宮中では はじめから天皇の意思ははっきりしていた。
天皇は彼等を叛徒と斷定し、しかも急速にこれを討伐せよと大臣、次長さらに政府にもその意思を明示されていた。
陸軍の首脳部がいつまでも鎭壓に出ることなく、モタモタしていることに宮中では、
彼らはどちらを向いているのか知れたものではないと強い非難をあびせていた。
天皇は戒嚴司令官の鎭壓措置が緩慢であることに不満だった。
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二十七日午後、本庄武官長を召された天皇は、これについて彼の意見を求められている。
「 行動をおこしました將校の行爲は
陛下の軍隊を勝手に動かしましたる意味において、統帥權を犯すの甚だしきものと心得ます。
その罪もとより許すべからざることは明白でござりますが、
しかしその精神に至っては
一途に君國を思うに出たるものであることは疑う餘地もあるまいと存じます。
よって、武官長個人の考えといたしましては、
今一度説得して大御心の存するところを知らしめることが肝要と心得まする。
戒嚴司令官においても武官長と同意見であろうと考えます 」
「 武官長 」
天皇の聲は凛として冴えかえっていた。
「 彼らは朕が股肱の老臣を殺戮したではないか、
かくの如き兇暴な行動を敢えてした將校らをその精神において、何の恕すべきところがあるか、
朕がもっとも信頼する老臣を悉く殺害するのは、朕が首を真綿で締むるのと同じ行爲ではないか 」
「 仰せの如く 老臣殺傷は軍人として最惡の行爲であることは勿論でございまするが、
しかし、たとへ彼らの行動が誤解によって生じたものとしても、
彼ら少壯將校といたしましては、かくすることが國家のためであるという考えに端を發するものと考えます 」
「 もし、そうだとしても、
それはただ私利私慾のためにするものではないというだけのことではないか、
戒嚴司令官が影響の他に及ぶことを恐れて、
穏便にことを圖ろうとしていることはわかるが、時機を失すれば取りかえしのつかぬ結果になるぞ、
直ちに戒嚴司令官を呼んで朕の命令を傳えよ、
これ以上躊躇するならば 朕みずから近衛師團を率いて出動する 」
「 そのように御軫念をわずらわすことは恐れ多き限りでございます。
早速、戒嚴司令官に傳えて決斷を促すように致します 」
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このような儼乎 ごんこ たる天皇の意思は武官長から戒嚴司令官に傳達されたことであろう。
だが、香椎司令官の態度は、なお、はっきりしなかった。
彼の行動には皇道派に偏するものがあり、
その態度は靑年將校に同情すること強きものがあったからである。
二十七日朝八時二十分 杉山次長は天皇に拝謁して 「 奉勅命令 」 を仰いだが、
天皇は至極満足にて ただちに、允裁 いんさい になられた。
この時、
「 皇軍相撃は努めて避けたく
目下軍事參議官は軍の長老として所属部隊長とともに
極力反亂軍を説得中でありますので、
奉勅命令を戒嚴司令官に交附する時期については
參謀總長に御委任を乞い奉ります 」
と上奏して お許しを得た。
この奉勅命令は、
『 戒嚴司令官ハ 三宅坂附近ニ占據シアル將校以下ヲ以テ速カニ現姿勢ヲ徹シ
各所属部隊長ノ隷下ニ復歸セシムベシ 』
というのであったが、
この命令を下し 彼らが原隊にかえらなければ斷乎討伐するというものであった。
大谷啓二郎著 二・二六事件 から