<07,7,8、緑岳と小泉岳の間で撮影したチョウノスケソウ>
昨夜、函館まちづくり交流センターで行われた講演会「氷河期を生きのびてきたチョウノスケソウと高山植物たち」(講師・北海道学園大学教授 佐藤 謙氏)を聴きに行ってきた。
葉に特徴があり、限られたところにしか分布しないチョウノスケソウは好きな高山植物の一つである。
この花は、ほかの花より時期的に早く咲くこともあり、この花目的で、07,7,8に緑岳~小泉岳へ登ったこともあるくらいだ。
また、北海道の高山植物の第一人者である佐藤先生の講演が聞きたかったことも目的の一つであった。
このチョウノスケソウの発見者で、和名の由来となった須川長之助が、幕末にこの箱館に住んでいて、ロシアの植物学者マキシモビッチの助手として活躍したことを調べていた函館山自然観察指導員木村マサ子さんが、たまたま会議で来函される佐藤先生にお願いして開催された講演会であった。
<講演の前段で、須川長之助のことを説明する木村マサ子さん>
・長之助は、桜田門外の変当時、大工見習として箱館へ。
・1860年9月に箱館に来たマキシモビッチの助手になり、近郊で植物採集に当たる。
・マキシモビッチ帰国後も日本各地で植物採集を続け、彼へ送り続けた。
・1889年(明治22年)8月に、立山一ノ越辺りでバラ科の不明な種を採集し、マキシモビッチへ送る。この花に、マキシモは「ヨーロッパ産とは異なる新種・ドリアス・チョウノスキー」と命名する。
・1895年(明治28年)、牧野富太郎により、和名「チョウノスケソウ」として発表。
佐藤先生の講演は、自身の撮影された写真をもとにした日本産とヨーロッパや北米産のチョウノスケソウの生育条件や花の相違点などが中心だった。
・日本産は、北海道と本州中部にしか分布しない。外国産に比べて、葉が小さくずんぐりむっくり。
・両方のルーツは不明だが、北海道のはサハリン経由で、本州中部のは朝鮮半島経由で入ってきている可能性もある。
・チョウノスケソウ属は、典型的な高地植物で、高緯度のツンドラに連続分布し、中緯度では高山帯、石灰岩地、風穴地などに「氷期の遺存種(氷河の生き残り)」として隔離分布している。
・世界的には、地域によって、多種多様な種・亜種・雑種がある。花が黄色で下向きのキバナチョウノスケソウもある。