あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

川島義之陸軍大臣 憲兵調書

2020年11月10日 17時34分32秒 | 暗黒裁判・幕僚の謀略4 皇道派の追放


川島義之陸軍大臣

憲兵調書
昭和十一年五月二日

« 二月二十六日朝、陸相官邸大臣室に於ける眞崎大將との會談内容 »
此時の會談は極簡單なものでありまして、
眞崎大將より
「 大變なことをやったね 」
と 挨拶があった後、眞崎大將より
「 君はどうするか 」
と 問はれたので、私は、
「 本庄武官長が、宮中に行って居ると云ふことであるから、
本庄にも相談もし、又、上奏の手續も依願し、上奏して時局の収拾にかからうと思ふ 」
と 答へました。
私は眞崎に 君はどうする心算かと聞きますと、
「 俺は今から伏見宮御殿の方へ行く 」
と 云ひました。
話の内容は大體右の如きものでありました。
« 眞崎大將の陳述に依ると、その際、大將は大臣に對し、
「 貴様が中心になって此処で閣議を開き、戒嚴でも布かねばなるまいと思ふ。若し 用があれば居るが、伏見宮御殿に行かねばならぬ 」
と 述べたと云はれて居るが、之を聞かれた記憶なきや。»
之れを聞いた記憶はありません。
« 大臣が宮中に參内し、武官長室にありし時、同室せる眞崎大將より、
「 蹶起部隊は到底解散を聽き入れぬから、奉勅渙發されねば駄目だ云々 」 と 云はれたる由なるが、之が眞相如何 »
或はそう云ふ話があったかも知れないが、
當時 私は上奏其他 時局収拾を考へつめて居ったので、右の様な話のあった記憶は全くありません。
« 二月二十六日朝、蹶起將校と会見中、大臣は真崎大將を召致せられたるか。
其召致を小松少佐に命ぜられ、之に関し小松少佐より如何なる復命を受けられたるや »
決起將校が希望事項を開陳中、半ば頃の時、眞崎大將、本庄大將を呼んで貰ひたいとの申出あり、
之に對し小松秘書官に電話するよう命じました。
それから暫くして談話室で小松から、
「 本庄大將は既に參内せられあり、眞崎大將は腹が惡くて休んで居るから、直ぐ行く 」
旨の復命を受けたと記憶します。
山下少將を召致した事に就ては記憶はありませんが、或はあったかも知れません。

二・二六事件秘録(二) から