あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

國體明徴と天皇機關説

2021年10月16日 12時13分05秒 | 國體明徴と天皇機關説

機關説排撃國體明徴運動は七月に入り益々拡大し、
政府に對し、
問題の徹底的解決を要望する運動は熾烈を極め、
美濃部博士を告發した江藤代議士は機關説排撃に関し上奏分を内大臣に提出したと傳へられた。
殊に軍部は鞏硬態度を持し、屢々しばしば陸海兩相より岡田首相に善処方を要望したが、
七月三十一日の非公式の軍事參議會に於ては林陸相の
「 政府をして先づ機關説排撃を明示すべき正式聲明を爲さしむる 」 
方針は支持され ( 東京朝日七月三十一日付朝刊 )、
全軍一致の要望として岡田首相の聲明が要求された。

斯る情勢の裡に、
種々の紆余曲折を經て遂に八月三日
政府は國體明徴に關し左の如く聲明 及び岡田首相談を發表した。



政府の國體明徴に關する聲明 ( 全文 )  ・・・ 第一次國體明徴聲明
恭しく惟みるに、
我が國體は天孫降臨の際下し賜へる御神勅に依り昭示せらるる所にして、
萬世一系の天皇國を統治し給ひ、寶祚の隆は天地と倶に窮なし。
されば憲法發布の御上諭に
『 國家統治ノ大權ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ傳フル所ナリ 』
と 宣ひ、
憲法第一條には
『 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス 』
と 明示し給ふ。
即ち大日本帝國統治の大權は儼として天皇に存すること明かなり。
若し夫れ統治權が天皇に存せずして天皇は之を行使する爲の機關なりと爲すが如きは、
是れ全く萬邦無比なる我が國體の本義を愆るものなり。
近時憲法學説を繞り國體の本義に關聯して兎角の論議を見るに至れるは寔に遺憾に堪へず。
政府は愈々國體の明徴に力を效し、其の精華を發揚せんことを期す。
乃ち茲に意の在る所を述べて廣く各方面の協力を希望す。
・・・「 國體明徴に關する政府聲明 」 昭和九年八月三日 
岡田首相談話
一木氏は三十余年前広く國法學を講じて居られていたが
特に日本帝國の  天皇の御地位のことに就いて 云々せられてをらぬと聞いている。
しかし其後學者たる地位を棄てて長年宮中に奉仕せられ
學問とは縁を絶つて今日に及んでをられるものであるから
この問題のために同氏の身上に影響の及ぶが如きことは斷じてない。
又 金森法制局長官は機關説ではないと聞いているからこれまた問題は起こらぬ。

軍部兩慮大臣の鞏硬意見は八月二十七日の帝國在郷軍人会 全國大會の訓示に、
更に司法處分決定後の閣議に於て明にされ、
遂に政府は 十月十五日 再聲明を爲すに至つた
再聲明 ( 全文 )  ・・・ 第ニ次國體明徴声明
曩に政府は國體の本義に關し所信を披瀝し、
以て國民の嚮ふ所を明にし、愈々その精華を發揚せんことを期したり。
抑々我國に於ける統治權の主體が天皇にましますことは我國體の本義にして、
帝國臣民の絶對不動の信念なり。
帝國憲法の上諭竝條章の精神、亦此處に存するものと拝察す。
然るに漫りに外國の事例・學説を援いて我國體に擬し、
統治權の主體は天皇にましまさずして國家なりとし、
天皇は國家の機關なりとなすが如き、所謂天皇機關説は、神聖なる我が國體に悖り、
其の本義を愆るの甚しきものにして嚴に之を芟除せざるべからず。
政教其他百般の事項總て萬邦無比なる我國體の本義を基とし、其眞髄を顯揚するを要す。
政府は右の信念に基き、此處に重ねて意のあるところを闡明し、
以て國體觀念を愈々明徴ならしめ、其實績を收むる爲全幅の力を效さんことを期す。

昭和十四年度思想研究員として玉川光三郎検事執筆のもの
「 思想研究資料特輯 」 第七十二号として昭和十五年一月、司法省刑事局で極秘刊行された。
第七章  国体明徴運動と国家改造運動  から

昭和十年二月 天皇機關説問題發生以來 漸次擴大し 深刻化した所謂國體明徴運動は
幾多の波瀾を生み政府をして再度の聲明を餘儀なくせしめた程に
重大な社會問題政治問題となつたのであるが、
十年度の後半 殊に第二次聲明以後に於て此問題は維新運動との關聯に於て協調され
之を契機として所謂昭和維新運動を推進せしめようとする革新勢力の著しい努力が見られた。
國體とは  天祖のご神勅を體して日本國を肇造し給うた  國祖の御理想
即ち 君民一體、一君萬民、八紘一宇の謂である。
國民の營む思想的生活、政治的生活、經濟的生活 等凡ての全生活は悉く之を基本とし
之を大本とし 之を理想としなければならぬ。
國體を明徴にすると云ふことは、単なる邪説機關説を絶滅するだけのことではあつてはならぬ。
我國體と絶對に相容れぬ機關説を撲滅するのは當然であるが、
夫れだけでは我國體を弥が上にも明徴する所以ではない。
明治以來盲目的に取入れられた西洋流の個人主義自由主義なる機關説的思想を一掃すると共に
此の精神に依り作られ 若しくは其の豫派に依つて出來ている処の 政治、經濟、社会、法律、教育 等
凡ゆる制度機構に対し國體に合致するやう根本的改廢を行ひ、
玆に日本精神を發揚し 皇國日本の眞姿を顯現して 新日本を建設しなければならぬ。
斯くしてこそ始めて國體明徴は完成し得るものであつて
國體明徴問題は現状維持ではなく、
國家改造の革新運動の先端に立つべきものであることが強調された。
此処に於ては國體明徴運動は學説排撃と云ふが如き部分的獨立的のものとしてではなく、
昭和維新を所期するものに依つて革新原理の標識としての重要意識を持たしめられた。
その鋭鋒は凡ゆる日本的ならざるものに向けられたのであるが、
特に顕著なものを挙ぐれば 機關説とその母體を同じくする自由主義的資本主義機構の改革と、
機關説的政治支配を以て目される所謂重臣ブロックの排撃とである。
斯くの如く 國體明徴が革新原理の標識として重大意義を持たらしめられた状況を知るため
以下に當時發行された文書を引用する。

松田禎輔は雑誌 「 大日 」 ( 第一一八号 ) に 「 國體明徴の眞意義 」 と題し
「 國體を明徴にすると云ふことは、単に邪説たる機關説を絶滅するだけのことであつてはならぬ。
我が國體と絶對に相容れないところの機關説を排撃する、夫れは當然の事柄であるけれども、
夫れだけでは我が國體をいやが上にも明徴にする所以ではない。
機關説の精神で作られた、若しくは其の豫波で出來ているところの典章文物諸制度を、
國體と合致するやうに根本的に改廃して、玆に日本精神を顯揚すると共に、
皇國日本の眞姿をハッキリ示してこそ、玆に始めて我國體はいやが上にも猶一層明徴に成る。
國體明徴問題を期するといふことになれば、夫れは取りも直さず、國家の根本的改造にまで進まなければならぬ。」
と 論じて
國體明徴を國家改造の機縁たらしめなくてはならぬと強調している。

所謂民間の皇道直心道場系の新聞 『 大眼目 』 は 國體明徴の意義に關し
「 國體とは何ぞや、
神勅を體して此の日本國を肇造し給へる神武國祖の御理想
---而して  明治天皇によりて最も明白にされたる---
即ち、君民一體、一君萬民、八紘一宇 の謂である。
日本國民の營む所の思想的生活、政治的生活、經濟的生活、全生活は之れを大本とし之れを理想とすべく、
而して日本國の制度方針は此の國民の此の生活に相應はしき所のものでなければならぬ。
總じて日本的生活---日本の一切は此の御理想 即ち國體を生活することである。」
「 即ち思想的には、機關説と共に其他一切の反國體的思想の排撃でなければならぬ。
彼の無政府共産思想の如き 固より然り。」
と 論じて
國體明徴が思想維新を所期するものである點を明にするに次いで
「 然り而して國體明徴とは既述の思想的解決を遂ぐると共に、
之に聯關して政治的にも經濟的にも遂行せられなければならぬものである。
即ち現實の政治生活に於て、經濟生活に於て、
彼の反國體思想を體現し實行しつつある不当なる存在を芟除し、
現實の施設に於ける矛盾謬妄を革正することである。
何者が不當存在たる目標であるか。
重臣ブロックである。
議會至上主義の政治集團である。
物質萬能功利主義の資本財閥である。
權力主義の官僚群である。
皇軍を私兵化する軍閥である。
腐敗せる教團である。
衰亡政策の外交團である。
國體を破壊する学園である。
國體を破壊する所謂社會運動の妄動群である。
及び之等によって實現せられ存在せる國家社会の矛盾せる制度施設である。
かかる思想とその制度施設によつて國體を生活し得ざる國民を窮乏苦悶のどん底より救出解決することである。
然してこの飛躍せる日本的生活を對外的に擴大充實して八紘一宇の思想を遂ぐべく
當面切迫せる外患を粉砕してアジアの奪還興復に進軍せねばならぬ。
嗚呼、これ現代の尊皇と討幕と攘夷とではないか。
第二の維新革命ではないか。
國體は明徴の名に於て、今日の日本に向つて維新革命の再戰を要求している。
火の如く要求している。
國體を生活せんとする日本國民は維新革命を生活せよ。」
と 言ひ、
昭和維新に於ける尊皇攘夷は重臣ブロック、政黨、財閥、官僚、軍閥 等々
現状維持の幕府的勢力の排除と、
彼等により運營せられている制度機構の矛盾欠陥の克服にあると為して煽動し、
革命機運醸成に努めている。

又 所謂現狀維持派を機關説的思想の實行者と目して専ら其の排撃に努めた者に
國體擁護聯合會の五百木良三がある。
彼は雑誌 「 日本及日本人 」 ( 第三三〇号 ) に於て
「 國運進展と國體問題の推移 」 と題し
「 端的に言へば、今の所謂元老重臣ブロックを中心に結束されたる
支配階級智識階級の大部分は皆此の御仲間である。
即ち 西園寺公を筆頭に牧野内府、一木樞相、齋藤子爵 等々の重臣、
是れ等の推薦によつて成れる現内閣の岡田首相以下軍部以外の各閣僚を初め、
之れに従ふ新官僚の一群、上下両院与黨の一團乃至財閥、流行新聞、阿世学者等 有象無象の面々は、
悉く同一なる美濃部病の保菌者であり、
共に個人主義自由主義國際主義の信奉者として、
議會中心政治の礼讃に、消極政策の提唱に、日本主義の抑制に、軍部勢力の排斥に、
日夕腐心しつつある現狀維持であり、
欧米化思想の支持者であり、機關説思想の實行家である。」
と 言ひ、
次いで岡田内閣の処置を難じた後
「 抑よくも彼等 ( 岡田首相以下閣僚 ) が斯く迄も執拗に邪説擁護に憂き身を窶やつす所以のものは、
果して何の爲めであるか。
其の根本は彼等自身が美濃部一流の欧米化思想の持主たり、
機關説信者たる点に起因すること勿論なるも、
一方には例の元老重臣ブロックのロボットとして、
其の没落過程に在る旧勢力死守の御役目が直接の原因を爲すのである。
於是乎問題は最早是非曲直の爭にあらず、唯の力と力との戰である。
即ち 旧勢力對新勢力、欧化思想對日本精神、消極主義對積極主義、現狀派對維新派
の力競べが事實上の本問題であり、
國體問題は唯だ動機を与へる一個の仲介者たるに過ぎぬ。」
と 言つている。

此のごとく國體明徴問題は國家改造運動の根本目標として其の意義が把握されると共に、
此の問題を契機として一氣に國家改造を斷行して、
所謂昭和維新を遂行し 其の爲には直接行動も辭すべきに非ずとする氣運が逐次醸成せられて行つた。
斯くの如く 國體明徴問題の進展は、精神革命、自由主義的資本主義機構の改革、
機關説的政治支配 所謂 重臣ブロックの排撃、
更に 政黨の打倒 等に及び、凡そ日本的ならざるものと見られ、
國家の發展を阻碍すると考へられる一切の思想、勢力、制度機構の排除克服に其の鋒先を向け
且つ 其の主張は極めて先鋭的となつた。

(1) 國體明徴運動を精神革命の方向に向けるもの
精神革命としての意義は一般的に強調されたところであつたが
野田蘭蔵は三六倶楽部機関誌 「 1936 」 ( 十二月号 ) に於て
國體明徴運動が民族的自覺運動である點を明にして左の如く論じている。
「 機關説の由來するところの社會性が主として仏蘭西獨逸に存在し、
而して佛蘭西 又は獨逸國史の發展は個人主義的國家理念を原則とする意味に於て
君民の一體、忠孝不二の家族國家たる日本歴史とはその根本に於て相容れない本質を持つ。
然るに此本質を異にする東西の歴史を一個の観念に於て合理づけることの不可能なることは
木に竹の芽を挿さんとするものである。
從つて我が日本歴史の發展はこの挿木たる機關説によつて賊そこなはれるのは當然である。
若し夫れ機關説を以て合理的のものとなし、此の理論の上に國策を打ち建てんとするならば、
日本國家の本質を破壊して之を個人主義的國家に改造せざるべからずとの結論に達する。
之即ち 國體の変革である。
然るに日本の歴史は家族國家なるが故に、
君民一體、忠孝不二を原則とするが故に、
天井無窮とせられ國民生活は保障せらるるものに拘らず、
國家法人説を以て之に代ゆるならば 君民は對立となり、忠孝は矛盾する。
かくて民族生活は保障を失ひ 我が皇國は滅亡することになる。
此の意味に於て特に世界危局に直面する日本の生存は
我が國體の本義たる 君民一體、忠孝不二の日本精神を政治的に、
經濟的に、社會的に、道義的に、一切の生活に實践することによりてのみ可能である。」
と 言ひ、
政友會による國體明徴運動も愛國諸團体による此の運動も、
其の動機の如何に関せず、總べて民族主義運動の一部門と見ることが出來るとして
精神革命としての意義を鞏調している。

(2)  國體明徴運動を資本主義打倒に向けるもの
國體明徴運動を資本主義打倒に向けるもので最も徹底した主張を爲したものに直心道場系の大森一声がある。
彼の主張するところは、
日本に於ける資本主義は、
政治権力に依存して發達移入された變態的な官僚主義であつて、
其の高度化に依る獨占形態は自由の美名に隠れて全くこれと背反しながら
少数支配の個人主義的自由の獲得を目標とし、官僚と抱合した金融力はこの本質的な展開を實現し
大産業をその支配下に置き、全經濟機構の至上位に君臨し、政黨を隷属頣使し、
以て完全に一國内の權力層を掌握し盡し、
其の頂点に達した金融支配下に全國民は日々の國民的生活を脅威されねばならぬ現狀にあり、
所謂ブルジョア民主主義は彼等の政治行動形態に過ぎないと 云ふのである。
而して大森は、
かかる民主鞏權的金融支配の横行下に於ては、天皇は機關たらざらんとして得ざるのは當然であって、
資本主義は本質的に天皇機關説である と 言っている。
即ち 金權の封建幕府は、
まつろひを装ひ 逆に機關化することに依つて民主的鞏權支配を敢てしているのであつて、
謂ふところの美濃部学説の如きはこの事實の学的カムフラージによる合理化の鞏弁であり、
所謂機關説論者はその頭脳中に天皇機關説の源泉を持つものではなく、
自己等の属する部層の為め この不逞事實を合理化せんとした傀儡にすぎない と 言ひ、
美濃部博士、一木樞相、金森法制局長官
等の機關説論者を駆逐することは資本主義掃滅の前哨戰であり、
之を機として 資本主義の國體的擬装を剥ぎ取り
以て 所謂昭和維新が經濟部門に於ける國體の明徴であることの社會的定立化を招來しなければならぬ
と 協調している。

新日本國民同盟の 「 第三期國體明徴運動方針基準 」 にも、
此の點が極めて矯激筆致を以て左の如く協調されている。
「 國體明徴運動を大衆的に発展させるには、この問題を國民の日常生活の中に生かし、
國體明徴運動を通じて、昭和維新が斷行出來るのだといふことを、大衆の頭の中に叩き込むにある。
國體明徴といふことは、現在八釜しく言はれているやうな憲法上の爭に重點があるのではなく、
國民の大多数が生活に苦しんでいるために、勿體なくも  天皇政治に暗影が宿つている。
そのむら雲を取り払つて國體を明徴にすることだ。
それを学者や、政治家や、改造運動家がエラさうな文句を竝べ立て、
結局國民に呑み込めぬものにしているのだ。
實は六しいことでも何でもない。
いや 自分たちが困つている生活上の問題を解決して、天子様に御安心をお与へ申すことが
とりも直さず國體明徴運動だと云ふことを、廣く國民に知らしめることが肝要である。
例へば 農村民は働いても貧乏なのに、富者は遊んでいながら益々財産をふやしている。
かやうな不合理な世の中だからこそ 國體が不明瞭になる。
だからと言つて、天子様をお怨み申してはならない。
天子様は我々の大御親でおはします。
日本の國は家族國家である。
この水入らずの家庭の團欒をこはすのは、他に大きな原因があるからである。
外來思想の毒素が日本の政治、社會を不合理にしてしまつたのだ。
その原因を取り除いて現在の政治、社會を改革し、そこに萬民幸福の政治を確立して、
初めて國體は明徴となり、赤子の本分を竭つくす所以なのである。
生活を楽にするのが親への孝である。
國民生活を開放して國體明徴を期するのが大君への忠である。
されば要するに國體明徴運動は資本主義政治の打倒運動である。」

(3) 國體明徴運動を所謂重臣ブロック排撃に向けるもの
所謂重臣ブロック排撃は昭和十年度に特に顕著に現はれ、
國體明徴運動の後半は重臣ブロックの排撃に其の主力が濺がれた観があり、
延いて ニ ・ニ六事件發生前の険惡な雰囲気を醸し出している。
 一木喜徳郎 金森徳次郎
直心道場系の新聞  『 大眼目 』 は 
「國體明徴に關する國民當面の要望 」 と 題して
「 一木枢府議長、金森法制局長官の引退
天皇機關説を流布して反省せざる重臣
牧野内府 其の他 重臣ブロックの引退
機關説的實行者として稜威を冒涜し奉る疑惑に蔽はるる有力者
岡田内閣の辭職
國體明徴の遂行力なきこと今更蝶々を要しない 」
と題する文書に於て
「 一木、金森両氏の天皇機關説は其著述に於て明證せられあるに拘らず
金森氏の所論は機關説にあらずと稱せり。
総理大臣にして此の如き誣言を公表して憚らず
匹夫にだも恥づることなきか
然も 岡田首相、小原法相等をして玆に至らしめたるは 西園寺、牧野、一木、齋藤の諸公なりとす。
一木樞相の天皇機關説を抱持するものなること天下隠れなき処なるに拘らず
之を推して宮内大臣たらしめたるものは西園寺公、牧野内府にあらずや、
又 樞府議長の後任は歴代副議長の昇格を以て其慣例となせるに拘らず
鞏いて其の慣例を破りて迄も 一木を推薦せるは西園寺、牧野、齋藤の三氏にあらずや。」
「 統帥大權を侵犯して倫敦条約を締結せるも彼等の一團なり。
満州事變に反對し 錦州攻撃熱河討伐に反對し 國際聯盟の脱退、華府條約廢棄に反對せるも彼等なり。
今や國體明徴にすら彼等は團結力を以て反對しつつあり。
咄々怪事ならずや 彼等は國家の進運を阻碍し 國體の明徴を妨ぐるものなり。
彼等にして其地位に盤踞するに於ては
幾度内閣の交迭あるも 國運を伸張し國體を明徴ならしむること能はざるなり。
此の故に岡田首相を攻撃するは元老を攻撃するの有効なるに若かざるなり。」
と 述べている。
久原房之助
又久原房之介は文藝春秋十二月号に 「 重臣政府の没落 」 と題して、
「 岡田内閣は擧國一致を標榜し乍らも、その実、重臣内閣に過ぎない、
即ち 政治上の抱負経綸を何等有せざる岡田内閣は
所謂重臣ブロックのロボットとして誂へ向きの存在である。
岡田首相が何等の信念なく重臣達の意圖をその儘承けて政治を行ふ、
換言すれば重臣の意圖の下にその頣しん使に甘んずると重臣達に認められたことが
即ち 岡田内閣成立の因由する重点である、
斯くして岡田内閣の行ふ処は換言すれば重臣政治とも謂ふべきものである。
彼ら重臣は西洋思想に心酔して國體の本義を自覺せず 宮中に奉仕し
自ら神の心として一意専心身命を砕くべきに拘らず、
宮中に於ける勢力を府中にまで及ぼし大權を無視するが如き行動に出づることすら存する、
宮中府中の別を犯し、天皇の尊嚴を冒瀆し、
實にわが國體の本義を紊るものと謂ふべきである、
更に別説すれば彼等の機關説實行の最も深刻 且つ 惡質のものですらある。
併し乍ら斯る重臣ブロックの勢威も大勢の赴く処 既に衰兆を來している。
過去の事實に徴してみても、昭和八年の國際聯盟脱退に際して重臣は脱退反對を唱へ乍ら
遂にその實現を見ず、又 北支事變の時にも重臣はこれを押へんとしたがその意向は實現されなかつた。
最近に至つては統治權の主體たる現人神たる  天皇をわきまへず、
天皇を以て國家の統治權を行使する權限を有する機關なりとすが如き所謂機關説が排撃される、
斯くして重臣ブロックの抱懐する意圖は悉く挫折し、その勢威は愈々その衰退の一路を急ぐに至つた。
斯くの如く國體の本義を冒さんとするが如き重臣政治が次第にその終末を告ぐるはこれ理の當然とする処である。
斯くしてこの重臣ブロックの實力衰退の兆は新しき政治---府中宮中の別を明かにし、
一君萬民、純然たる擧國一致の政治團体の本義に即した政治---
がやがて華々しく展開すべきことを 示すものである。
斯くして我日本に於て國體が明徴にせられ、本然の光を遺憾なく發揮するに至れば
やがてその豫光は全世界にも及ぶに至るであらう。」
と 述べている。

雑誌 「 進め 」 ( 十月号 ) は
「 資本主義崩壊の前夜にあつて其の延命工作として最後に残されたる金融ファッショへ
その政治機構を移向せんとするのは、金融資本の獨占政治を理想としていると見るのが適當である。
故に彼等はその傾向に叛逆する眞の維新改造の士を彈壓し
或は懐柔し 或者は去勢せしむると云ふ方法を取つているのだ。
その役割をひそかに買つて出ているのが重臣ブロックとそれに追随する官僚群と既成政治家に外ならぬ。
彼等重臣ブロックが自己の足元を突かれるを恐れて機關説排撃運動を彈壓するために、
朝飯會を造つたとはそれ自體 國賊的存在である。
これ明に二三金融ファッショへの重要な一貫として意義を持つものである。
ここに於て吾人は速かに朝飯會 即ち重臣ブロックを打倒せよと絶叫するものである。」
と述べ
金融ファッショの所謂機關説支配が
政治部門に於ては重臣ブロックの政治支配の形態に於て行はれていると爲して
之が打倒を鞏調している。
之を要するに國體明徴運動は國家改造運動に迄 推進せしめられ、
岡田首相以下閣僚に國體明徴を不徹底ならしめたとの非難を浴せ、
其の根本原因は彼等自身が美濃部博士一派の欧米化思想の持主であり、
機關説信奉者である點に起因していると爲すと共に、
一方に於ては元老重臣のロボットとして
其の没落過程にある旧勢力死守の役割を爲していることに直接原因があると爲し、
今や問題は旧勢力對新勢力、欧化思想對日本精神、消極主義對積極主義、
現状維持派對維新派の力の闘爭であり、
又 矛盾欠缼けつを暴露せる旧組織制度機構の國體に基く根本的改革にありとされ、
これこそは、現代に於ける尊皇と討幕と攘夷であると叫ばれ、
昭和維新に於ける尊王攘夷に於ては
斯る重臣ブロック、政黨、財閥、官僚等の現狀維持の幕府的勢力の排除と
彼等に依り運営せられている制度機構の矛盾欠陥の克服にあると鞏調されたのである。

此の如く 美濃部学説 「 天皇機關説 」 排撃運動は政府の美濃部博士の著書發禁後、
美濃部博士の嚴罰、一木樞相 其の他 所謂機關説論者の排撃の叫びを捲起しつつ
其の本流は 「 天皇の原義宣明 」 を基調とする國體明徴運動へと進展し、
更にそれは内省的な精神革命を目的とするのみでなく、
革新原理の標識としての意義を持たらしめられ、
現狀維持なる一切の勢力を打倒せんとする革新運動まで發展し、
其の影響する所 極めて大きく、
國體明徴に對する政府の処置に慊あきたらぬ陸軍部内の一部革新的青年將校は、
軍内の特殊事情に依る刺戟に一途に詭激に走り
部外の急進分子と相結んで現狀を打開し
眞に國體を顯現し
之を明徴ならしめんとして、
其の熱情の迸ほとばしるところ
遂に ニ ・ニ六事件といふ
前古未曾有の一大不祥事件を惹起せしめたのである。

昭和十四年度思想研究員として玉川光三郎検事執筆のもの
「 思想研究資料特輯 」 第七十二号として昭和十五年一月、司法省刑事局で極秘刊行された。
所謂 「 天皇機関説 」 を契機とする国体明徴運動
第六章  国体明徴運動の第三期  

現代史資料4  国家主義運動1  から


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