あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

安藤大尉、『 昭和維新 』を幹部候補生に訓示す

2018年02月25日 04時55分20秒 | 安藤輝三

 
安藤輝三
大尉

昭和7年5月15日
五 ・ 一五事件

5月17日
安藤中尉幹部候補生たちに昭和維新に関する考え方を話す。
「 諸君は、既に新聞やラヂオで、一昨日の事件に関して知っていることと思う。
実はこのことは前もって予測されていたことであった。
我々にも参加を求められていたのだ。
しかし、私は時期尚早であり、陸軍関係同志の結束が出来ていないという理由で、
参加を拒否すると同時に、暴発を阻止するために出来るだけの説得を行った。
それも空しく、海軍の一部 中 ・ 少尉が蹶起し、在学中の士官候補生五名までが、
学校を飛び出して暴走してしまった。まことに残念で堪らない。
今日は、今回の事件に関連して、自分の考えを話しておきたいと思う。
その前に、昭和維新の尊い人柱になられた犬養首相の霊に対して黙禱を捧げたい。
首相は腐敗堕落した政党政治家の中にあって、数少ない清貧気骨の士であったことだけは、
知っておいて欲しい 」

「 諸君も知っての通り、日本経済は大正末期から慢性的な不況に喘あえいでいる。
そこへ、昭和二年三月に突如として金融大恐慌が起きた。
全国の各銀行は、預金者による取付騒ぎで大混乱を呈した。
中でも台湾銀行、十五銀行を始め 十指に余る銀行が閉鎖された。
その結果、有名な鈴木商店や川崎造船所を筆頭に、大小の企業が軒並みに倒産した。
そして、日本の産業機構は潰滅的な打撃を蒙り、国民生活を奈落の底に陥しいれた。
これは日本の経済史上未曾有の大事件であり、国民は顔色を失って不安におののいた。
少年時代だった諸君も、強烈な印象を残しているであろう。
しかも天は、さらに容赦なく過酷な試練を国民に与えた。
それは、全国的な農村地帯の旱魃 かんばつ であり、冷害であった。
中でも東北地方と関東北部における被害は甚大で、その惨状は目を覆うものがあった。
それは五年後の今もまだ深刻に尾を曳いているのだ。
諸君のほとんどが、農村漁村の出身であり、その大半は小作農の子弟であるので、
今さら具体的な説明は不必要であろう。
諸君は、自分の意志と親の諒解に基づいて、今後長く陸軍の俸禄を食むことを決意した。
然し、君等の所属する中隊の戦友で少なからぬものの家庭が、
掛けがえのない働き手を国にとられて、困り果てているのだ。
そして、その戦友たちは月々支給される僅かな手当のほとんどを、家への送金にまわしている。
それでも足らずに、若い姉や妹たちが、次々と遊里に身を売られて行く現状である。
それなのに、権力の座にある政治家、役人、高級軍人たちの大半は、
敢てその現実から目をそらし、自己の私利私欲のみに走って、
庶民の窮状を拱手傍観している有様だ。
果してこんなことで良いのか。
良識ある国民が、この状況に胸を痛め、情勢の抜本的転換を希求するのは当然である。
すなわち、庶民の大半が昭和維新の断行を、ひそかに望んでいると言ってよい。
去年の九月に、関東軍が満洲事変を起したのも、国民の憤懣の爆発がこれを導いたと言って差し支えない。
また、これと軌を一にして、
国内では血盟団による一人一殺のテロ行動をはじめ、各種の警世革新の事件が起きた。
それが、一昨日の一部軍人たちによる襲撃事件につながったのだ。
五月十五日の事件は、政党政治に対する強烈な警鐘であり、
昭和維新に対する引き鉄 がね になったことは言うまでも無い。
しかしその実態は、少数決死の遊撃隊員が敵本陣に奇襲をかけて、
敵の大将の寝首を掻いただけで、全体的な効果はさして大きくない。
ただし、敵陣営を畏怖させ、味方の志気を鼓舞した点では、心理的成功と言って差し支えないだろう。
彼らは、昭和維新の前衛であって、本体ではない。
本隊であり、主力決戦を行うのは、我々陸軍を中心とした同志だと確信している。
しかし、我々の準備はまだ出来ていないし、時機も熟していない。
我々が蹶起するときは、成算が完全に樹った時機である。
そして、やる以上は、是が非でも昭和維新を完遂させねばならんのだ。
しかも、出来るかぎり血を流さずに成功させる方法を、真剣に考えなければならぬ。
その時機は、数年を待たずして必ず到来するだろう。
その時こそ決戦であり、日本中がひっくりかえることになるだろう。
今回は、残念ながら修行中の士官候補生たちが、陸軍を飛び出して官軍革新陣営の傘下で行動した。
生徒の身分として、まことに早まったことをしてくれた。
これは我々先輩に大きな責任があり、痛切に反省しているところだ。
そして、諸君もまた勉学修業の途上にある。
教導学校を卒業するまでは、絶対に軽挙妄動してはならない。
君らの中には、血の気の多いものが少なくないが、くれぐれも自重して欲しい。
諸君が下士官として任官したのち、私がみずから納得して蹶起する時に、参加するか否かは自由である。
その時は、その時で十分に話し合おう。
ただ、私は、昭和維新が青年将校だけで遂行できるとは思っていない。
軍の重石 おもし である下士官が主体となって動かないと、絶対成功しないと思っている。
こういう話は、課外時間に自由な立場で話し合うべき問題だ。
さあ、肝心の勉学訓練をおざなりにしては天罰を受けるぞ・・・・。
事件関係の話はこれまで 」