« 昭和10年8月12日 »
翌朝七時ごろ目を覚ました。
台所の方から野菜をきざむ音が、
もうろうとした耳にかすかに聞えてきた。
「 オーイ、靴はおとどけしたろうな 」
私は、寝ながら叫んだ。
「 ハイ、とどけてきました 」
「 相沢さんは、起きていたか 」
「 もうすく゜朝食のようでした 」
「 早いな 」
と 問答を交わしながら、私は寝たばこを一服つけた。
篆字のようにくねって静かに形を変えながら
流れてゆく煙を眺めるともなく眺めているとき、
私はふと不吉な予感に襲われていた。
「 待てよ、ひょっとすると・・・? 」
相沢三郎が、
永田鉄山軍務局長をやるのではないだろうか。
私は昨夜 西田の家の玄関先で、直突の姿勢をとった中佐の姿を思い浮べると、ガバッと蒲団を蹴った。
なぜ今までこの疑問がわからなかつたのか、反省するひまもなく私はあわてた。
「 オイ、めしだ 」
女房を叱咤しながら、私は服装をととのえて家を飛び出した。
相沢中佐はすでに出たあとであった。
私は、玄関に出てきた西田に、昨夜の相沢との別れぎわの一件を話して、
「 相沢さんがやるかも知れん 」
と つけ加えた。
「 とにかく上がってくれ。オレも感じていることがあるから・・・」
私は出勤の時間を気にしながら、応接間に通った。
「ゆうべ君が帰ったあと間もなく寝ることにして、相沢さんは六畳の間で寝たんだ。
オレは書きものがあったので十五分ぐらいおくれて二階に上がろうとすると、
六畳の間の襖が少し開いていたのでのぞいてみたら、
相沢さんが蚊帳の中で蒲団の上にあぐらをかき、軍刀を抜いてじっと中身を見つめていたんだ。
「 何をしているんですか 」
というと、
にっこり笑って刀身を鞘におさめ、
「 お休み 」 と いいながら、電灯を消して寝てしまったんだ。
・・・・それだけではないんだ。
けさになって家内が蒲団をたたむとき気のついたことだが、新しいシーツにインキのあとがついていたんだ。
われわれが寝たあと、何か書いたにちがいない 」
「 いよいよ怪しいですね 」
「 そうなんだ、オレも心配しているところだ。君はきょう休めないだろうな 」
「 休むわけにはいきません。もう遅れそうですから私はこれで失礼しますが、あとはよろしく頼みます 」
「 磯部君に連絡をとってなんとかするから、君はすぐ行き給え 」
私は、心のこりであったが学校に急いだ。
戸山学校正門
将校集会所
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私は 「 もしや相沢中佐が・・・・・? 」
と不安の気持ちが広がってきた。
不安は不安を呼んだ。もう一刻の猶予もならんと、私はこっそり将校集会所を抜け出した。
西田税 に電話して不安の実態をたしかめたかった。
集会所を抜け出した私は、
電話室に行く途中、学校副官高柳浅四郎大尉 ( 陸士三十四期 ) に会った。
「 オイ、やったなァ 」
高柳副官がいった。
私は、相沢中佐が永田軍務局長をやったことを直感した。
「 なにをやったんですか 」
私はとぼけた。
「 相沢さんが永田少将をやったよ 」
と、高柳は興奮気味であった。
「 殺したんですか 」
「 死んだらしいぞ 」
「 あなたは、どうしてそれを知ったんですか 」
「 いま、新聞記者が電話しているのを聞いたばかりだ 」
「 そうですか 」
事変を確認し得た私は、ことさら平気をよそおって自室に帰った。
昨夜からのことが走馬灯のように私の頭の中をかけめぐった。
私はとっさに剣をつかんで、脱兎のごとく校門に向かって走った。
そのとき、私はバッタリ、
セカセカと歩いてくる磯部浅一に会った。
「 ちょうど会えてよかった。相沢さんが永田をやりました 」
「 いま聞いた、それで飛び出したんだ 」
「 私はたった今この目で見てきたんです。陸軍省の中はごったがえしています。
だらしないったら、いえたもんじゃありませんよ。
これから同志四、五人で斬り込めば、陸軍省は簡単に占領できますよ、行こうじゃありませんか 」
「 まさか・・・・そうあせるなよ 」
私は磯部を制しながら、円タクを止めた。
乗車して行先、千駄ヶ谷を命じた。
大蔵栄一 著
二・二六事件の挽歌 から
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この日のことを磯部は、
行動記 第一 で 記している
磯部浅一
昭和十年八月十二日、
即ち去年の今日、
余は数日苦しみたる腹痛の病床より起き出でて窓外をながめてゐたら、西田氏が来訪した。
余の住所、新宿ハウスの三階にて
氏は
「 昨日相澤さんがやって来た、今朝出て行ったが何だかあやしいフシがある、
陸軍省へ行って永田に会ふと云って出た 」
余は病後の事とて元気がなく、氏の話が、ピンとこなかった。
実は昨夜
村中貞次氏より来電あり、本日午前上野に着くとの事であったので、
村中は仙台に旅行中で不在だったから、小生が出迎へに行く事にしてゐたので、
病後の重いからだを振って上野へ自動車をとばした。
自動車の中でふと考へついたのは、
今朝の西田氏の言だ。
そして相澤中佐が決行なさるかも知れないぞとの連想をした。
さうすると急に何だか相沢さんがやりさうな気がして堪らなくなり、
上野で村中氏に会はなかったのを幸ひに、
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永田局長を乗せた救急車 陸軍省正門 陸軍省軍務局長室 ( 二階 )
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自動車を飛ばして陸軍省に行った。
来て見ると大変だ。
省前は自動車で一杯、
軍人があわただしく右往左往してゐる。
たしかに惨劇のあった事を物語るらしいすべての様子。
余の自動車は省前の道路でしばらく立往生になったので、
よくよく軍人の挙動を見る事が出来た。
往来の軍人が悉くあわててゐる。
どれもこれも平素の威張り散らす風、気、が今はどこへやら行ってしまってゐる。
余はつくづくと歎感した。
これが名にし負ふ日本の陸軍省か、
これが皇軍中央部将校連か、
今直ちに省内に二、三人の同志将校が突入したら 陸軍省は完全に占領出来るがなあ、
俺が一人で侵入しても相当のドロホウは出来るなあ、
情けない軍中央部だ、幕僚の先は見えた、軍閥の終えんだ、
今にして上下維新されずんば国家の前路を如何せん
と いふ普通の感慨を起すと共に、
ヨオッシ俺が軍閥を倒してやる、
既成軍部は軍閥だ、俺がたほしてやると云ふ決意に燃えた。
振ひ立つ様な感慨をおぼえて 直ちに瀬尾氏を訪ね、金三百円? を受領して帰途につく。
戸山学校の大蔵大尉を訪ねたのは十二時前であったが、
この日丁度、新教育総監渡辺錠太郎が学校に来てゐた。
正門で大尉に面会を求めると、そばに憲兵が居てウサンくささうにしてゐた。
これは後に聞いた話だが この時憲兵は、
余が渡辺を殺しに来たらしいと報告をしたとの事である。
陸軍の上下が此の如くあわてふためいてゐるのであるから、
面白いやら をかしいやらで物も云へぬ次第だった。