あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

獄中手記 (3) 磯部菱誌 七月廿五日 「 天皇陛下は青年将校を殺せと仰せられたりや 」

2017年07月18日 11時53分47秒 | 磯部淺一 ・ 獄中手記


磯部浅一 
磯部菱誌

七月廿五日
赤誠純忠之十五士が射たれて二週目になつた
余は一日も早く十五同志の後を追はんと願っておるが
未だなかなかに刑せられそうにない
日々断腸の思ひがする
牢獄の夏は残酷である
玆数日の酷熱は恐らく死刑よりも苦痛であらふ

一、
Ⓐ  余は先日より起床後一時間 午前中一時間半 午後一時間半 夜一時間 その他
 暇ある毎に 法ケ経
一念一信に読経するは同志の志、余の志を一日も早く貫徹せんと思ふからだ
二、
余は断じて後世ゴセの安穏をいのらない
一信一念に維新を祈るのだ
余の祈りは神様から見ると少しく無理であるかもしれない
それは
「 神國をうがゝふ悪魔退散 君側の奸拂ひ給へ
牧ノ、西寺、湯浅、鈴貫、寺内、梅津、磯貝、外軍部幕僚、裁判長石本寅三裁判官一同、
検察官豫審官等を討たせ給へ
彼等の首を見る迄は一寸も退き申さぬぞ
日本の神々は正義を守る可きに何と云ふ事だ
正義を守らず 正義の士を虐殺し却つて不義を
助けるとは何たるざまぞ
菱海の云ふことをきかぬならば 必ず罰があたり申すぞ
神様ともあらふものが菱海に罰をあてられたらいゝつらのかわで御座らふ、
一時も早く菱海の申条を
きゝとどけ國奸、君側の姦等の首を見せ給へ
若しそれが出来ぬなら 相澤三郎 野中四郎殿等
十八志士の首をかへして呉れ 」
と云ふ稀代なる祈りをしてゐるのだ。
尋常人には余の祈りはおかしいだらふ、然し余は真剣なのだ
祈の最中に涙が両眼からタラタラと落ちる、
無念でたまらぬから声をはげまして神々を叱りとばしてゐるのだ。
日本國の神々ともあらふものが 此の如き余の切烈なる祈りをきゝもしないで何処へ避暑に行くつたか
どこで酒色におぼれて御座るのか一向に霊験が見えぬ
≪ 今や日本は危機だ
 日本ノ國土、人民が危機だと云ふのみでは余の云ふ日本の危機とは日本の
正義の事だ
神州天地正大の気が危キに瀕してゐると云ふのだ
日本の天地から神州の正気
が去つたら日本は亡びるのだ  神神は何をしてゐるのだ ≫・・・欄外記入
余は神様などにたのんで見た所でなかなか云ふことをきいて下さりそうにもないから
自分が神様になつて所信を貫くことにした、必ず所信を貫いてみせる、
死ぬるものか  殺されるものか、十八士を虐殺したる奴輩の首は必ずとつてみせる
Ⓑ  眞崎、荒木、阿部、川島、香椎、戒厳参謀長(安井藤治少将) 山下 古莊(幹部陸軍次官)、
 
堀 小藤 村上
 鈴木 馬奈木 西村 橋本(虎之助近衛師団長)等 十五名を告発したる理由の補足
一、余は軍首脳部のする所の義軍事件の処置を次の如く情況判断し対策を考へた
「 首脳部は少数将校の嚴刑主義をとるだらふ
之に対するに余等は首脳部の裏をかき 成る可く多数の関係者をワザと引き合ひに出して
軍首脳部をして手も足もつけられない様に事件を拡大したらいゝだらふ
又特に十月、三月事件等を全部テキ発すれば軍首脳部はその原則たる少数将校の嚴刑主義を
破られて仕方なく 維新大詔喚発 大赦奏請と云ふ方針によつて義軍事件に結末をつけるだらふ 」
右の如き余の状況判断は的中した
首脳部は先づ兵、下士官の寛刑をしようとして三、四、月頃から
豫審官 検察官をして吾々将校を誘導訊問にかけ兵、下士に罪のなき様に陳述させた、
余はコレはこまつたと思ひ  安ド 栗原に注意して
「 公判に於ては兵、下士も同罪なることを主張せねばいけない
此の際涙は禁物だ
ウカウカ涙を出していると幕僚のワナにかかるぞ
千四百名の将兵共に刑せらるる可く主張したら必ず勝てるから左様しよう 」
と云ふことを相談した
一方余は眞崎等十五名の半同志的理解者を涙をふるつて告発するの挙に出ようと考へた、
兵、下士千四百を刑し
眞、川、香椎等の軍上層部も同罪なりと云ふことになれば吾々は必ず勝てると考へた
眞崎以下十五名がヒキョウな態度をとらずに大臣告示、
戒嚴令等に関して
吾人に有利なる態度を勇敢にとつて呉れればいいが
然らざ時は吾々は非常に不利になるから
どうしても十五名をトリコにして刑ム所へ入れておかないと軍部は策謀陰謀の府だから
どこから如何なる手がまわつて彼等十五名がにげをはり吾人に不利なる態度をとるかもしれないと
心配したので告発の決心をした、一時十五名を入所させてもそれは決して悪ではない
千四百が國賊の名をとられる(ぬ)為 そして多数同志将校を救う為には余が心を鬼にして、
極悪人となつて十五先輩を入所そせる方法をとるより外に道がないのだつた。
所が十五先輩の入所前に、
しかも兵の大多数はつみを許されて渡満してしまつた後に
吾々だけきりハナサレて公判になつた
且つ公判になつておどろいた
十五先輩は云ふに云はれぬヒキョウな態度で皆尻に帆かけてにげのびて却って
吾吾の悪口を云ってゐる、
下士、兵はどんどんと転向させられてしまつてゐる、
余の策戦は全く目茶々々にやぶられてしまつてゐるのだ
そこで余は考へた  コレハボヤボヤしてゐると一たまりもなくやられるぞ
成る可く早く眞崎一人でも入所させて吾人等の先頭にたてゝ戦をせねばいけないぞと
余の云ふ戦とは、眞崎を先頭にたゝて、告示、戒厳令に関する事をたてにとり、
 告示、戒嚴令等をウヤムヤにして
吾等を彈圧せんとする軍内勢力との戰の事だ
それが為に余は眞崎、川島、香椎の入所を待つたがとうとう入所せず
却って十五同志が先に殺されてしまつた
余は眞崎、川島、香椎が入所して苦しまぎれに大臣告示と戒厳令はウソではない
インチキ物ではない
青年将校の行動を認めたのだ
と云はざるを得ない様に戰闘指導をして行つて 
吾人を弾圧せんとする勢力と合法的一大決戦を
なし 之によつて維新に進入せんとしたのだ
大体右の如き理由であるから眞崎、以下十五先輩に必ずしも悪意あるものではない
以上の理由が告発の最大なる理由だ
既述せる軍閥の交争を策するの意もたしかにあるが
 これは純呼たる革命的な意味から見たもので
あって必ずしも告発の最大理由とは云へぬ
今になつてこうへると眞崎は気の毒だ、軍内の反眞崎派は手を打ってよろこんでゐるだらふ、
余はそれがシャクにさわる
軍閥の態度がシャクにさわるのだ
余は維新を考へて眞崎等を涙をのんで告発した
然るに軍閥は維新と云ふことは少しも考へないで反眞崎なるが故によろこぶのだ
余の心とは天地の開きがある
C、
天皇陛下は青年将校を殺せと仰せられたりや  
嗚呼
秩父宮殿下は青年将校は自決するが可
最後を美しくせよと仰せられたりや
嗚呼
天下一人も吾人の志を知るものなく
吾人のいのちを尊重し且つ救助せんとしたるもののなかりしや
陛下に死諫する忠臣出でて吾人の忠義を上奏するの士はなかりしや
六十になつても七十になつても命のおしい将軍ばかりか川島腹を切らざるや
嗚呼
青年将校の精神は可なるも
行動はわるし 刑せずてはかなふまじと云ふのは荒木、眞崎も然りき、満井佐吉すら然りき、
吾人に同情し吾人に理解ある士が
最初に於て精神はよきも行動を全部認めてはいかん
一応は刑を受く可きだなど称して
一歩 否一分を譲歩したる為に今や精神もわるし行動もわるし
全部認める事は出来ずと云ふことになり千歩万里の譲歩となれり
「 絶對に我が國體に容れざる 」
と云ふ判決文を
國體不理解者 反國體者 天皇機関説的國體観信奉者等によりて奉られたる吾等は
日本人として不幸の最大なるものならずや
吾人は今や完全なる反乱者となれり國賊なれり
その初め
精神を認められ行動をも認められたる國家の尊皇義軍が
一分の譲歩否一厘の譲歩をしたる為に
遂ひに百歩千歩の敗退を見、忠臣より國賊に義軍より反徒にテン落したり
吾人に同情し吾人に理解あるの士が一分の否一厘の後押しをして呉れたら
國家は昭和十一年に國賊反徒を出さざりしものを

D、國法は無力なり  權力者の前には無力なり
吾人が最後にたのみのつなとしたる軍司法權による公正なる裁判も
あたら軍幕僚の高等政策彼等が
生きん為めのヒ密政策の爲めに
蹂リンしつくされて吾人等は十五の首をさらされたり、
今や國民は明かに知る可し
「 權力者の前には國法は無力なり、
庶民階級が権力者特權階級に向って正義を争ふ戰場は法廷には
あらざることを知れ 」
全日本の窮乏國民は一致して特權者を討て討幕を断行せよ
然れどもその戰場を法廷にもとむるなかれ
その武器を合法的弁論に求むるなかれ、
戰場は何処に
武器は如何にと云うことを思慮してあやまるなかれ、
余は云はん
全日本の窮乏國民は神に祈れ而して自ら神たれ
神となりて天命をうけよ
天命を奉じて暴動と化せ、武器は暴動なり殺人なり放火なり
戰場は金殿玉ロウの立ちならぶ特権者の住宅地なり
愛國的大日本國民は天命を奉じて道徳的大逆殺を敢行せよ
然らずんば日本は遂ひに救はれざるべし
國民よ
無力なる國法を重じ國權に從ひて何時迄いん忍する者ぞ
いん忍は正義者の道なりや否や、余は斷じて云ふ
いん忍して無法、暴慢なる國法國權に屈従するは神州正義人のなすべき所にあらず
神州神人は暴慢なる國法と國權と人と物とを討ち滅し焼きつくす爲めの天祖の使徒ならずや
何ぞいん忍ひ屈怯懦なる
愛國、忠誠、自主自覚國民は直ちに暴動の武器を以て權力者を討滅  決壊せよ
これは忠義の最高道なり。

E、第三者の妄評を打つ、
二月事件は計畫ズサン也、実施の方法不可なり等妄評をする無礼千万者がいる
余は次の一言を以て無礼者に答へておく、
汝等シカク良好なる計畫ありしならば 何故に吾人の蹶起する以前に於て斷然決行せざりや と
又 曰く
事を過るは一、二、急進者の為なりと
汝等がそれ程急進者の事を過るを熟知しありしならば何故に決死自重を唱へざるや、
多くの汝等は急進派にも自重派にもあらざる最もインジユン怯ダなる
ホラガ峠の腰抜武士にあらずや  と

F、愛國團体は軍部を打つ事を忘れるべからず
軍部を打たざる右翼國体は右翼團体なりと雖も愛國團体にはあらず
愛國團体にして軍部を攻撃せざる團体は或は愛國ならんも維新團体にはあらず
余はつとに云へり
軍部は左幕勢力の最後の鞏固なる敵なりと、この哲理を解せず維新を云ふべからず
既成軍部は軍閥なり 軍閥なり
軍閥以外の何物にもあらず
軍閥を打たずして維新ありや
二十万の現役軍隊は断じて皇軍にあらず
數万の将校は断じて皇軍にあらず
いはんや数千の中央部軍人は断じて皇軍にあらず
彼等は皆軍閥なり軍閥の亜流なり
末流なり
支流なり
軍閥を討倒せざる維新はなし、
此の書が成る可く早く極秘裏に同志の手から手に渡りゆく事を切願する
大岸(頼好)、菅波(三郎)、山田洋(静岡) 村松憲兵(名古屋) 野北佑常 小川三郎、江藤五郎 明石寛二 市川(芳男)
松平(紹光) 柴(有時) 若松満則 竹中英雄 後藤四郎等
小笠原長生閣下 末次(信正)閣下、荒木閣下 本庄(繁)閣下 眞崎勝次閣下 小畑敏四郎閣下、柳川(平助)閣下

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