あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

暗黒裁判・幕僚の謀略 4 皇道派の追放

2020年11月26日 14時13分06秒 | 暗黒裁判・幕僚の謀略4 皇道派の追放

最近反亂軍に參加せし者の論告内容が洩れ、種々の批評を加へ居る向きあり。
殊に論告が過重なると稱す。
東京第二弁護士會長、國本社の元理事 竹内賀久治 ( 平沼騏一郎氏の乾分 ) は、
平沼氏より樞府に於ける特別軍法會議決定當時の内容を聞き 次の如く云ふ。
特設軍法會議を決定する時に、
陸相は事急を要し、短時間に審判処理するの要あるを以て特設軍法會議にあらざるべからずと言はれ、
平沼騏一郎は之に賛成せるも、其後の捜査審判を見ると、四ヶ月を經過せし今日 未だ完了せざる如く。
今日の客観的狀勢に鑑る時は、特設軍法會議としたのは被告に對シ 人權蹂躙の大なるものなり。
大逆事件たる難波大助でも辯護士を附したるに、今回の如き崇高なる精神に基く事件に對シ、
之を附するひとなく罪に審判せられ居る。
事件發生以後の檢擧を見ると、陸相は武藤章中佐外一部少壮將校の言を容れ、
極端なる捜査を爲し 甚だしきは何等の確證なく、容疑本位にて眞崎、加藤、本庄等の大官を憲兵が取調中なるも、
之等大官の地位と現狀とに鑑み 極めて愼重に且 嚴秘を要するに拘らず、翌日には既に一般に流布せられあり。
之れ 人權蹂躙職権亂用の甚だしきものなり。
若し 犯罪が成立せざる場合には、之等大官の名誉威信を如何にするや。 眞に戰慄に堪へず。
吾人は事件審理の結果、若し檢察當局にして人權蹂躙乃至は職權亂用の事實ある場合には、
全國法曹界に呼びかけ斷乎として糾彈する積りなり。


眞崎大將の事件関与
事件の捜査は、憲兵隊等を指揮して匂坂春平陸軍法務官らがこれに當たった。
黒幕と疑われた眞崎甚三郎大將 は、
昭和十一年三月十日日に眞崎大將は豫備役に編入され、
東京憲兵隊特別高等課長の福本亀治陸軍憲兵少佐らに取調べを受ける。
昭和十一年十二月月二十一日
、匂坂法務官は、眞崎大將に關する意見書、起訴案と不起訴案の二案を出した。
昭和十二年一月二十五日に反亂幇助で軍法會議に起訴されたが否認した。

   小川関治郎              湯浅倉平
   陸軍法務官              内務大臣

小川関治郎法務官は湯浅倉平内大臣らの意向を受けて、
眞崎を有罪にしたら法務局長を約束されたため、極力故意に罪に陥れるべく訊問したこと、
小川が磯村年裁判長 ( 寺内寿一陸軍大臣が転出したあと裁判長に就任 ) に對して、
眞崎を有罪にすれば得することを不用意に口走り、
磯村は大いに怒り 裁判長を辞すと申し出たため、陸軍省が狼狽し、
杉山元 ( 寺内寿一の後継陸相 ) の仲裁で、要領の得ない判決文で折合うことになった。
論告求刑は反亂者を利する罪で禁錮13年であったが、昭和十二年九月二十五日に無罪判決が下る。
磯村年大将は、
「 眞崎は徹底的に調べたが、何も惡いところはなかった。だから當然無罪にした 」
と 戦後に證言している。


暗黒裁判
幕僚の謀略 4
皇道派の追放
目次
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眞崎甚三郎大將判決全文 (九月二十五日陸軍省公表) 
・ 「 被告人眞崎甚三郎ハ無罪 」 
・ 拵えられた憲兵調書 「 眞崎黒幕説は勝手な想像 」
・ 
眞崎談話
『 今回の黒幕は他にある事は俺には判って居る 』 
・ 拵えられた憲兵調書 「 眞崎黒幕説は勝手な想像 」

川島義之陸軍大臣 憲兵調書 
・ 
戒嚴司令官 香椎浩平 「 不起訴處分 」