あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

菅波三郎 ・ 「 今日の事件は、お前がそそのかしてやらしたのだろう 」

2018年02月22日 22時17分25秒 | 菅波三郎

菅波三郎
5.15当日の菅波三郎中尉
菅波三郎が、
西田の遭難を知ったのは、十五日の午後八時頃であった。
二、三日前から郷里の父親が裁判のことで上京しており、
長兄一郎もカナダの駐在武官から帰国直後で、
菅波も上海から凱旋して復員業務を終わったところであった。
この日の夕方、三人は青山の下宿でおちあい、
父は前の聯隊長山下奉文の家に挨拶に行きたいという。
山下はこの年の四月陸軍軍事課長に栄転していた。
三人そろって山下のジタク行ったが、おり悪く不在であった。
夫人に挨拶して辞去しようとしたら、菅波に電話がかかってきた。
「 どうして僕がここに居るのがわかったか実に不思議だった。
歩一の栗原からで、
西田さんが血盟団の川崎に撃たれて重体だというのだ。
そりゃ大変だというので、
父や兄に別れて大急ぎでタクシーを拾い、西田さんの家に馳せつけた。
ところが、はからずもそのタクシーの中で今日の事件を知ったというわけだ 」
菅波は、運転手の口から今日の午後、
犬養首相が海軍の青年将校と陸軍士官候補生たちに襲撃されて重体だと聞かされる。

西田の家についたら、入院のため車に乗せる所であった。
菅波は居合せた栗原と共に聯隊に急いだ。
歩兵三聯隊では非常呼集があるかも知れないと思ったが、
平静であったので十時すぎ順天堂病院へ駈けつけた。
同志将校のほとんどは顔をそろえていた。
いろいろと討議の末、
陸軍大臣に会って吾等の要望を聞いてもらおうというので、
タクシーに分乗して陸相官邸に向った。
陸相官邸についたのはもう十一時をすぎていた。荒木陸相は不在であった。
「 俺が話を聞こう 」
と、参謀本部次長の眞崎甚三郎中将が顔を出した。
菅波たちは、
この事件を契機に国家革新の実現を強く推進していただきたい、
と熱誠こめて力説した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・挿入・・・

ここで断っておくが青年将校たちのいう国家革新とは、
党利党略にのみ狂奔する政党政治に猛省を促し、
窮乏の極に呻吟する一般国民を救済する一大革新政治の実現である。
真に国民一人一人に父母の仁愛を以て望まれる天皇政治の実現であり、
上下一体となって国利民福の実行をあげることである。
最近よく言われるように、軍部の独裁や侵略戦争の遂行では断じてない。
二・二六事件以後、
軍部の独走体制が確立し
無謀な大東亜戦争をひき起こして敗北したから、よく誤解されるが、
国家革新を叫ぶ青年将校たちは
一人として軍部独裁や侵略戦争などを主張してはいない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

眞崎は青年将校の持論をじっと聞いていたが、
「 わかった、君たちの気持を充分に大臣に伝えよう 」
と、約束してくれた。
会談は三十分あまりで終わった。
まもなく官邸の用人が
「 こちらへ来て戴きたい 」
と、菅波を大広間へ案内した。
途中廊下で小畑敏四郎大佐に出会った。
「 残念な事をしてくれたなあ 」
と 言って嘆いた。
菅波も同感の意を述べた。
・・・菅波三郎 ・ 懸河の熱弁

 永田鉄山
案内されて大広間に来ると、
省部の佐官連中が綺羅星のように並んでいる。
「 オッ、菅波こっちへ来い 」
永田大佐は広い大広間の片隅に、菅波を誘って対座した。
永田鉄山とはこれで二度目の対面である。
昨年の十月、安藤輝三が是非にと、菅波をさそって陸軍省の軍事課長室に鉄山を訪ねた。
安藤は永田に大変目をかけられていた。
菅波は永田と革新論について語りあったが、菅波は承服しなかった。
永田のくれた印刷物をみて
「 ハハア統制経済をやる考えだな 」
と、とっさに感じたと、語っている。
陸士、陸大とも優等で通して
「 鉄山の前に鉄山なく、鉄山の後に鉄山なし 」
と、もてはやされた秀才である。
「 秀才ではあったであろうが、肝っ玉の小さい人であった 」
と 菅波は評する。
その永田が、この夜は開口一番、
「 今日の事件は、お前がそそのかしてやらしたのだろう 」
と、菅波に鋭くつめよった。
「 自分も全く寝耳に水で驚いています。
上海から帰還以来、復員業務に忙殺されて、士官候補生たちに会う機会がなかったのです。
常日頃から自重するよう、やかましく訓戒してきましたが、今日起つとは夢にも思っておりませんでした 」
菅波は永田の両眼を見すえたまま静かな口調で答えた。
そこへ向うの席から好奇心をもったらしい東条英機大佐
( 当時、参謀本部の編制動員課長 ) が、ゆっくりと近づいてきた。
「 君はあっちへ行ってろ」
永田の一喝で、東条は苦笑しながらひき返した。
一期違いだけれど、東条は永田には頭があがらない。
一目も二目もおいていたといわれる。

三十分あまり対談したのち、菅波は大広間わ出ようとすると、
始終同席していた東京警備司令部の参謀、樋口季一郎中佐が寄ってきて、
「 お前たちの気持はよくわかっているよ 」
と、肩をたたいてくれた。
 樋口季一郎
樋口は菅波に同情的で理解者の一人であった。
大蔵や安藤たちは もう帰っており、
菅波はひとりタクシーをひろって北青山の下宿に帰った。

西田税 二・二六への軌跡 須山幸雄 著から