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息子のためにオスマン式割礼式をして辞職した副知事さん

2014年05月30日 | 国内
5月30日 ブルサ県の副知事が息子のために、スルタンの墓のそばでオスマン・スタイルの割礼式を行い、一般の批判を招き、5月30日、辞職することになりました。

 Hurriyet

ブルサ県のメフメト・オズジャン副知事は、彼の6歳の息子の割礼式を祝うために、スルタン・ムラト1世の墓のあるチェキルゲ地区のヒュダヴェンディカル・モスクを選びました。
割礼式は多くのムスリムが男性となる第一歩と考えている儀式です。

オスマンの皇子のような衣装をつけたオズジャン副知事の息子は、馬に乗ってモスクに到着し、装飾された玉座にすわりました。少年と家族の後ろには、オスマン軍楽隊イエニチェリとハーレムの美女たちに扮した女性たちが従いました。割礼式の後はブルサのホテルでパーテイです。

たまたまモスクに来た数人の人々が豪勢な割礼式に驚いてカメラにおさめ、その映像がソシアル・メディアに流れて、一般の反発を買い、副知事は辞職すべきだという声が上がりました。
一般の批判の声の中、オズジャン副知事は5月30日づけで辞職しました。

「オズジャン氏はしばらく休暇を取っていました。彼は割礼式のイベントを別れの挨拶にしたのでしょう。ミュニル・カラルオール知事はこの割礼式については知らなかったはずです」と、ある情報通は語りました。

・・・「公職にある者が・・・」という反発を買いましたが、私、個人的にはオスマン・スタイルの割礼式、見てみたかったです。


「PKKよ、息子を返して」クルド人母親たちのすわり込み

 大勢のクルド人家族が、昨日、東南部ディヤルバクル県で、テロリスト組織PKKによる強制徴集に抗議の声を上げました。家族たちはすわり込みをつづけています。
他の都市から駆けつけた親たちも抗議に参加しています。

 Sabah

5月19日、PKKに15歳の子供をさらわれた2人の母親がディヤルバクル市庁前で、すわりこみをはじめましたが、水曜には2人の母親に同調する人の数は30人に達し、昨日は46人になりました。
プロテストに参加したのは、エルズルム県、カルス県、マルディン県、イズミル県で子供たちをさらわれた母親たちです。

18歳以上の子供たちもいますが、親たちは、子供たちは洗脳され、参加を強制されたと信じています。PKKに徴集された子供たちの年齢は12歳から23歳です。
スッドゥカ・アルタンさんは、18歳の息子がもう36日間も「PKKに捕まっている」と言い、ハトゥン・ユルマズさんは、23歳の息子が1か月前にテロリスト・グループに入ったと言っています。
メイレム・ギュナイさんの14歳の息子オズジャン君は、2か月前、PKKに参加させられたそうです。

家族たちはPKKと近い関係にあるといわれる平和民主党(BDP)のセラハッティン・デミルタシュ氏と会いました。デミルタシュ氏は家族に、“カンディル”と連絡をとると約束しました。カンディルとはPKKが基地にしている北イラクの山の名です。
悲嘆にくれる家族たちは、この展開に力を得ましたが、彼らはまだ「世界子供の日」の6月1日まで抗議をつづける考えです。

 Hurriyet

親たちを代表して、15歳のフラト・アイドゥン・エレン君の父親セラミ・エレンさんは、「トルコの人々は私たちの抗議を支持してくれています。首相、NGO,諸政党を含むすべての人に感謝します」言いました。ディヤルバクルでプロテストを始めたのは彼の妻です。

デミルタシュ氏との話合いは肯定的展開になったと、エレンさんは言っています。|私たちは彼を信じています」
PKKは、家族たちは「PKKに子供を入れないよう政府に教え込まれている」と言っています。
ヴァンのシュレイヤ・トクラルさんの14歳の息子もPKKに入れられたそうです。「息子はてんかん持ちで、治療が必要なのです。彼は暗闇が恐くて1人では眠れません。PKKとは暮らせません。息子には私が必要なのです。お願いですから、息子を返してください」

Hurriyet

イフェト・ギュネシュさんは、4月23日、18歳の娘が友人とピクニックに行ったきり消息を絶ったと言っています。「私のひとり娘です。返してください。私は心臓病があります。娘が帰ってこなかったら、私は死んでしまうでしょう」

4月10日、20歳の息子セダット君がPTTに入ったリュトフィエ・ボズオールさんは「こんなことになるために子供を育ててきたんじゃありません。息子が帰ってくるまで、私はここを動きません」と言っています。彼女は女性たちのプロテストのニュースを知って参加したそうです。

BDPとHPD(BDPの姉妹政党)が子供を取り戻すことができなかったら、政府が子供たちを取り戻すと、エルドアン首相は言っています。
PKKのテロを終わらせ、全国のクルド・コミュニティの権利を回復するために、政府のイニシアティブで和解プロセスが進行してきました。イニシアティブの一環として、トルコ政府は、テロリスト組織のリーダー、アブドゥラ・オジャランとの話合いも始めました。

PKKはトルコ領内からの撤退を発表し、事実上の休戦となっていました。
ビュレント・アルンチ副首相はBDPについて、“わがクルドの兄弟”を代表する政治家たちが、プロテストする母親たちの悲しみを分かち合い、子供たちを解放させるだろうと言いました。


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