あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

天皇は叛乱を絶対に認めてはいけません、 そして 叛乱をすぐ弾圧しなければなりません

2020年05月06日 18時12分37秒 | 大御心

 木戸幸一
「 ・・・・二・二六事件の一番興味をもち、一番知りにくいことは、皇室の関係です。
秩父宮が蹶起将校の同志だったといわれますが、私は事件の勃発と関係なかったと思います。
二十七日の秩父宮の独断帰京が問題だと思います。
この帰京が 天皇を助けるためにか、同志将校を助けるためだったか、
どちらであったかは知りません。
または、蹶起が成功したらば、そして天皇がそれを認めたくなかったら、
その場合は秩父宮が昭和維新の摂政になる可能性があったかもしれません。
しかし、事件の失敗の一つの理由は、天皇の反対御意見であったので、
秩父宮も他の態度を取ることが許されなかった。
秩父宮以外に叛乱将校を最初には同情した 東久邇宮、朝香宮、伏見宮も同じであったと思います。
これらの宮様も天皇の反対御意見のために独自の同情的な立場を取ることが出来なかった。・・・註1
しかし、天皇がなぜ昭和維新に対しての反対者だったかは問題だと思います。
その反対意見の理由は、三つだったと思います。
第一は、天皇の自由主義的な教育と信念でした。
第二は、側近者の暗殺でした。
第三は、残っていた忠告者の反対意見だったと思います。
後者の中で一番影響の強い人は、木戸幸一だったと思います。
木戸幸一日記を読むと、木戸が二十六日の朝に、
天皇は叛乱を絶対に認めてはいけません、
そして 叛乱をすぐ弾圧しなければなりません、
弾圧内に新しい内閣を組織することは絶対に許してはいけません
と 決定しました。
木戸が湯浅宮内大臣と広幡侍従次長を通して、天皇に強い影響を与えました。
ですので、二・二六事件の失敗の原因の一つは、木戸幸一だったと思います。・・・・」・・・註2
・・・ベン・アミー・シロニー 昭和四十五年四月三日の手紙
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註1
天皇による新内閣組閣献言拒否
一、伏見宮の献言・・・『 速やかな平沼喜一郎新内閣の組閣 』
  木戸の建言に従い天皇はこれを明快に拒否。 面会の結果を待っていた加藤大将は帰途を命じられる。
二、川島陸相の拝謁・・・『 蹶起趣意書 を読みあげ暫定内閣確立を言上 』
   天皇はこれを拒否し ・・・『 反乱軍の鎮圧を優先 』
三、午後一時半頃、重臣清浦圭吾が参内・・・軍人首相内閣の樹立と大詔渙発を献言
  天皇はこれを拒絶
四、天皇の前に駆けつけた皇族・陸相・重臣等は
磯部らの上部工作の想定通りに暫定政権成立を進言したが
 天皇は断り通した。

註2
実質的内大臣は内大臣秘書官長の木戸幸一
木戸幸一内大臣秘書官長の建策
・ 現内閣の辞職を許さない
 ・ 天皇の方針を叛乱の鎮圧一本に絞る
暫定内閣を作るということになると
 これが取引の道具になり
 「 実質的には反乱軍の成功に帰することとなる 」
磯部らの考えたクーデター成功のための最大の眼目・暫定政権成立プランは木戸によって読み破られた。

・・・二・二六事件の考察--日本的クーデターの構想と瓦解  筒井清忠 2014.6.12  から