あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

自殺するなら勝手に自殺するがよかろう

2020年05月12日 18時03分25秒 | 大御心

村中、香田らが師団司令部から陸相官邸にかえって間もなく、
山下少将があわただしく官邸にやって来た。
そしてすぐ青年将校は集まれという。
香田、村中、栗原らは鈴木大佐、山口大尉の立会いで山下少将と会った。
山下は沈痛な面持ちで、
「 奉勅命令の下令は、いまや、避けられ得ない情勢に立ち至った。
もし、奉勅命令が下れば、お前たちはどうするか 」
一同、ことの以外に唖然として答えるものがない。
「 奉勅命令が出たとなればわれわれはこれに従うより外に途はない。
 われわれの国体信念は陛下にたてをつくことはできない 」
というのが、暗黙の間に通ずる彼らの支配的な意見だった。
だが、誰も発言しない。
沈うつな空気がこの場をおおっていた。
そこへ戒厳司令部からかえった磯部がとび込んで来た。 
そして、
「 おーい、一体どうするんだ ! 」
と どなりたてた。
村中は磯部に ここでの事の次第を説明した。
「 オレは反対だ、
いま撤退したらこの台上は反対派の勢力に掌握されてしまって、
われわれの蹶起が無意味になる。
それだけではない、もっと悪い事態がおこる。
奴らは われわれを弾圧して自分たちの都合のよいように、軍をつくりかえてしまうだろう 」
この磯部の強い反対で、一応、撤退の空気はくずれてしまった。
もう一度よく協議しようということになって、
山下、鈴木は別室に去り 山口だけは居残った。
彼らは山口を交えて改めてもう一度協議した。
奉勅命令が師団の方では未だ出ないというのに、
幕僚は出たという。どちらが本当かわからない。
これは彼らの おどかしかも知れない。
協議は、ことの真否をめぐって堂々めぐりをしていた。
この暗たんたる前途に対して、もはや、誰も思いきって発言するものがなかった。
この沈黙を破って栗原が、
「 それでは、こうしようじゃないですか、
今一度、統帥系統を経てお上にお伺い申上げようではないか、
奉勅命令が出るとか出ないとか、一向にわれわれにはわからない。
もう一度、陛下の命令を仰いで、一同その大元帥陛下のご命令に服従しましょう。
もし、死を賜わるならば、
侍従武官のご差遺を願い将校は立派に屠腹して、下士官兵のお許しをお願い致しましょう 」
と いって泣いた。

なみいる同志は感動した。
この栗原の発言は一同の胸をひしひしと かきむしったのだ。
突然、山口が大声をあげて泣き出した。
「 栗原、貴様はえらい ! 」
山口はたち上りざま、ツカツカと栗原のところによって肩を抱いた。
栗原も立って山口を抱いた。
二人は頬と頬をくっつけるようにして声をあげて泣いた。
香田も泣いた。
村中も磯部も泣いていた。
磯部は統帥系統を通じてお上にわれわれの真精神を奏上してお伺いするという方針は、
この際、きわめて妥当なものだと感じたので、
「 よかろう、それで進もう 」
と いった。

村中も香田もこれに同意した。
山口が部屋を出て別室の山下と鈴木を呼んできた。
そして山口から改めて栗原の意見を開陳すると、
山下も鈴木も共に涙を流し、
「 ありがとう、有難う 」
と 栗原をはじめ香田、村中、磯部らの手を一人一人固く握りしめた。
そして山下は侍従武官のご差遺には努力しようと約束した。
そこへ、
堀第一師団長と小藤大佐が急ぎ足で入ってきた。
堀中将は奉勅命令が午前八時に実施というのが延期されたので、
香田、村中らの さきの訪問に対しては、
命令は下達されていないと あいまいに答えたのだったが、
それが また正午に実施ということになったので、
驚いて彼らに撤退をすすめにきたのだった。
だが、彼らはそこで栗原の意見を聞いて同じく感動の涙を流した。
もはや、多くをいう必要を認めなかった。
「 奉勅命令は近く下る状況にあるから君らはしりぞいてくれ 」
と いうだけで安心して帰っていった。

人々がこの感激に涙しているとき、磯部はへんな気持ちになっていた。
なんだかおかしい。
人はわれわれが自決するものと決めてかかっているが、
俺は死ぬことに同意したのではない。
もう一度、陛下の御意思を拝するというのだ。
磯部は別室で陛下の上奏文を書きかけている山口大尉の机の前に立って、
「山口さん、上奏文には何と書くのですか、死を賜わりたいなどと書いたら大変ですよ」
山口はけげんそうに磯部を見つめていたが、ちょっと考えて、
「われわれは陛下の御命令に服従します」 と 書いた。
それでも磯部はなお何かいいたげに山口を見守っていた。

彼ら一同が自決することになったというので、
第一師団、戒厳司令部をはじめ軍首脳部も何かしらホッとした。
これですべてが解決されたかに感ぜられたからである。
だが、磯部のこの疑念、何だか話がくいちがっているとしたところ、
のちの形勢逆転の発端があった。
この日の午後一時頃
川島陸相は山下少将とともに本庄武官長を訪問した。
山下が行動将校らは兵を返し 将校は自決するとの決定によって
勅使ご差遺をお願いするためだった。
山下少将は行動将校一同は大臣官邸にあっていずれも 陛下に罪を謝するために自刃し、
下士官兵はただちに原隊に復帰させる予定である。
ついては彼らをしてや安んじて自刃せしめるために、
特に勅使を賜わり  死出の光栄を与えられるよう取りはからわれたい、
と 申し出た。
また、川島陸相からは、
第一師団から部下の兵をもって同じ部下の兵を討つのは
到底忍び得ないところであるという申し出のあったことを報告した。
これはこの日の午前十一時頃 堀師団長が、
戒厳司令官に第一師団は攻撃準備整わないので
討伐開始の延期を申し出たことの心裏を率直に語ったものであった。
本庄武官長は、
陛下が軍の処置に不満の気持を明らかにしておられる今日、
勅使の差遺などは到底不可能であると答えたが、
川島や山下からたってのお願いだと懇請されたので、
やむなく一応これを伝奏することを約束した。
それからすぐ政務室で拝謁し、
山下からの懇願の次第を詳細に言上すると、

陛下の顔はたちまち、
これまで拝したこともないような怒気があふれてきた。
そしてきびしい態度で、武官長をにらみすえられ、
それで陸軍の威信を保ち責任をはたしうると思うのか、
自殺するなら勝手に自殺するがよかろう。
このようなものに勅使などとは、もっての外である。
また、第一師団長が部下を愛するのあまり、
進んで行動をおこすことができないというのは、
みずからの責任を解せざるものである。
もはや、論議の余地はない。
立ちどころに討伐し反乱を鎮定するように厳達するがよい」  ( 本庄日記 )  
と、激しい叱責を受けた。
このような陛下の厳然たる態度は、
武官長就任以来初めてのことで本庄はいたく恐懼感激して御前を退下したという。
・・・大谷敬二郎  二・二六事件 『 陛下の命令に服従します 』 から 

・・・リンク→磯部浅一 『 
行動記 
 第二十一 「 統帥系統を通じてもう一度御上に御伺い申上げよう 」