あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

眞崎談話 『 今回の黑幕は他にある事は俺には判って居る 』

2020年11月24日 08時30分07秒 | 暗黑裁判・幕僚の謀略4 皇道派の追放



眞崎大将談 
( 三月二十六日 )

「 荒木が病気で帰って居ると云ふ事で 今日見舞って来た。
 荒木は色々のデマで非常に迷惑して居る。
叛乱将校を事件前に
鈴木侍従長や渡辺に紹介して模様を調べさせたと云ふ様な説もあるので、

今日荒木に会って
君は紹介状でも書いた事があるかと尋ねたが、荒木は絶対にそんな事はないと言って居た。

どうも怪からん事をする人である。何とかして俺や荒木を陥れ様と謀りをる人がある様だ。
大体判って居るが そう云ふ人達の心裡は誠に気の毒なものだ。
俺は今回の事件には全く関係ないばかりでなく、事件の起ると云ふ事も全く予想は出来なかった。
俺が軍法会議の証人に出る前日だと思ふ、
或る大佐が尋ねて来たので最近の軍部の動静は心配ないかと聞くと、
某大佐は絶対に心配ない 御安心下さいと言はれたので 俺も安心して居った。
然るに事件のあった朝 午前六時半頃 陸軍大臣から速刻出て呉れと電話があった、
何事だろうと思って居ると其処へ海軍の加藤から陸軍が重大事件を起したと電話で知らせて呉れた。
当時自分は下痢を持って居たが、すぐ本省へ駆けつけたが、
厳重な歩哨に阻止せられて中々這入る事が出来なかった。
漸く大臣から呼ばれて来たのだと言ったら通して呉れた。

陸軍省前に現役や予備の将校 ( 山本又 ) が居て決起趣意書を出して
是非之を上聞に達して呉れと、ワイワイ言って居た。
省内に這入っても何れも周章狼狽の状態で、大臣が何処に居るやら判らなかった。
漸く川島に会えた。
川島にどうして此事件を収拾すると聞いたが、川島にも何等の成算もないので、
陸軍の事は陸軍の手で納めなければならぬ。
 何時迄もグズグズ出来ないではないか、
すぐ君の権限で軍事参議官会議を招集しろ。

又 岡田がやられたならば 当然総辞職だらうから、
君が閣僚を招集して閣議を開かなければなるまい

と 注意すると、早速参議官一同を招集する事になった。
又 加藤から 伏見宮軍令部長殿下の御殿に居るから
陸軍の模様を君から御説明して呉れと電話があったので、

すぐさま 御殿に参り 自分の見た状況や今後の見透し等を言上して見た。
すると 殿下は直ちに参内して陛下に奏上すると言れて御出掛けになられたので、
途中が不安心であるから自分も殿下に従った参った。
程なく宮中で閣議が開かれると云ふ事を耳にしたので、
後継内閣其他の為に是非共軍部の意嚮を閣僚に通して置かなければならぬ、
又 時局収拾の為め 直ちに戒厳令を実施しなければならぬと云ふ参議官一同の意嚮であったので 川島に通し、
又 閣僚共直接話し合ったが、どうしても話が合わない。
後で判った事だが、参議官の方では総理が全くやられたものと信じて居た。
然るに 閣僚の方では総理の生きて居る事が当時から判って居たので話しが合はなかったのであろう。
川島が閣議で色々主張したらしいが、閣僚の大部分は今直ちに戒厳令を実施する事は、
軍政府でも樹立する魂胆が軍首脳部にあるやの如く誤解せられた。
どうしても自分の説を聞いて呉れないと言って 非常に悲憤して居った。
世間では叛乱部隊が色々の要求を提案した様に伝へられて居るが、
決起趣意書以外には何等の要求はなかった。
唯 蹶起の趣意を軍事参議官に対し上聞に達して呉れと云ふ要求があった。
参議官でも色々相談の結果、上聞に達し 次の様な事を回答した。
㈠  決起趣意書は上聞に達した
㈡  諸君の真意は諒とする
㈢  参議官一同は時局の収拾に付き最善の努力をする
と 云ふ事を警備司令官を通して蹶起部隊に回答したのが、
其処に飛んでもない手違を生じてしまった。

( 註、このあたり欄外に書き込みあり、真崎談話の末尾に挿入 ・・原註 )
手違いと云ふのは、阿部が警備司令部の副官に今話した三点を、電話で復唱迄させて話してやったのに
どう考へたか 警備司令部では 「 ガリ版 」 に刷って関係方面に配った

処が第二の真意は諒とすると云ふのを行動は諒とすると印刷してあったのだ。
当時 陸、海軍部内に非常なる問題となって、
参議官が蹶起部隊の行動を諒とするは不都合千万だと大騒ぎとなったが、
阿部が当時の原稿を所持して居たので、間違であった事が明瞭になり問題も落着した。

俺は蹶起部隊を鎮静せしむるには飽く迄も兵火を交へずに説得するより他に道はないと最初から考へて居た。
他の参議官にも計ったが何れも自分の説に賛成であった。

二十七日の午前中 警備司令官 ( 香椎浩平中将 ) が来て、
蹶起部隊は閣下の説得ならば応ずるらしと云ふ情報があるから、
是非共其の衝に当って貰ひたいと云はれたが、
俺は眞崎個人としては嫌だ、其れでなくとも色々と宣伝の材料に使はれる。
若し 君がどうしても僕に働いて呉れと云ふならば、
個人同士の話でなく参議官一同の居る所で話て呉れと云ふと、
其れでは一同の前にてお願ひすると言って、参議官一同の居る部屋で更に其事を言はれたが、
俺は前の様な意味で一応の断りをした処が、
他の参議官が今此の非常事変の真最中 自分一個の毀誉褒貶きよほうへんにこだわる場合ではない、
是非共引受けて呉れないか、自分等も共に努力すると進められたので、
それでは引受けしよう、
然し 単身では嫌だ、誰か立会をして呉れと云ふと、西、阿部の二人が立会って呉れる事になり、
反乱将校の集合して居る首相官邸に参ると、十八名の青年将校の他 一聯隊長も居った。
青年将校に会って見たが、自分の知って居るのは二、三名に過ぎなかった。
そうして将校一同に対して、自分は軍事参議官だ。
参議官は陛下の御諮問があって初めて行動すべきで 御諮問のない以上は何等の権限はない。
普段は全く風来坊同様の身だ。
別段 陛下の御命令がある訳ではないが、
今回の君等の出かした事件に関し 座視するに忍ず、自分から進んで此処に来たのだ。
君等の考へを聞かせて呉れ。
大勢でも話しが纏まらぬだろうから誰か代表者を選んで呉れと云ふと、
野中大尉と他二名は仮代表となられて此の事件の善処策を俺に一任したいと言はれた
俺はお前等に一任せらるると言っても お前等の大部分は一面識もない、
然るに俺に一任すると云ふ理由は、
お前達の中に俺の教育した者が二、三ある、其縁故でお前達から一任されたと思うが、
お前達は大義名分を没却してはいけない。
俺が士官学校当時西郷南洲の例を引いて、大義名分の事に関しては常に話して置いた筈だ。
日本帝国では如何なる理由の下にも大義名分に反する行為は成り立たない。
お前達の蹶起の理由は例へどうあらうとも
今迄は 或は警備司令官の指揮下に警備の任に任じたと解釈出来るかも知れないが、
之れからはそうは行かぬ、
既に戒厳も令せられ、戒厳司令官は奉勅命令に依って君等を討伐に任に当る。
若し 之れに従はざる者は即ち御旗に反する事になる。
例へば戒厳司令官が其の挙に出てないとしても 老いたりと雖も此の真崎が承知しない。
第一線に立って君等の討伐の任に当る。
君等が兵卒を動かした事は何としても申訳ない。
今が潮時だらう。
君等の率ひた兵卒き決して四十七士ではない。
腹が減る 眠くなる。
従って君等に反する事になる。
最後は君等は丈で取り残された反逆者になる。
真に解決を俺に一任するならば解決の途は唯一つだ。
お前達は直に所属隊長の命に従って軍旗の下に復すべきだ。
他に何等の方法がないと、
俺は全く声涙共に下るの思ひで諄々と説得に努めた。
代表者は一時撤去して他の将校と協議して再び来て、
閣下のお言葉は能く判りました。必ず言葉通りに致しますと云はれたのだ。
俺も非常に安心して直ぐ司令官にその旨を伝へた。
司令官も非常に喜んで早速 陛下に奏上された。

然るに どう云ふ事であったか
二十七日の深夜になって自分との約束がすっかり屑くずにされて仕舞った。
自分は残念で堪らなん。
当時其事情はどうしても判らなかったが、今では多少判りつつある。
内部からも外部からも入れ智慧をした者がある様だ。
其の為めに遂に叛乱軍討伐に迄至ってしまった事は返す返すも遺憾千万である。
俺は左様に 全く今回の事件に就ては 一身を犠牲にして国家の為のみ御尽しした算つもり。
又 其の間の事情は軍首脳では充分承知して居る筈だ。
然るに俺や荒木が如何にも今回の事件の黒幕であるかの如く宣伝せられて居るのは心外で堪らん。
実に怪しからんと思ふ。
俺の処にも色々の方面から警告する者がある。
此の間も或る人から、憲兵隊や警視庁を盛んに 俺や荒木の行動を内偵して居るから注意しろと言はれたが、
僕は真に結構だ、調べれば調べる程 俺の本当の事が判る。
然しながら俺等を中心と考へて調べを進めて居る事は全く空な事だと言って置いた。
若し 憲兵隊や警視庁でそうゆう考へで調べを進めて居るとすれば 的外れも甚だしい。
今回の黒幕は他にある事は俺には判って居る。
然し 此処では言へない。
内地と満洲との間を屡々往復して居った者に少し注意すれば すぐ判る筈だ。云々
原註
実状と相違す、香椎戒厳司令官は宮中より参謀長 ( 安井藤治 ) に電話せり。
参謀長は福島 ( 久作 ) 参謀を招致し電話を一句一句筆記せしめ、且 最後に之を司令官に復唱、
承認を得たるものにして、其際第二項には 「 行動 」 と確かに伝へられたり。
思ふに当時宮中に会合しありし者の中に或は作為者ありしにあらずや。

・・安井藤次少将・備忘録  から

次頁
「 被告人眞崎甚三郎ハ無罪 」 に  続く