菅波三郎
・・・いろいろ討議の結果、
午後十一時頃西田の手術の結果をみまもるいとまもなく、
後ろ髪をひかれる思いで、
菅波、村中、朝山、栗原の各中尉及び私の五人は、
自動車を飛ばして陸相官邸に乗りつけた。
眞崎甚三郎 小畑敏四郎
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荒木陸相は、閣議に出席して不在。
眞崎中将がかわって面接した。
約三十分にわたって開陳した、私達の意見に対して、
眞崎は善処する決心を披瀝しつつ、私達に十分自重するよう要望した。
終わって私達は、奥の一室に導かれた。
そこには、小畑敏四郎少将と黒木親慶とが待っていた。
黒木は、小畑少将とは同期生の間柄でかつてシベリヤ出兵に際して、
少佐参謀として従軍し、白系ロシアのセミョーノフ将軍を援けて軍職を退き、
今日に至っておる。
その縦横の奇略と底知れぬ放胆さは、当時日本の一逸材で、
陸軍大学校幹事の職にある小畑少将と共に、
荒木陸相の懐刀的存在であった。
「今夜の事件は残念至極だ。
もっといい方法で、革新の実を挙げるよう、
政友会の森恪らと共に着々準備を進めていたんだ。
すべては水泡に帰した」
と、小畑少将はいかにも残念そうだ。
閣下、今時そんなことを言っておる時期ではありません。
この事態に直面して、いかにしたならば、この日本を救うことが出来るか、
と言うことに、軍は全能力を傾注すべきでありますぞ
菅波中尉は、
滔々と懸河の熱弁を振るった。
今夜の衝撃によって、軍は腰砕けになってはいけない。
もし軍の腰が砕けて、一歩でも 後退するようなことがあれば、
それは日本の屋台骨に救い難い大きなキズが出来るのみだ。
そのキズが出来た時、
ソ満国境をロシアが窺わないと、誰が保証することが出来るか。
自重すると言う美名にかくれて躊躇することはいけない。
この際自重することは停滞することだ。
停滞は後退と同列だ。
軍はただ前進あるのみ、
前進してすでに投げられた捨て石の戦果を拡大する一手あるのみ
私達は繰り返し主張した。
いろいろ意見を交わし、
議論を闘わせつつ、まだ結論を出せず到らず、
これからだという時、
各部隊長から呼び戻しの命令が来て、
残念ながら私達はそれぞれ部隊長の許に引致された。
時に午前四時を少し過ぎていた。・・・
大蔵栄一 著
五・一五事件 西田税暗殺未遂の真相 より