前頁 国体明徴・天皇機関説問題 3 「 機関説排撃 」 の 続き
(一) 愛國諸團體の排撃運動
美濃部博士が帝國議會に於て 「 一身上の弁明 」 に籍口して
自己の唱導する天皇機關説を説明した事は天下の輿論を沸騰せしめ、
之を契機として問題は急激に擴大し、
皇國生命の核心に触れる重大事件として全國の日本主義国家主義諸團體は殆ど例外なく
機關説排撃の叫びを擧げ、
演説會の開催、排撃文書の作成配布、當局或は美濃部博士に對する決議文、自決勧告の文附、
要路者訪問等 種々の方法に依り運動を展開した。
・・・中略・・・
諸團體の裡で當初より最も活潑に活動したものは
國體擁護聯合會、國民協会、大日本生産黨、新日本國民同盟、愛國政治同盟、
明倫會、政黨解消聯盟等であつた。
・
排撃運動の中心たる國體擁護聯合會は
三月上旬には國務大臣の議會に於ける答弁速記録を引用せる長文の聲明書
竝にポスターを発行して全國各方面に送附して諸團體の蹶起を促し、
三月九日 青山會館に会員三百余名參會して本問題に關する聯合総會を開き、
言論、文書、要路訪問、地方との聯絡、國民大會開催等の運動方針を定めたる後、
總理大臣以下内務、文部、陸軍、海軍 各大臣に對し
「 順逆理非の道を明斷すると共に重責を省みて速かに處決する處あるべき 」
旨の決議を、
一木樞相に對しては
「 邪説を唱導したる大罪を省み恐懼直に處決する所あるべし 」
との決議を爲し
代表者は之を夫々各関係廳に提出する等 運動に拍車を加へた。
・
赤松克磨を理事長とする国民協會は三月十日開催せる全國代表者會議に於て、
美濃部思想糾弾に關する件を上程して
「 機關説思想を討滅すると共に之を支持する一切の自由主義的勢力 及 制度の打破に進むべきこと 」
を決議し
翌十一日 同趣旨の決議文を政府當局 竝に 美濃部博士に提出し、
次いで同月十六日
「 美濃部思想絶滅要請運動に關する指令 」
を全國支部に發送し、
各地に於て天皇機關説反撃演説會を開催して旺に輿論の喚起に努むると共に、
要請書署名運動を起し、
約二千五百名の署名を獲得し、
代表者は首相を訪問して左記の如き要請書を提出した。
要請書
美濃部博士の唱導する天皇機關説が我が國體の本義に背反する異端邪説なることは
既に言議を用いずして明かなり、
此説一度び貴族院の壇上に高唱せらるるや、全國一斉に慷慨奮起して其の非を鳴らし
之に対する政府の善處を要望しつつあるに拘らず
政府は徒らに之を糊塗遷延し 以て事態を曖昧模綾の裡に葬り去らんとしつつあるは
忠節の念を欠き 輔弼の責を解せざるの甚しきものと認む。
政府は速かに斯の思想的禍害を剪除して國民の國體観念を不動に確立せんが爲め
左の如き處置を講ぜんことを要請す。
一、天皇機關説が國體と相容れざる異端の學説なることを政府に於て公式に聲明すべし
一、軍部大臣として國體 及 統帥權擁護を明示せしむべし
一、美濃部達吉をして貴族院議員 竝 一切の公職を辭せしむべし
一、美濃部博士 其の他 天皇機關説を主張する一切の著者の發行頒布を禁止するは勿論
之を永久に絶版せしむべし
一、美濃部説を支持する一切の教授、官公吏等を即時罷免一掃すべし
國民協會
内閣總理大臣 岡田啓介閣下
・
・・・中略・・・
機關説問題は愛國團體が結束し協同闘爭を展開するに好箇の題目であつた。
所謂日本主義國家主義陣営には指導理論を異にする多數の團體があり、
而も從來より感情の齟齬、特別な人的關係の爲、
陣営に統一なく 其の活動は個別分派的に傾いていたのであるが、
階級闘爭を主張す國家社會主義から進歩的革新的日本主義
更に極端な復古的日本主義に至る迄 その色調は何れも日本的であり、
其の眞髄を爲すは國體の開顯、國體の原義闡明にあつた。
されば美濃部學説排撃に關しては、全く小異を捨てて大同に就き、
國體の擁護、國體の原義闡明なる大目標に向つて戰線を統一して、猛然墳起することが出來た。
三月八日 結成された 「 機關説撲滅同盟 」 は
機關説排撃の爲 一大國民運動を展開する意圖の下に 黒竜會の提唱に依り
頭山満、葛生修吉、岩田愛之助、五百木良三、西田税、橋本徹馬、宇野田夫、
蓑田胸喜、江藤源九郎、大竹貫一、
等 東京愛國戰線の有力者四十余名の會同を得て、
黒竜會本部に開催せられた 「 美濃部博士憲法論對策有志懇談會 」
を 恆常的組織としたものであつて、
運動目標を
(一) 天皇機關説の發表を禁止すること
(ニ) 美濃部博士を自決せしむる
ことに置き、
而して運動方針として
(一) 貴衆両院の活動により政府に實行を促すこと
(ニ) 国民運動により直接政府に迫ること
(三) 有志大会を開き國民運動の第一着手とすること
等を定め、
次いで同月十九日には上野静養軒に於て左記の如く有力人物外六百名の出席の下に
機關説撲滅有志会を開催して大いに気勢を擧げた。
・・・後略・・・
・
(ニ) 革新陣営の主張
斯くの如く愛國諸團體は全國的に排撃運動を展開し、國論は沸いた。
當時に於ける此等愛國諸團體の主張する所を綜合すれば
一、政府は速に機關説に関する著書の發売頒布を禁止すると共に機關説思想の普及
及び宣伝を禁止すること
一、機關説の不当當なることを天下に聲明すること
一、美濃部博士は一切の公職を辭し自決すること
一、岡田首相、一木樞府議長は夫々引責辭職すること
等であつて、
早くも現状維持派と目せられていた一木樞府議長、岡田首相に攻撃の矢が向けられた事は注目に値する。
・
日本主義國家主義を標榜する革新陣営に於ては言論、文書を總動員して排撃運動を捲起し
輿論の指導權は全く右翼論壇の占むる處となり、
往年の正黨政治隆盛期にあつて輿論の指導に華かな活躍を見せた自由主義的な新聞雑誌は、
何等かの影に怯えた如く 美濃部學説を擁護するものとてはなく
完全に回避的態度を取り 沈黙を守つていたことは社會思潮の變遷を如実に物語るものであつた。
・
次に所謂右翼新聞雑誌に現はれた美濃部學説排除の理由を瞥見べっけんする。
(1) 國民的信念、確信より許すべからずとするもの
中谷武世曰く
「 是は學説として 若しくは思想として批判の對象となる前に、
先づ 私共日本國民の情緒、國民的感情、
此の方面から観ても非常に痛みの多い一つの出來事だと思ふのであります。
この天皇機關説と云ふ言葉そのものが私共日本國民の情緒の上に、
非常に空寒い感じを与へる所の、あり得べからざる言葉であります。
一般國民大衆にとつて私が今申しましたやうな國民感情の上から衝撃を受けたらうと思ふのであります。
・・・・従つて所謂知識階級は別として、素朴な國民大衆の胸の中には、
美濃部説、天皇機關説に對して非常に大きな憤りの情が脈搏ちつつあると思ふのであります。
即ち美濃部説は、法理的批判や、是非の論を超越して 先づ日本國民信念上の、
國民感情上の深刻な問題なのであります。」
( 月刊 「 維新 」 四月号 「 美濃部学説検討座談会 」 )
・
山下博章曰く
「 天皇機關説に於ける天皇の地位は株式会社に於ける取締役社長の地位の如きものと爲り、
株式会社といふ独立の生命が社長といふ其機關によりて活動する如く、
日本國の有している統治權が
統治權の主體にあらざる天皇と云ふ機關に依りて運用されることになるのであるから、
天皇 即 日本國の伝統を蹂躙する結果とならざるを得ない。」
( 「 国策 」 四月号 「 天皇機関説の根源と国体の本質 」 )
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雑誌 「 大日 」 ( 第九十九号 ) の社説 「 神聖國體原理 」 に曰く
「 機關と云ふ語は根本に於て尊崇の意を欠く、
普通に、機關はからくりと言ふが如く、機械的の意であつて、
社會普通の事實に就ても機關の語に來用するは愼まねばならぬ場合が多い、
或は機關新聞といひ 機關雑誌と云ふ場合 其の當事者にとつては迷惑を感じ
不快を感じ 社會よりは一種輕笑の意を以て取扱はるる事實が少なくない、
一家に於ても一家の主人を捉へても、汝は汝の家の機關なりとはいはば、
其主人なる人は果して心に快く感ずるや如何、
社會普通の事實に於ても、機關の語を使用するはよほど注意を拂はねばならぬ。」
・
下中弥三郎曰く
「 天皇機關説と云ふことを我々はすでに二十數年前から ちらほら耳にしては居りましたが、
それは 広い國民の立場では問題にされなかつたと考へて居たんです。
即ち 國民的信念に於ては
『 天皇が國家の道具であり、國民に使役せられる 』
と云ふやうな感情に於て有り得ざること當然であつて、
左様な考が國民的信念に入り得ないと信じていたからである。」
( 月刊 「 維新 」 四月号 「 美濃部学説検討座談会 」 )
・
此の如く
「 統治權は常に國家に属する權利であつて
天皇は國家に属する統治權を總攬する機能を有し給ふ國家の最高機關である 」
とする美濃部學説に對しては
法理を超越して先づ國民的信念確年の上から見て
國體の尊嚴を冒瀆する不敬思想なるが故に絶縁しなければならぬとしている。
・
(2) 法理的見地より排撃するもの
(a) 思想的背景及び根拠に對する批判
澤田五郎曰く
「 拝外思想から單なる外國憲法の一解釋をそのままに、
帝国憲法の解釋上の眞理の如く説くに至つては重大な問題である。
・・・中略・・・
抑々外國憲法は、君主の權限を拘束し、制限するために民意に依つて設定されたものである。
之に反して日本では明治維新の大業完成後 天皇御親政を制度化すべく、
萬世一系の天皇の大御心のまま定め給へる欽定憲法である。
・・・天皇機關説は
肇國宏遠天壌無窮の我が國の國家事實を興亡常ならざる諸外國の國家事實と同一のものなりとし、
樹徳養正最高絶對の明津神たる 天皇を
専制横暴、或る一定の權限を与へられているに過ぎない諸外國の君主と同一視する
拝外主義者亡國主義の妄説であり、
憲法論に於ける國體論と政體論とをも區別し得ないもので
実に国國體を否認し 之が變革をも可なりとする理論の根底を爲す思想學説である。」
( 「 明倫 」 四月号 「 天皇機関説を排撃す 」 )
・
今泉定助曰く
「 美濃部氏の根本思想は
第一が
獨立なる個人が單位であつて、
その個人が相互に精神的 又は物質的の交渉を有する生活を社会生活なりと爲す個人主義思想、
第二は
人間の意志は本來無制限に自由なもので 法に依つて規律せらるると爲す自由主義思想である。
此の個人主義と自由主義とが一切の誤謬錯覺ごびょうさっかくの根源であり、根本的の誤謬である。
その根本思想が誤つているから、美濃部氏の思想は即ち西洋個人法學の根本思想であるが、
それに従へば人類の團體生活は、獨立自由なる個人の利害の集合分散の態様であり、
國家は株式会社を擴大した様な法人となり 主權者はその機關とならざるを得ない。
これは個人主義法學を以て國家を律し、主權者を律する當然の結果である。」
「 日本思想の基調を爲すものは自我の確立にあらずして
彼我一體、我境不二である。
之れを皇道の絶對観、全體主義と云ふ。
凡てがこの全體主義から出發するのである。
故に人性生活に於ても全體的國家生活が本質的なもので個人生活はその分派たるに過ぎない。
人間は絶對無限の團體生活を營むものであつて、
この團體は中心分派歸一 一體の原理によつて統制せられ、
個人がこの全體に帰入し、同化することが人生生活の眞の意義であると見る。
これは日本思想である。
この思想を表現したものが大和民族の霊魂観であつて、
萬有同根、彼我一體、我境不二、中心分派歸一 等の大原理がこれより流出するのである。
これは宇宙の最高絶對の眞理であつて、世界無比、萬国に卓絶せる大思想である。
而してこの絶對性と普遍妥当性とは自然科學、精神科學上の無數の例示を以て證明せられる所である。」
「 分裂對立の個人主義、即ち美濃部氏の思想に於ては、
人生は個人生活が本質的なもので、國家國體生活は例外的なる束縛である。
正に日本思想の反對である。
故に法律の解釋に於ても國體的なる制度規定を例外的なものと見る。
これは個人の利害自由を基調とする西洋思想の當然の結果である。
美濃部氏が
『 議会は原則として 天皇の命令に服すものではない 』
と云ふが如き非常識な議論をされたのは、これに依るものである。
然るに日本思想に於ては國體的の制限規定は例示的なものである。
これは人間が國體に歸入し同化することがその本性であると見る日本思想の當然の結果である。
天皇は國家の中心であると共に、全體であらせられる。
『 原則として 天皇の命令に服するものでない 』
といふが如きものは我が日本には一つもあり得ない。
美濃部氏の根本思想そのものが、日本國家と相容れないものである。
全體静養の個人主義的法學を以て日本の國體を論じ、
日本の社會を律するものは、全體主義法學でなければならぬ。」
( 今泉定助著 『 天皇機関説を排撃す 』 )
・
作井新太郎曰く
「 統治權は一の權利なりと云ふは良し、
然れども
法律上權利なるものは
自己一身の利益を追求する爲にのみ認められたる意思の力であるが故に、
若し 天皇を統治權の主體と解すれば、
天皇は自己御一身の利益の爲に統治を遊ばすこととなり、
統治が決して一身一家の私事に享奉するものでないといふ統治の性質に反する結果となる。
斯るが故に
統治權の主體は國家にして天皇はその國家の意思を決定せられる所の國家の最高機關である
と 説明するに至つては、
遂に吾人の確信と相去る甚だ遠きものであるに驚かざるを得ないのである。
・・・權利と義務以外には一歩も出ることの出來ない法理論、
個人主義自由主義を最高の指導精神とする近世欧米資本主義社會に發生せる
斯の種 法律論を以てしては、遂に純粋なる日本の本質は之を説明し得ないものなることを、
暴露するに至つたのである。
・・・・法律の分野に於ても亦 純粋日本主義的なるものの出て來るべきは當然の要求である。
西洋流の個人主義自由主義に基調を置く自由法學が憲法論を契機として
今や其の没落の第一歩を踏み出したのである。」
( 「 社会往来 」 四月号 「 憲法論争と其思想的背景 」 )
・
五百木良三曰く
「 自由民權思想に立脚せる欧米の近代國家が主權在民を共通観念とするは當然の歸結である。
彼等に取つては寧ろ人民あつての國家であり、國家あつての統治者である。
彼等の統治者が自ら國民の公僕と稱するのも亦この観念の發露であると共に、
彼等の元首なるものは國家統治上の一機關たるに過ぎぬ。
美濃部一派は此の直譯思想を尺度とするが故に、
全然その本質を異にせる我が特殊の欽定憲法を論ずる上にも、
尚ほ一様に仮定的なる國家法人観を基準とし 統治者に擬するに
恰も株式會社に於ける社長の類を以てするに至り、
主權は國家に存して 天皇に属せず
天皇は唯その統治權を總攬せらるる一個の機關に止る
と 云ふが如き大曲解に陥るものである。」
( 「 日本及日本人 」 四月一日号 「 所謂機関説問題は昭和維新第二期戦展開の神機 」 )
・
蓑田胸喜は曰く
「 議會が 天皇に對して、完全なる獨立の地位を有し、天皇の命令に服しないといふ、
それは、一體どこから出て來るか、
是、全く美濃部氏の
外國憲法の立憲在民の民主主義妄信思想から出て來るものに外ならぬのであります。」
( 蓑田胸喜著 『 天皇機関説を爆破して国民に訴ふ 』 )
・
斯くの如く美濃部學説が個人主義思想自由主義思想、主權在民的思想等
西洋思想を思想的背景と爲していること、
而もこの爲に 國體には副はざる憲法の解釋論となつたことが指摘強調されている。
昭和十四年度思想研究員として玉川光三郎検事執筆のもの
「 思想研究資料特輯 」 第七十二号として昭和十五年一月、司法省刑事局で極秘刊行された。
所謂 「 天皇機関説 」 を契機とする国体明徴運動 より
第四章 国体明徴運動の第一期 第二節 愛国団体の運動状況
現代史資料4 国家主義運動1 から
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