではも数少ない現存する本陣建築で、今でも住居としながら保存されている。
いよいよ今回のゴールとなる中津川宿までの歩きとなった。馬籠宿からも同様に結構坂道の多い歩きだった。特に与坂は、距離は短いが、これまででもっとも急な坂道たった。
12:50、中津川駅に到着。中津川宿の歩きは、次回の楽しみとして残しておき、ここを今回のゴールとした。
中津川駅で立ち食いそばを昼食とし、お土産を買い、名古屋駅まで電車で移動。
名古屋での宿は、土曜日なのでどこも混んでいそうだ。いろいろ探すのが面倒なので、名古屋駅に近いカプセルホテルに電話したが、3軒目でようやく確保することができた。
大浴場にゆっくり入り、夕食には早かったが、ホテル内の飲み食い処で「名古屋セット」を肴に、一人打ち上げ。あと、名古屋名物の味噌煮込みうどんを食べたかったので、地下鉄に乗って有名店の山本屋本店へ。
帰りに、これまた名古屋名物の世界の山ちゃんの手羽先も食べた。
明日は、一便しかない直行便でかえりたかったが、満席でシニア割引が使えない。空席のある羽田乗り継ぎで帰る予定。
【歩数計】26560歩。中津川駅まで
【諸経費】省略
今回は、当初の計画を2日分詰めることができ、まだまだ歩ける自信が付いた。
朝から手の込んだ手作り感満点の朝食。
ようやく最後になって、途中何度も目は覚めたが、8時間近く眠ることかでき、スッキリとした朝を迎えることができた。今日は、最短距離なので、遅い朝食も摂って、車で妻籠宿まで送ってもらった
8:00、ラストウォークのスタート。土曜日でもあり、出会う人も多く、その内1/3は欧米人だった。馬籠宿は観光客で賑わっていた。
妻籠宿から馬籠宿の間も見所が多かった。しかも、嬉しいことにほとんどが、いにしえのままの自然道だった。特に妻籠と馬籠の間は、もう一度歩いても良いと思うほどだった。
まずは水車小屋をはじめ、昔ながらの風情が残る大妻籠集落。昨日泊まった民宿はこの上の山の方へ上がったところだった。ここには、その民宿も含めて今でも営業している宿が6軒あるそうだ。妻籠宿の中の宿は5軒とのこと。昭和40年代は50軒近くあっても足りないくらいだったらしい。
つづら折りの石畳の道。急な坂道は雨で土砂が流れないように石畳にしたようだ。
一石栃立場茶屋跡は格好の休憩場所になっている。内部も開放して休憩所にしていた。
長野県と岐阜県の境になっている馬籠峠。
馬籠峠を抜けた峠集落は、伸びやかな斜面が広がる。
馬籠峠からの下りも生活道路以外は自然道だった。
馬籠の入口は小さな峠の上にあらり、正面に頭を雲に隠した恵那山が見えた。
いよいよ馬籠宿に入っていく。「馬籠宿」は、1896年の大火でほとんど焼失してしまい、いまある家並みはその後復元されたものである。「妻籠・馬籠」とセットで語られることか多いが、妻籠の伝統的建造群保存地区に対して、こちらは、宿場のテーマパークといった色合いが強い。
街道の両側にずらりと並ぶ飲食店や土産物屋も、現代的な宿場歩きが楽しめる。それでも、住民が一丸となって町並み保存に力を入れたことや、年月を経たことで、馬籠は宿場町ならではの風情を充分に醸し出している。
また、馬籠と言えば、島崎藤村である。生家や本人の墓もあり、幕末から明治にかけての激動の時代を描き、この馬籠宿を全国に広めた『夜明け前』の舞台でもある。
本陣跡にある島崎藤村記念館など多くの資料館や関係する建物が存在する。
ちなみに、藤村の妻は函館の人てある。『破戒』の出版に当たって実家の世話になった話は有名である。
おやつ代わりの五平餅を食べた。説明板をバックに。
馬籠宿を抜けた先の子規公園から眺める棚田が美しい。
十曲峠は、深い木立の中を石畳の続く急な坂道が続く。
「落合宿」は、本陣跡や常夜灯が目を引く静かな宿場である。
中ほどには、加賀百万石前田家から贈られたという格式高い表門を持つ井口本陣跡。中山道ではも数少ない現存する本陣建築で、今でも住居としながら保存されている。
いよいよ今回のゴールとなる中津川宿までの歩きとなった。馬籠宿からも同様に結構坂道の多い歩きだった。特に与坂は、距離は短いが、これまででもっとも急な坂道たった。
12:50、中津川駅に到着。中津川宿の歩きは、次回の楽しみとして残しておき、ここを今回のゴールとした。
中津川駅で立ち食いそばを昼食とし、お土産を買い、名古屋駅まで電車で移動。
名古屋での宿は、土曜日なのでどこも混んでいそうだ。いろいろ探すのが面倒なので、名古屋駅に近いカプセルホテルに電話したが、3軒目でようやく確保することができた。
大浴場にゆっくり入り、夕食には早かったが、ホテル内の飲み食い処で「名古屋セット」を肴に、一人打ち上げ。あと、名古屋名物の味噌煮込みうどんを食べたかったので、地下鉄に乗って有名店の山本屋本店へ。
帰りに、これまた名古屋名物の世界の山ちゃんの手羽先も食べた。
明日は、一便しかない直行便でかえりたかったが、満席でシニア割引が使えない。空席のある羽田乗り継ぎで帰る予定。
【歩数計】26560歩。中津川駅まで
【諸経費】省略
中山道歩き旅(第1弾)を振り返る」へ