鬼頭春樹 氏が、その著書 『 禁断 二・二六事件 』 で、
恰も再現ドラマの如く物語る
近衛文麿
< 二月二十七日 >
夕刻六時半、行進ラッパが威勢よく鳴っていた。
宵闇迫る永田町を歩三安藤中隊と坂井中隊、合せて三百五十名の大部隊が二列縦隊で颯爽と進む。
外堀通りに面した山王下の料亭 幸楽 に宿泊先をあてがわれての移動だ。
宿営地配布命令が戒厳司令部から夕刻五時に出た結果だった。
行進の先陣を務める坂井隊の旗手は高々と 『 尊皇討奸 』 と書かれた幡を掲げていた。
坂井中尉の楷書の整った筆になる。
安藤は 『 志気団結』 と書かれた日章旗と進む。
夕暮れの沿道には蹶起軍の行進を一目見ようと鈴なりの野次馬が押し掛けた。
・
七時頃、「 幸楽 」 の広いロビーの大きな籐椅子に安藤大尉は腰掛けていた。
三百名を超える大部隊の移駐ゆえ ロビーはごった返す。
和風料亭とあって兵士たちは一々靴を脱がなくてはならない。
後に畳が裏返されて土足の儘 出入りが行われたが、下足番だけでも大変な作業だ。
先程 五時、真崎大将など三名の軍事参議官と蹶起将校十八名との会談が陸相官邸で終わる。
これという収穫はなかった。
出席しなかった将校は安藤と栗原だけ。
事件の膠着状況は蹶起軍の敗色を物語っていた。
・・・・起死回生の軍事作戦は何かないものか・・・・
安藤の表情はすぐれなかった。
その時だ。雑踏の玄関先に詰襟の学生服を着た青年が一人立っていることに気付く。
安藤と目が合うと、学生がオズオズと尋ねた。
「 安藤先生はおいででしょうか 」
「 俺が安藤だが・・・・」
青年はまだ少年の面影が残る。緊張と寒さで頬を赤く染めていた。
「 私は東大国史学科で平泉先生の門下生、青柳と申します 」
「 おー、平泉先生の・・・・、そうか、よくここまで来れたなァ、まあ 掛け給え 」
安藤と平泉澄きよし ( 41 ) は 日本青年協会で知り合う。
歩三に事務局が置かれた人材育成の全国組織で、松下村塾をモデルに青年教育をめざした。
ここで二人は何度か顔を合わせる。
平泉史学は皇国史観と云われた。
前年に東大教授となった平泉は卒論で中世の農民史をやりたいと云うと、こう宣うたと巷間伝えられる。
『 君、百姓に歴史があるのかね。 「 豚 」 に歴史が・・・・』
平泉史学にあって歴史とは自覚された精神的所産を指す。
農民であれば二宮尊徳がこれにあたる。
無名の農民は視野には入らない。
秩父宮が参謀本部作戦課時代には日本政治史の講義を週一回赤坂表町御殿で二年四ヶ月にわたり続けた。
「 お渡しするものがあります。平泉先生からこの封書を預かって参りました 」
青柳は、神妙な顔付で 『 親展 』 と書かれた封筒を両手で安藤に差出す。
「 この場で お読み頂きたいとのことです。よろしければ、私に口頭でご返事が頂ければ、
駒込曙町のご自宅にすぐ戻りまして、私からお伝えしたいと存じます 」
なにやら火急のことと見え、学生の丁重な口調は震えている。
「 判った、少し待ち給え 」
封を切るのももどかしく、安藤は手紙に目を通す。
和紙の便箋に達者な毛筆で書かれていた。
・・・・諸君の身を挺した蹶起行動から二日目にはいったが捗々しい進展が見られない。
此の儘では 生死を賭した諸君の行動は何等歴史的に結実を見ることなく 葬り去られる恐れがある。
この場に及んで、浅学ながら小生は重大な決意をなさんとす。
明朝、近衛文麿公爵邸に出向き、
近衛公より陛下に次の行動に出られるよう進言上奏されよと直言致さんと思案する。
即ち 香椎戒厳司令官を更迭し、勅命を以て秩父宮殿下を転補奉る。
蹶起軍はこれを契機に兵を退き、将校は宮城前にて全員自決。
之を陛下よりの差遣された侍従武官が見届ける。
戒厳令は続行し、内閣は総辞職。
新内閣は近衛公を首班に、昭和維新の勅命を発す。
疲弊した農村の救済に供する施策などを早急に実施・・・・。
斯くの如き私案に対し賢明なる貴殿の御所見を口頭にて門下生、青柳にお聞かせ願いたく存ずる。
学生は胸ポケットから小さな手帳を出すと、挟んである鉛筆でメモがとれるように準備をしている。
読み終えた安藤は即座に答えた。
「 青柳君、平泉先生に伝えてくれ給え。
御趣旨はよく承った。異存はない。先生と近衛公の御尽力で維新が成就されんことを願っている。
元より吾ら捨石の覚悟ゆえ御安心あれ 」
・
この日、平泉教授の行動は大胆だった。
上京する宮の列車に単独で箱乗りしたのだ。
早朝に弘前に電話をすると、宮は既に昨晩、上京のために旅立った後と知る。
列車の時刻表を調べ、教授は上野から九時十分発の上越線急行で水上駅まで下った。
そこで宮が乗った上り列車の特別車両を待つ。
午後一時二分、到着した列車に乗車、水上駅から高崎駅まで約一時間にわたり秩父宮と時間を共にする。
特別車両は中央が木の壁で仕切られ、宮は後部の部屋に一人乗車していた。
そこで教授は一人言上したのだった。
次の三点が骨子であったとされる。
一、天皇が下々の脅迫・強要に屈服して方針を変更するは断じてあるべからず。
二、蹶起将校たちの精神は汲むべきであり、この際、勇敢に時弊を確信すべき。
三、時局の収拾のため近衛文麿を中心にし、荒木貞夫、末次信正を補佐として進めるべし。
だが教授の独断行動は各方面、とりわけ宮中筋からの疑惑の目で見られた。
教授が詠んだ和歌が思わせぶりであったことに起因する。
『 道の奥 ながき雪みち おしひらき 日の皇子みこは 今のほりめすなり 』
『 降る雪を 稜威のちわきに ちわきつつ 日の皇子こそは 今のほりませ 』
これではまるで皇位が交代するようではないか。まさに壬申の乱ではないか。
もともと平泉教授の思想は立憲政治とは異なった。
三年前、木戸は近衛と同席して平泉と食事を共にした際、こう書き記す。
『 昭和維新の大眼目は天皇ご親政にありと説く 』 ・・木戸幸一日記・昭和八年二月七日
こう考えていた教授は二・二六事件を絶好の好機と見たのだ。
・
安藤は早速伝令を陸相官邸に送る。
磯部と村中を 「 幸楽 」 に呼ぶためだ。
蹶起軍にとって起死回生の機会がきたのだった。
< その頃 >
「 幸楽 」 へ栗原中尉が横溝二等兵が運転する外車で悠然とやって来る。
七時だからすでに夜の帳とばりが下りていた。
事件は膠着状態にぶち当たっていた。
「 ここは昭和維新のタネを蒔くことだ。我々に続く次の時代を育てなくては 」
栗原は街頭演説にやって来たのだった。
幸楽傍の特許庁前に集まった野次馬に檄を飛ばす。
「 諸君、さきほど秩父宮殿下が上野駅に御帰京になった。今 宮中で陛下に拝謁されている。
愈々我々の頭目として戴くべき時が来た。昭和維新の成功も間近い。
明日には大詔が渙発され、昭和維新の歴史的な局面の幕が切って落とされようとしている。
諸君、我々はもとより己の一命に拘泥しない。
いつでも大命の仰せにより割腹する覚悟だ。昭和維新の捨石になる。
そのための蹶起だ。どうか我々に続いて欲しい。
諸君が明日の日本を切り開いて欲しい 」
・・・元事務官・松本徹はこの演説を聞き、翌二十八日 ( 金 ) に秩父宮邸で宮に内容を言上した。
『 宮様として迷惑この上ない話ではあるが、
新聞にも出ないようなこのような民衆を集めての演説の内容は、お耳に入れるべきと決心した次第であった 』
・・・「 昭和十一年、事件突発の翌日だったか、急遽御上京の宮様を上野駅にお迎えし、
御着の翌日だったか翌々日だったか、相当長時間、御下問に対し私自身 見聞した事を申しあげ、
更に 『 一般ではどういう事を言っているか 』 とか 『 一般ではどういう風に見ているか 』 等、
事細かに痛い所を突込んでの御下問があった。
その中で特に殿下が心を痛められたと思われるのは、
何と云っても殿下御自身に関するデマであったろうと思われる。
この様な時に率直に遠慮なく市井の噂等ありのままを申上げる事こそ、
何かの御参考になるものと考えて、当時としては崖から飛び下りる位の覚悟で、
思い切って次の様な事迄申上げた。
その一つは、
私自身が山王ホテル附近の反乱軍の第一線で、
その青年将校の二、三がやっていた街頭演説をきいていたその内容であった。
彼等は
『 秩父宮殿下が御帰京になったので、
愈々我々の頭目として戴き、我々の立場は好転して、昭和維新の成功も近い 』
という様な演説を堂々とやっている事であった。
又、この事件の首謀者というか、黒幕に就いて、巷の噂はどんな事を言っているか、
という御下問に対し、
何と云っても当時の一番多い噂であった 荒木、真崎 両大将という専らの噂の外、
稀には 『 宮様が関係ある 』 という一部の説まで、包まず申上げた 」
・・・松本徹
27日・上野駅
二十七日夜、秩父宮は十一時過ぎには大宮御所と地続きの青山御所に入る。
深夜にもかかわらず拝謁者が引きも切らない。川島陸相、古荘次官、杉山参謀次長、香椎戒厳司令官。
それぞれの心中は複雑なものが渦を巻いていた事だろう。
『 もしかしたら 秩父宮殿下が 』
と いう心理がなかったと云えばうそになろう。まだ事件の形勢は定かでなかったのだから
二十七日 ( 木 ) の秩父宮上京には蹶起将校たちから熱いまなざしが注がれた。
・
翌二十八日 ( 金 ) 朝六時頃、
安藤輝三大尉のいる 幸楽に歩三第五中隊長の小林美文中尉 ( 32 ) が訪ねて来る。
第五中隊は前日から市電通りの向い側、米国大使館の傍にある大倉高商に蹶起軍包囲の布陣を張っていた。
小林は江戸っ子で竹を割ったような性格から安藤とは馬が合う。
「 小林、昨晩、秩父宮殿下が弘前からお出ましになった。陛下とも宮中で会われている。
誰か青山御所に行ってくれないか。お話さえ出来れば、直ぐ解決するのだがなァ 」
ロビーの大きな籐椅子に座ったま安藤の表情は明るかった。
平泉教授の起死回生の建議に未来を賭けていたのだろう。
「 そう簡単に拝謁できるものかネ 」
「 いや小林、簡単だ。
この事件を起す時には、予め殿下に御連絡すれば、直にお出になると言われておったんだ。
誰かいってくれないか・・・・」 ・・・小林美文・憲兵調書
« 二十八日 »
正午、近衛貴族院議長が御学問所で拝謁する。
蹶起軍にとっては起死回生となる平泉教授の建議を携えてのことだ。
この拝謁者は日頃からリラックスした物腰だった。
近衛家の第三〇代当主、近衛文麿 ( 44 ) は
身長一七〇センチの長身で足を組み、深々と椅子の背もたれに寄りかかる。
天皇の前で足を組んだ者は他に例を見ない。
侍従たちが部屋を片付ける際、
近衛公の拝謁後だけは、絹張りの椅子の背もたれに温もりがあったと云う。
他者ならば浅く腰掛けて、背もたれなど使わない。
この態度は
摂政関白となる五摂家の筆頭、
万葉集にも登場する藤原北家に発している家柄というプライドから来るのか、
それとも 革新派を標榜する政治的な姿勢がなせる業なのか。
拝謁に使用される一の間と待機する二の間の境には 六曲の金屏風が立てられていた。
つまり 二の間からは金屏風に妨げられ天皇が玉座にいるかどうか判らない。
やがて侍従が誘導して天皇が二階御政務室から階段を下りてお出ましになる。
その玉座に座るタイミングと拝謁者が一の間に進み着席するタイミングが一致することが理想とされた。
・
この日、近衛は挨拶もそこそこにズバリ切り込んだ。
「 お上、蹶起軍の鎮圧が進みませぬが、いかに・・・・」
「 近衛、予は参っておる。
暴徒を鎮圧するために戒厳令を布いたにもかかわらず、遅々として作戦が進まぬ。
討伐の奉勅命令を今朝ほど戒厳司令官に下達してあるのだが・・・・」
天皇は明らかに憔悴していた。
玉座と拝謁者の椅子の間には小机が置かれ、龍村織のテーブルクロスが掛けられる。
玉座の背後には大理石のマントルピースがあり、電熱器が燃えていた。
「 暴徒なるかどうかは別として、
お上、戒厳司令官の香椎を更迭なさりませ 」
「 香椎を更迭 ? とすると、後任は ? 」
昭和天皇の窪んだ眼がやや光を帯びた。
近衛はかまわず真ん中に直球を投げる。
「 秩父宮殿下を鎮圧を前提とした戒厳司令官になさりませ 」
「 なに! 秩父?・・・・なぜ秩父を戒厳司令官などに!」
天皇が驚きを露にした。
オールバックの黒髪も隆々、脂ぎった表情の近衛が驚きを無視するかのごとく平然と云う。
「 蹶起軍を直ちに鎮圧するためです。
職名は鎮圧司令官でもよろしいでしょう。
蹶起将校たちは、宮城前広場にて速やかに自決させます。
ただし武士の情け、侍従武官を差遣さけんなさりませ。
下士官兵は原隊に帰順。
責任は問いませぬ。
しかる後、蹶起将校らの心情を汲み、その訴えを聴いて、
政治の流れを変え、維新の精神に戻るべきでしょう。
不肖、近衛もそのためなら労苦を厭いませぬ 」
近衛が一〇歳年下の天皇に悠然と話し終わると、天皇の声がオクターブ高くなる。
「 それはなにを申すのか!
暴徒の論理など聴くに及ばぬ!
秩父との議論は五・一五事件のあとでこりごりだ。
土台、香椎は中将ではないか。
秩父はたかが陸軍少佐の身で なにゆえ戒厳司令官に就けるのか。
釣り合いがとれぬではないか!」
近衛は天皇の感情的な発言にいささか ムッ となったものの、
勤めて平静を装って語る。
「 お上が勅令で就任させるのです。
ここは超法規的な措置です。
その上で、昭和維新に邁進する勅語をお出しなさりませ。
未来はアジアの盟主として羽ばたかなくてはなりませぬ。
アジア各国の有色人種が欧米の白色人種の植民地主義から訣別する、世界新秩序の時代です。
アジア維新です。
それを我が国が率先するのです。
従来の英米協調主義では日本の未来は立ち行かぬ新時代が到来します 」
昭和天皇の唇が震えていた。
「 昭和維新など必要ない!
暴徒を鎮圧し、軍部を刷新すれば充分ではないか。
予は明治天皇の遺訓である 立憲政治を踏みにじるつもりは毛頭ない!」
近衛が鷹揚おうように構えながらも、やや苛立たしさを隠そうとせず直言する。
「 陛下、周囲をよくご覧なさりませ。
瑞穂の国が疲弊しております。
満洲の派遣部隊で戦死者が出る。
遺骨が故郷の聯隊に帰って合同慰霊祭をやる。
ところが遺骨が営門を出たとたん、遺族が遺骨を奪い合うのです。
なぜか?
国から出る弔慰金目当てです。
ひどい父親はハガキで前線の息子に 死んでくれ とまで云って来る。
兵士の供給源たる農民の困窮は由々しき事態です。
しかるに既成政党の腐敗は深刻です。
党利党略に堕し、国益を求める志などどこにも見当りませぬ。
今日の議会政治には明らかに限界がありましょう。
決起将校たちが抱く焦燥感には汲むべきものがあります 」
「 近衛は気楽な立場であれこれ云えよう。
朕はそうは行かない。
憲法に則った立憲君主制の国是を崩せばなにが起きるか判らない。
そのような暴挙は出来かねる!」
近衛は昭和天皇をまっすぐ見つめて口を開く。
最後通告と心中では思ったことだろう。
「 陛下、よろしいですか。
内外の事態は急を告げております。
事件の評価は措くとしても、輔弼による政治の最大の欠点は統合性に欠けることでありましょう。
とりわけ外交と軍事という本来、連動すべき二つの大車輪が実態としてはバラバラでしかない。
戦略的な有効性をあげ得ない。
ここは立憲政治を見限り、お上が中心となり君主親政をお進めなさるのが先決かと存じます。
繰り返しますが 不肖、近衛もそのためなら労苦を厭いませぬ 」
昭和天皇は真一文字に口を結び黙して語らない。
近衛はこれ以上の言上はムリと思ったのであろう。
組んだ足を閉じ 腰を浮かしかかった。
そのときだ。
天皇が呻くように言葉を洩らすのだった。
「 近衛、そちは 朕を宮中に押し込めて、秩父の御世を画策しておるのではないか。
壬申の乱の如き、兄弟が相食む争いを起そうとしているのではあるまいな 」
近衛はあっけにとられ、しばし言葉を忘れた。
我に返ると、すでに天皇が焦燥しきった表情で立ち上っている。
頭を下げた近衛は後ろ姿を見送った。