あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

牧野伸顕襲撃 3 「 女がいるらしい、君、 女を助けてやってくれ 」

2019年02月05日 20時21分04秒 | 牧野伸顕襲撃 河野隊


河野壽大尉

綿引正三の手記

四時半頃再び車を走らせ湯河原を徐行、
伊東屋旅館の前の橋で自動車の向きを変え、同旅館の前に横付けにした。
夜は白々明け離れた。
二、三人が行き交う。
私はピストル、刀をさして同志と共に隊長に従った。
旅館前の幅 七、八間の小川の橋を渡り、坂道を二十間上る。
玉突場のある家の前に止った。
大尉は此家だと玉突場の前の家を指さした。
平屋建、地形は崖の上で、片方は山になっている。
石垣でたたんだ一隅にこの家はあるのだ。
門はしまっている。
裏手に回った。
配置を決めた。
裏手には高さ四、五尺の石垣があった。
私等は音のせぬ様とび降り、河野大尉、黒田、黒沢、宮田、中島君等は勝手口、
私、源一氏、宇治野君は表玄関にしのびよった。
源一氏は刀をひっさげ抜打と玄関に進むと、勝手口で何だか音がする。
よし、始まったな。
玄関を打蹴る。
ピストルをぶっ放す。
直ちに裏口にまわり勝手を馳せ上る。
三畳位の薄暗い部屋に人が倒れている。
誰かというと、宮田だ、宮田だと云う。
予備曹長宮田晃は、奥から射ってくる拳銃で負傷した。
私は奥に駆け込む。
弾がビューンとかすめる。
私は座敷に向けて五、六発速射する。
薄暗い、何人いるか分らぬが、守衛のいる事は分る。
守衛ではなく、牧野の護衛警官だった。
私は別の座敷にも行き、速射。
河野大尉が勝手口の方に歩いて行く。
河野大尉が、一偏外に出ろ、だいぶん人がいるらしい。
狭い所では損だ、と云う。
私は宮田君を石垣の上に抱え出した。
宮田君は歩けずうつ伏してしまう。
私は、こりゃいけぬ、自動車に置こうと肩にかつぎ走り出すと、石垣の上より顔を出した奴がある。
射つぞ、こら、と 銃を向けた。
対手は見えなくなった。急いで自動車に宮田君を置いた。
彼は元気で、そこからピストルを撃つ。
よし、君の仇討だ、と 走り帰った。
正門前に来た。
巡査らしいのが二人ほど出張って来た。
私はピストルをつき突け、邪魔をすると撃つぞ、帰れ、と 叫んだ。
二人は引込んでしまった。
私は庭先に人が立っているのを見て、弾を詰めて速射した。
玄関口に回ると崖下に河野大尉があぐらをかいている。
どうした、と 問うと、やられた、と 云う。
痛むか、と 聞くと、だまっていた。
相当の傷を受けた事を知った。
大尉は、それでも気丈夫に時々下知していた。

「 伊東屋の外の警備に当ったのは、中島清治と私とでした。
さだめられたところに軽機関銃を置きました。
その他の六人は別荘に近づきました。
しばらくすると誰かが表門の戸を叩き、電報、電報といいました。
河野大尉の声のようでした。あたりは静まりかえっていました。
すると、急に激しい物音がしました。
あとで分かったのですが、これは河野大尉が靴で通用門の扉を蹴った音でした。
扉は簡単に開いたそうです。
そのうち、拳銃を撃ち合う音が聞えはじめました。
流弾が私のいるところまで飛んできました。
変だな、と 思いました。
河野大尉から作戦を聞かされたときの話では、
ただの一発で牧野を仕とめるはずだったからです。
ところが判決文の通りの事態が起こったのです 」・・・警備の任務を与えられた黒沢鶴一

五時三十分頃一斉ニ襲撃ヲ開始シ、
被告人宮田晃ハ、拳銃ヲ携ヘ黒田昶ト共ニ 亡河野寿ニ從ヒ、
同別荘裏口ヨリ 屋内ニ闖入ちんにゅうシ、廊下ニ於テ護衛巡査皆川義孝ヲ捕へ、
拳銃ヲ擬シテ威嚇シ、
牧野伸顕ノ居室ニ案内スベク強要中、却テ 同巡査ノ術策ニ陥リ、
廊下曲リ角附近ニ於テ 突然拳銃射撃ヲ受ケタルヨリ、
直チニ応射シテ同巡査ヲ殪たおシタルモ、
コレガタメ 亡河野寿、宮田晃ハ共ニ重傷ヲ負ヒ、
気力ヲ喪ヒテ屋外ニ退出スルノ已ムナキニ至リ・・・判決文


早暁の電報の声に応じて、邸内の電灯がついた。
勝手口に現われたのは宿直警官の皆川巡査であった。
細目に開けた戸口から、異様な訪問者の姿を見て、スワッと引返そうとする暇いとまも与えず、
つづいて踏み込んだ河野の手には拳銃が擬せられていた。
牧野の寝室に案内せよと河野にいわれた皆川巡査は せまい廊下を先に立った。
廊下を右に曲れば牧野の寝室と思われるのに、
皆川巡査は左に折れた。
最後の突当りを、皆川巡査が曲ったかと見た瞬間、
振返りざま轟然、拳銃が皆川巡査の直後につづいた河野の胸許に火を吐いた。
距離二尺とは離れていない。
連続してさらに一発、二発、河野の後につづく宮田、宇治野の方へも・・・。
いつの間に皆川巡査の手に拳銃が隠されていたのだった。
しかし 撃たれた瞬間、アッと叫んだ河野の手の拳銃も、
反射的に皆川巡査の腹部に唸りこんでいた。
両人が倒れたのはほとんど同時であり、
宮田の 「 ヤラレタ 」 と 叫ぶ声もまた 同時であった。
この間、一分にも満たない瞬間的の激突であったが、
皆川巡査はそのままついに起たなかった。
これに反し、河野はただちに起き上がって後に退った。
前方の廊下から、なお一、二発拳銃の音がつづいたようだった。
皆川巡査の最後の抗争であったろう。・・・河野司・湯河原襲撃

「 やられた、と いつて河野大尉が軍刀を杖にして出て来ました。
胸から血が流れていました。
つづいて出て来た宮田は、首をやられていました。
河野大尉は道に腰を下して指揮をとりました。
しかし事実上の指揮者は、そのころから水上源一となったのです。
水上は、別荘の屋根の瓦を狙って機関銃で威嚇射撃をするように云いました。
私は中島と二人で屋根を狙ったところ、屋根瓦が躍って飛散しました。
機関銃のすさまじさにいまさらのようにおどろきました。
火をつけなけりゃダメだ、という水上の叫び声がしました 」・・・黒沢鶴一

源一氏が馳せて来、私に、正ちゃん、牧野を追出すために火をつけよう、と いった。
よし、と 紙を源一氏に与えた。
源一氏は火をかけた。
家内の者は庭の一隅に逃げ出したらしい、
七、八人つくばっている。
私は何回も、牧野はいないかと狙いをつけて 二、三発放った。
黒沢君は山の側から機関銃をさかんに撃ちつつあった。
黒田君が裏手の崖の上からピストルを乱射、牧野を撃ったぞと叫ぶ。
私は河野大尉に報告する。
大尉、それでは女子供を救助、引あげだという。
附近の者が大勢来る。
消防組の者に消火救助を頼み、私は機関銃を片手に、日本刀を腰に、
ピストルを一方の手に持って引きあげた。

牧野は如何
「 火がまわってしばらくして、家の中で三、四発、拳銃の音がしました。
『 牧野が自決した 』 と、河野大尉がそう云いました。
確信に満ちた語調でした。
あとで考えると、どうやら巡査の拳銃弾が火熱で暴発したらしいのです。
が、とにかく、
見ると向うのほうで煙に追われながら女の人が何人か身体を乗り出すようにして、
兵隊さん、助けて、といっています。
その中に老人がいました。
男か女か はっきりしません。
しかし、何となく牧野のような気がして、私は小銃を構えました。
すると河野大尉が射ってはいかん、という。
あれは牧野ではない、牧野はさっき自決した、というのです。
女たちは黒田が助けに行きました。
黒田も、女のなかにまじった老人を牧野にちがいないと思ったそうです。
彼は拳銃を発射しました。
ところがこの拳銃、旧式でまっすぐに飛んでくれない上に、黒田がそれを使うのが初めてだったので、
老人を狙ったのに弾が逸れて、傍に付いていた森鈴枝という看護婦に当ってしまいました。
看護婦は悲鳴をあげて倒れる。
牧野以外の者は撃ってはならないと命じられていたし、
むろんこっちもそのつもりだったので、黒田はすっかり狼狽してしまいました。
夢中で女といっしょにその年寄りを救助してしまいました。
いまでも、あの老人は牧野伸顕だったと思います 」・・・黒沢鶴一

牧野伸顕は、森看護婦の機転で、女装して難をのがれたのである。
牧野の側には、この遭難の公表記録がない、
牧野伸顕 『 回顧録 』 には 事件のことは一行も語っていない。
牧野が遭難を回避する気持は察せられるが、女装の脱出を羞恥としたのかどうかはよく分らない。
女中部屋にかくれて危急を脱した首相の岡田啓介は 「 体験談 」 で素直に当時の状況を語った。
女婿 迫水久常その他周辺の者もこれを隠さなかった。
岡田は武人である。
牧野は宮廷権力者である。
この性格の相違 ( その周囲の人々を含めて ) から くるのであろうか。

事件当時、伊藤屋旅館の主人だった 伊藤達也氏は
「 別館は、父の隠居所としてつくったのを牧野伸顕さんの秘書の方がぜひ貸してくれということで開けた。
牧野さんは事件の一カ月前から逗留していた。
あとで分ったことだが、
牧野さんの動静を偵察するために来た人たち ( 渋川善助夫婦、河野大尉 ) は、
本館の玄関の真上にあたる二七号室に泊っていた。
その部屋は見通しがよく、別館がよく見えた。
事件のときは、まさか兵隊の襲撃とは知らず、火事だと分って駆けつけたときは家が焼け落ちる寸前だった。
途中で両脇を抱えられて肩にもたれた兵隊と会ったが ( 宮田のこと ) 、
わたしたちのわけの分らないうちに別館が全焼したことになる。
牧野さんは山の奥に逃げ、広河原のほうへ行ったことがすぐに分って安心した。
山の斜面を這い上がり、畔道に出て、更に奥へ のがれたということだった。
二十六日朝は、別館のまわりには雪が二十センチほども積もっていて、
家が燃えている間も雪が降っていたように思う。
その後、牧野さんの関係者は一度もわたしのほうに顔を出されない 」
・・と 語つた

伊東屋別館の火事に 最初にかけつけた
元消防組の子頭、岩本亀三氏は
「 その朝、わたしの経営していた旅館で五時半に早立ちする客があり、
タクシー会社に電話で連絡して待っていると 川向うの家の壁が真赤になっている。
着がえの仕度をするひまもなく、シャツに股引の姿で長靴をはき 半鐘櫓のところへとんでゆくと、
そこに兵隊がいて、半鐘を叩いてはいけない、という。
あとで、それが水上源一という人らしいと分った。
伊藤屋別館の前に行くと兵隊たちが立っている。
その中の航空将校がわたしを見て、 「 とまれ、君はなにだ 」 と 咎めた。
「 消防だ。あんたらは何だ」 と 云い返した。
「 われわれは国家の革新のためにやっている 」
「 民家に延焼するじゃないか 」
「 その点はやむを得ない 」
こんな問答をしているうちに、家の中で女たちの騒ぐ声が聞えた。
将校は
「 女がいるらしい。君、女を助けてやってくれ 」
と いった。
そこで門の中に入って石垣の塀と家の間のせまいところを伝って山の斜面側に行ったところ、
便所のところで行詰りになっている。
高い塀を乗りこえ、斜面に上り、どこから下に降りようかと考えているとき、
女ものの着物を頭からかぶった牧野さんを先頭とする一行が塀のところにきた。
写真で見覚えの顔なので、はじめて牧野さんと知った。
牧野さんは顔を土色にして 「 助けてくれ 」 と 私に云った。
私が一メートル半ばかりの塀を降りようとする前に、牧野さんが塀をよじ登ってきた。
私はその首根ッ子をつかまえ力まかせに引上げた。
その瞬間、私は左脚を丸太ン棒でたたかれたように感じた。
兵隊の撃つ弾丸が当ったのだが、そのときは分らなかった。
牧野さんを塀のこっち側に移すと、幸い雪が積もっていたのでその上をいっしょにずり落ちた。
そこへ近くの旅館の工事をしている人たちや警防団の人たちが来てくれたので、
牧野さんのことを頼んだ。
そのとき 「 撤収用意 」 という声がした。
つづいて 「 撤収 」 という声がした。
兵隊たちが引きあげたのは、別館が焼け落ちる前だったと思う。
平間医師は、頭上に落ちた瓦で人事不肖になった警防団の者から治療をはじめ、
看護婦の森鈴枝さん ( 職業柄自分で応急処置 ) 、私、襲撃組の宮田という順だった。
私は傷が癒えるまで六十日ぐらいかかった。
その間に牧野さんの息子さん夫婦が、二、三回見舞にきてくれた。
しかし、当人の牧野さんは、以来一度も顔を見せずじまいです 」
と、語った。

牧野が湯河原から東京にたどりつくまでの経緯も発表されていない。
死を以て牧野を護った巡査皆川義孝は茨城県の農家出身、
高等小学校だけの学歴だった。
昭和二年、小石川富坂警察署勤務がふり出しで、九年、警務部警衛課勤務となった。
警視庁では皆川巡査に左のような 「 功績書 」 を贈った。
右者、
神奈川県湯ケ原町伊藤屋別館ニ滞在中ノ伯爵牧野伸顕 警護ノ為随行シ、
昭和十一年二月二十六日午前五時二十分頃、
河野航空兵大尉ノ指揮セル八名ノ兵、機関銃、小銃、日本刀ヲ携ヘ 同別館ヲ襲撃スルヤ、
裏口方面ヨリ先頭ニ侵入セル宮田早朝ニ胸部及び脚部ニ弾ヲ命中セシメテ之ヲ斃シ、
続イテ侵入シ来レル河野大尉外二名を迎フルヤ 「 コレモカ コレモカ 」 ト 絶叫シツツ、
各一弾ヲ命中セシム。
然ルニ 自ラモ亦右胸部前方ヨリ貫通銃創及盲管銃創ヲ蒙リ、
既ニ行動意ノ如クナラザルニ屈セズ、
意外ノ抵抗ニ侵入部隊ノ怯ひるム間ヲ偸ぬすミ 翻ひるがえっテ 牧野伯居室隣室ニ至リ、
附添看護婦森鈴枝ヲ呼ビテ之ニ急ヲ告グルト共ニ
「 閣下ハ大丈夫カ 」
「 俺ハ三人ヤツタガ俺モ二発受ケテ モウ駄目ダ、閣下ノコトハ宜シク頼ミマス 」
ト 伯ノ後事ヲ托シ、
伯爵ヲシテ同別館裏庭方面ヨリ無事難ヲ避ケシメ、
遂ニ再ビ起ツ能ハズ、襲撃部隊ノ放テル猛火ノ炎々タル裡うち
悲壮ナル殉職ヲ遂ゲタルモノナリ。
全焼した伊藤屋別館の焼跡から、皆川巡査の黒焦げ死体が発見された。

警察の者抵抗せば 一撃をと注意しつつ 河野大尉を自動車に乗せる。
宮田君は中島君の手で附近の病院にかつぎ込まれた。
私等は自動車に乗る。
私(綿引)、源一氏、宇治野君、黒沢君、を先発自動車、河野大尉、黒田、中島両君を後続自動車に。
六時頃出発、熱海街道を走る。
宇治君は運転台に機関銃を据付け、私等は小銃を構えて待機の姿勢で後続車を見守りつつ走る。

「 河野大尉は、先発車に乗った。
襲撃を終えれば東京に戻ることになっていました。
東京の蹶起部隊が途中まで迎えにきてくれるはずでした 」・・・黒沢鶴一

大尉は熱海の衛戍病院の正面玄関側の病室に横たわった。
容態を聞いて、胸を撃たれていることをはじめて知った。
河野大尉にはだれか付添いの者に残ってもらい、他は東京に行こうと私は思っていた。
黒田君も同様な考えであった。
彼はまだ鉢巻をしていた。
私は、東京に行こう、と 云い出した。
河野大尉が聞いて、
「 まあ待て、東京の様子が分るまでここに居よ 」 と 言う。
振切ることもできないのでそのまま居ることにした。


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