相澤は中央部廊下を通り 迷わずに軍務局長室の前に出た。
前に尋ねたからその勝手が分かっていたのである。
八月十二日、猛暑のことである。
局長室の入口のドアは開けられ、入口近くに簀すの衝立が立てられてあった。
内容は透かして見える。
相澤は入口近くにもってきたトランクを置き、商工マントもいっしょに置いた。
マントは凶行後、返り血をあびた軍服をかくす用意のためである。
彼は衝立の向こうに永田の姿が見えたので、
軍刀を抜き、無言のまま つかつかと衝立の右側から入った。
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局長室の永田は二人の将校と話しをしていた。
一人が新見英夫東京憲兵隊長で、一人が山田長三郎へ兵務課長であった。
新見は折から 村中、磯部の 「 粛軍に関する意見書 」 の 印刷物を永田に見せて報告中だった。
正面に坐って二人と話をしていた永田は、入口から軍刀を抜いて入ってきた相沢を見ると、
椅子からすっくと起ち上がった。
永田は難を避けるように二人の将校のほうへ寄った。
ところがその相澤に気付かなかったのかどうか、山田兵務課長はさっさと その部屋を出て行ってしまった。
つまり、相澤が抜刀した闖入したのと入れ違いに退室したのである。
当然にあとで大問題となった。
山田は上官の危機を見捨て卑怯にも逃げたと非難された。
のち山田は自刃する。
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軍刀を振るって永田に逼った相澤は椅子を跨いだのか、あるいは飛び越えたのか自分ではおぼえていないが、
その一撃を永田の右肩に加えた。
手ごたえがない。
切尖は軍服と皮膚の表面を浅く裂いたにすぎなかった。
横の新見憲兵隊長がこの危急を見て左側から相澤に抱きつこうとした。
新見大佐は小柄で非力である。
彼は相澤に体当たりし、咄嗟に左手を上げて無意識のうちに永田を庇ったために相澤の刃を受け、
左上膊に骨膜に達する深傷を負った。
新見は倒れ、意識を失った。
その間に永田は隣室の軍事課長室に逃げるつもりでドアのところまで来た。
ぴったりと閉まったドアを開けるには少しひまがかかる。
永田がその把手を握り、身体を扉にあてたとき、相澤は背後に近づいた。
相澤はドアにピッタリ身体をつけた永田を上から斬り下すことが出来ないので、
刀に左手を添えて背中から突き刺した。
これが永田の致命傷となった。
相澤も左手の指四本の根もとに骨まで達する傷を負うた。
剣道四段の相澤も夢中だったのだ。
永田はその場に倒れたが、なおも気丈に起ち上がった。
彼はよろよろしながら応接用のテーブル付近まで匍ったが、そこで力尽きて仰向けに倒れた。
相澤は切尖を倒れた永田の右こめかみのところに加え、
それから、武士の作法通り、とどめの一刀を咽喉に突き刺した。
この間、一分とはかかっていない。
相澤も声を発せず、永田も沈黙のままだった。
一瞬の無言劇で、両人の激しい息づかいが聞こえるようである。
武士の切傷場面を想わせる。
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このとき隣で 「 押さえよ、押さえよ 」 と 同様する声が聞こえた。
廊下では 「 相澤、相澤 」 と 叫ぶ声が聞こえたが、それは山田兵務課長のものらしかったので、
相澤は山田大佐はまだそこにいるのかと感じた。
しかし、永田にとどめを刺した相澤は刀を鞘に収め、左手の傷口を自分のハンカチで縛ったのち、
廊下に出てマントを着たときは誰もいなかった。
彼は右手にトランクを提げ、兇行のときにとばした自分の帽子にも気づかず、
悠々と山岡整備局長の部屋に行った。
松本清張 著
昭和史発掘 7 から