あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

五・一五事件 ・ 「 士官候補生を抑えろ 」

2018年02月16日 19時13分13秒 | 五・一五事件

  大蔵栄一 
 « 昭和34年--1959年 » 
--いまからちょうど二十七年前のことである。
昭和七年五月十五日
その日、午前九時頃、日曜日の眠りから醒めた私は ガバッと床を蹴った。
のんびりしておる時ではない。
今日 はなさねばならぬ、重大な仕事があったはずだ。
連日の気づかれて、疲れは十分抜け切っていない。
だが、私はソコソコに朝食をすまして、家を飛び出した。
どんよりと曇った五月の空は、私の気持のように重苦しい。
今日こそは、どんなことをしても士官候補生と連絡をつけて、
その動向をはっきり摑まなくてはならないのだ。
私は疲れた身体に鞭打って急いだ。

海軍と士官候補生の密約

これより先、
昭和七年三月二十三日の春季皇霊祭の佳日に、
麻布第三聯隊の安藤輝三大中の部屋で、陸海軍同志の秘密会合が、
海軍側からの要請で催された。
陸軍から相沢少佐、村中孝次中尉、香田清貞中尉、朝山小二郎中尉、安藤輝三中尉
それから私の六人の将校と、坂元士官候補生とが出席した。
海軍からは、古賀中尉が緊急な用事のため 欠席したので、中村中尉が一人でやって来た。
「 小沼、菱沼 等のあけた突破口を、この際速やかに拡大して、
一挙に革新を断行すべきである。
坐して機の到るを待つことは かえって彼等を犬死にさせるようなものだ。
時期は来ておる、最早一刻の猶予もゆるさぬ、
陸海の同志は決意を新たにして、敢然蹶起すべきである 」
と、中村中尉は、
海軍側の決意をほのめかしながら、陸軍側の蹶起をうながした。
陸軍側は 「 時期尚早 」 という理由で、その申し入れを一蹴した。
そのため、この秘密会合は簡単に終わった。
一同が雑談に移った頃、中村中尉は秘かに、坂元士官候補生を廊下につれ出して、
何やら相談していた。
私達はこの二人の行動について、別段気にもかけなかった。
その時以来、士官候補生らは私達との連絡をプッツリ絶ってしまった。
これまでは、日曜ごとにやって来て、溌溂たる談論を風発して、私達を辟易させていたのに、
それが一度に消えてなくなったように来なくなったことは、
陸軍側同志に一抹の淋しさを抱かしめると共に、少なからぬ不安を感じさせた。

四月のなかば、私は霞ケ浦の海軍航空隊に、古賀、中村の両中尉を訪ねて、
それとなく士官候補生との交渉の有無を探ってみたが、
彼等からは、何もそれらしい確証をつかむことは出来なかった。
私達の不安はだんだんつのって来た。
あるいは歩三の廊下での短時間の囁きが、海軍と士官候補生との間に、
ある密約を成立せしめたのではないか、とも想像を逞しうするようになった。
しかし、日曜日以外は外出の出来ない士官候補生りことだから、
霞ケ浦の海軍との連絡は、そう簡単にうまくとれるはずがない、そのうち、なんとかなるだろう、
と 一縷いちるの望みをつないでいた。
 朝山小二郎 中尉
四月もいよいよおしせまった頃、
下志津の砲兵学校に学生として派遣中の朝山中尉が、
「 池松武志の存在を忘れてはいけない。
彼がその連絡の任にあたっているかもしれん。楽観は禁物だ 」
と、言い出した。
池松は、朝山中尉と同聯隊の後輩だ。
最近ある事件をおこして、士官学校を退校させられたばかりだ。
池松なら、十分連絡の任務がはたせるに違いない。
このことに思い到った時、私達は愕然とした。
生一本で純情な士官候補生のことだ。
私ら陸軍側の 「 時期尚早論 」 にあきたらず、
海軍側の 「 窮新論 」に引きずられたに違いない。
もし、そうだとしたら是が非でも、
彼等を海軍側から、速やかに引きはなさねばならない。
そこで、朝山中尉が必死になって、池松を追い廻したが、なかなかつかまらない。
焦燥感は私達同志を完全に支配した。
昨十四日も、朝山中尉が何回となく、青山の表参道の近くにある池松の下宿を訪ねたが、
いつも不在だ。
「 ヨシ、こうなったら仕方がない。
明日は朝早くから彼の寝込みを襲って、必ずつかまえてやるぞ 」
と言う、
朝山中尉のなみなみならぬ決意に信頼して、私達は、昨夜遅く家路をたどったのである。

 菅波三郎
菅波中尉に会え

私が、代々木山谷の西田税の家についた時には、
菅波三郎中尉、村中孝次中尉がすでに来ていた。
この西田の家は、当時青年将校の連絡に、あるいは会合によく利用されたもので、
あたかも梁山泊のごとき観すら呈していた。          ( ・・・梁山泊・・・有志の巣窟 / 集りし處 )
菅波中尉は本年初頭 ( 昭和七年 ) 栗原安秀中尉らと共に、
第一次上海事変に出征して、三、四ヶ月の間、東京を留守にしていたのだったが、
つい最近凱旋して帰郷したばかりだ。
私達は、雑談を交しながら、朝山中尉からの連絡を首を長くして待った。
雨模様であった空がうすれて、弱弱しい微光が庭樹を照らした。
新緑の若葉が目に清々しい。
「 ヤア、すまんすまん、大分遅れちゃった。池松の奴、てこずらせやがる 」
朝山中尉が、アタフタと駆け込んで来て、坐りこみながら額の汗を拭いた。
「 予定通り、朝早く寝込みを襲ったんだ。
 ところが、池松の奴、ゆうべも帰っていないんだ。
オレは、あきらめかけて、下宿屋の前の喫茶店に陣取って、気ながく見張ったんだ 」
と、言いながら 朝山中尉は煙草に火をつけた。
「 随分長いこと待ったんだが、なかなか帰って来ないんだ。
 いらいらしてくるし、今日もまた駄目かとあきらめて、立ちかかった途端に、
池松の奴 ノコノコ帰って来たんだ。
そこで、一緒に下宿に上り込んで、とつくり話し合った。
しかし、頑強に構えて、なかなか口を割ろうとせんのだ。
怪しいふしは沢山あるがね 」
「・・・・・・」
「 一筋縄じゃ駄目だ。オレの手にはおえんと思ったから
『 オイ、池松ッ、今日は是が非でも、ほかの候補生と一緒に、菅波中尉にあえよ、
 菅波も久し振りに是非会いたいと言っていたぞ 』
と、半分命令的に頼みこんだんだ 」
その頃、菅波中尉に対する士官候補生の尊敬は絶大で、あたかも、松下村塾における、
吉田松陰 対 高杉晋作、久坂玄端 等のそれのような観すら呈していた。
「 午後二時だ。 何回も念を押して確約したんだ。必ず訪れるからね。・・・・
 オイ、菅波、しっかり頼んだぞ 」
「 ヨシ、判った 」
菅波は、荘重にのみこんだ。
一瞬、彼の眉間に自信のひらめきが走った。

敵中した奇想天外の判断

私と朝山中尉と、西田の寓居を辞して、
菅波中尉の下宿を青山六丁目に訪れたのは、午後四時過ぎであった。
菅波中尉は、在宅して私達の訪問を待っていた。
綺麗好みの菅波の部屋は、よく整頓されていて気持ちがいい。
机の上の一輪ざしが、午後のうす日をうけて暖かそうだった。
「 士官候補生は来たか 」
私は、着座の前、緊急の一問を発した。
「 ウム、来た。三人だ 」
「 誰と誰だ 」
朝山中尉は坐りながら、ホットした気持ちで訊ねた。
「 池松と菅と野村だ 」 ・・註、この記憶は確かでない
菅波中尉は、話をまとめるような恰好で、窓の外に眼を移した。
「 結論から言おう。彼等は明十六日、金丸ケ原に現地戦術のため、野営出発だ。
二週間後に、帰ってから、あるいは決行するかもしれん。
いや、必ず決行すると思う。
だが、ざんねんながらその時期は今のところ不明だ 」
「 海軍とは、やはり連絡をとっていたんだね 」
朝山中尉が尋ねた。
「 その通りだ。池松が想像通り連絡係だ。朝山の言う通り なかなか口が堅いんだ。
 そこで、オレは机の抽き出しから、拳銃を出して 『 どうだ、これはいらんか 』 と、やったんだ。
そうしたら、彼等期せずしてだね 『 ハッ、下さい 』 と、一緒に手を出すじゃないか。
オレは、しめたと思ったので、ことさら平気をよそおいながら、
『 時期と交換しよう  』 と、言ったら
『 ハハ・・・・・その手にはのりませんよ 』 と、涼しい顔をして手をひっこめちゃった。
そうして、間もなく 『 会う人がありますから 』 と、言って
早々に引き上げて帰って行った 」
「 ・・・・・・」
私は、無言のまま考えこんだ。
「 会う人があると言って早々に帰ったんだなァ・・・・臭うなァ・・・・
まさか今日、決行するんじゃないだろうな・・・・」
朝山中尉は、奇想天外のことを言い出して、自分で自分の言葉にびっくりした格好だ。
「 今日は絶対にやらんな。野営から帰って来てからだよ 」
菅波中尉は、強く否定しながら、
「 そこで、オレは思うんだ 」
と、いつもの癖である、口をへの字にまげて話を続けた。
「 彼等が、現地戦術の出張から帰って来るまで、二週間ある。
その間に十分準備を整えておいて、万一のために、遺漏のないように期せねばならぬ 」
「 ようし、オレはこれから早速 憲兵司令官を訪問して、彼の腹をたしかめて来る 」
私は、起ち上った。
だが、菅波中尉と士官候補生との対談時における、彼等の淡々たる態度によって、
今までの私の張りつめたる気持ちは、何となしにゆるんでいた。
当時の憲兵司令官は秦真次中将である。
去る三月十一日、私の自宅で、古内栄司が逮捕された時、中央は警視庁と再三交渉して
« 現役軍人の自宅から、古内を逮捕したことを発表せず »
という方針を決定した。
従って、犯人隠匿罪で検挙されることをまぬかれていた。
以来、秦中将と私との親密の度は深さをましていた。

・・・リンク
・ 五・一五事件と士官候補生 (一)
五・一五事件と士官候補生 (二)

犬養首相暗殺の号外

朝山中尉と二人で、青山の電車通りに出た時は、もう五月の太陽は大分傾いて、
黄昏のうすあかりが、レールの上から、しのび去ろうとしていた。
「 腹がへったなア 」
「 鰻丼でも喰うか 」
手近な食堂に入って、私達は簡単に晩飯をすました。
わたしが、食後の煙草を一ぷく深々と吸い込んだ時、電車の響きを縫って、
号外の鈴音が、けたたましく飛び込んで来た。
「 号外だ、何だろう ? 」
と、朝山中尉は首をかしげた。
しかし帝都をひっくり返すような大事件、
いわゆる 五 ・一五事件が、勃発しておるとは夢想だにしなかった。
食堂を出た私達は、
世の中が大事件によって、呼びさまされた緊張とは別に軽い緊張を覚えながら、円タクを拾った。
「 九段の牛ケ淵に行ってくれ 」
自動車は、静かに走り出した。
「 ダンナ、大変な事が起きましたね 」
車が走り出すと同時に、運転手が、話しかけて来た。
「 大変なことって何だい 」
「 犬養首相が暗殺されたんですよ、ダンナ方、御存知ないんですか 」
運転手は得意そうに言って、
首相暗殺という大事件に、一国民として無関心でいられぬという態度を示した。
「 何っ ! 」
私達は、鉄砲で頭を殴られた思いがした。
「 犬養首相が、誰にやられたんだ 」
私は、身体をのり出した。
「 馬鹿なことを言え、そんなことがあり得るもんか 」
私は、つい今しがた、菅波中尉と交わした談話を反芻はんすうしながら否定した。
「 そんなこと言ったって、ダンナ、わたしゃこの目で、今四谷見附の電柱にはってあった号外を、
 確かに見て来たんですから間違いっこありませんや 」
運転手は、私の否定に対して、喰ってかかって来た。
「 しまった ! やつぱり士官候補生の連中に一杯喰わされたんだ。 残念だなア 」
朝山中尉は、あるいは今日 ?  という先刻の奇想天外の判断が、不幸にも的中したことを、
しきりに口惜しがったが、今は時すでに遅しだ。
「 オイ、運転手、号外のあるところに車を走らせてくれ 」
電柱にはってある号外は、疑いもなく、大事件を報じている。
私の眼は、一字々々に喰いいっていた。
運転手は、私達の驚愕の余りに激しかったのに、むしろびっくりして、ハンドルを握りしめた。
車はうす暗い初夏の闇の中を、
血の気のうせた二つの肉塊をゆさぶりながら、九段下に向って疾駆した。

想像を絶した西田の射殺

「 誰かっ 」
憲兵司令官の官舎に、夢中で飛び込んだ私達は、警戒中の憲兵に誰何すいかされて面食らった。
「 憲兵司令官に面会だ 」
私は、無茶苦茶にどなった。
「 一体、アナタ方は何者ですか 」
憲兵は、私達の異様な風体と態度とを うさん臭そうに、
上から下まで、なめるように見廻して、
油断なく身構えている。

気がついてみると、私達は今朝、家を飛び出した時の服装のままで、着流しの和服姿だ。
憲兵が、油断なくかまえるのも、無理からぬことだ。
「 戸山学校教官大蔵中尉と砲兵学校学生の朝山中尉だ。秦司令官閣下に緊急面会したいんだ 」
私は、漸く落ち着きをとり戻して、慇懃に来意を通じた。
「 本日は、司令官閣下は、どなたとも面会謝絶です 」
「 とにかく、来意だけ通じてくれ。閣下は必ず会われるはずだ 」
私は、面会したい一心から、しつこく喰い下がった。
官邸は、さぞごったかえしておるであろうと想像していたのに、
海の底のように沈んでいて、
人の子一人通らないのみか、物音一つしない。

「 残念ですが、閣下は只今閣議の方にお出でになっていて不在です 」
半分喧嘩腰で、交渉を繰返したが、遂に目的を達せず、空しく引き返した。
不安と焦燥とにかられながら、全く情況不明のまま、
とりあえず、菅波中尉の下宿に急ぐべく、
再び円タクを拾った。

車は走りに走った。
しかし、菅波中尉は、すでに行く先を告げず、軍服を着込んで、どこかに飛びだした後たった。
部屋にはいってみると、拳銃の弾丸が、座敷一杯にばらまかれている。
軍刀もない。
武装して行ったに違いない。
しかも余程あわてて飛びだしたらしい。
「 困った奴だ。なんぼなんでもこの態ざまではなァ 」
つぶやきながら朝山中尉、ちらばっていた弾丸をかき集め出した。
直ちに引き返して、次の行動に移らんとした私は
<オイ、朝山。そんなものは、ほっとらかして早く行こう > と、うながそうとしたが
朝山中尉の落ち着きはらった周到な態度に、いささかたじろいだ。
<お前は、あわてん坊だぞ、それでいいのか、もっと落ち着け> と、自分で自分を叱りながら、
朝山中尉と一緒に集めた弾丸を押しいれ仕舞い込んで部屋を出た。
三たび、車を拾って、私達は代々木山谷に駆けつけた。
西田税の家に通ずる路地をはいっていけば、
そこには全く想像もつかぬ陰惨な空気がただよっているではないか。
塀のまわりには野次馬で黒山だ。
二階の書斎の障子は破れて、廊下のてすりに倒れかかっている。
百燭光の電灯の光が、庭の繁みを空しく照らしているのも気にかかる。
「 何事が起こったんですか 」
私は、野次馬の一人に尋ねた。
「 ここの御主人が兇漢に拳銃で射たれたんですよ。
いつもは、書生さんが沢山いたんですが、今日に限って、誰もいなかったんですから 」
「 やった奴は誰ですか 」
「 それが、まだ誰だかわからんようです 」
私と朝山中尉は、合点のいかぬ小首をかしげた
< 西田が射殺された。ハテ、誰にだろう >
私は、独り自問自答してみた。
だが全く五里霧中で、それは、およそ想像を絶することなのだ。
朝山中尉の瞳の奥にも、疑問の光が底びかっている。
私達は、辛うじて門まで近づいた。警官が厳然と佇んでいて、一切寄せつけない。
家の中では、警察の調査がはじまっているらしい。
在京部隊は、非常呼集が実施されておるにちがいない。
その上、西田がこの有様では同志との連絡は完全に絶たれてしまった。
海軍の連中や士官候補生らは決行後どうしたろうか、
決行の範囲はどの程度に及んでいるだろうか、
陸軍の同志達はどこで、どうしているだろうか、
犬養首相の暗殺と西田税の遭難とは、果して関係があるだろうか、
西田の生死はどうだろうか。
私の脳裡にはいろいろな考えが、走馬灯のごとく去来した。

以降  五・一五事件 ・ 西田税 撃たれる 
同志の裏切りに斃れる に 続く