あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

獄中手記 (二) ・ 北、西田両氏を助けてあげて下さい

2017年07月16日 11時40分48秒 | 磯部淺一 ・ 獄中手記


磯部浅一 
獄中手記(二)


極秘 ( 用心に用心して下さい )
千駄ヶ谷の奥さん(西田税夫人)から、北昤吉先生、サツマ(薩摩雄次)先生、
岩田富美夫先生の御目に入る様にして下さい。
万々一、ばれた時には
不明の人が留守中に部屋に入れてゐたと云って云ひのがれるのだよ
(読後焼却)

北、西田両氏を助けてあげて下さい

決してアキラメてはなりません、
私は、神仏冥々の加護が北、西田両氏の上に炳あきらかとしてかかってゐることを確信して居ります。
両氏を見殺しにする様な日本國でも神々でもないと信ずるのです。
この確信のもとに、いささかの意見を陳べます。
これを参考として、
皆様の御交際方面の國士有士を總動員して、
御活動の上、両氏を御助け下さることを祈ります。
イ、
北、西田両氏は二月事件には直接の関係はちつともありません。
この事は青年将校一同も、その予審及び公判に於て極力主張しましたので、
殆んど全部の法務官が之を認めてゐるのです。
一部の法務官は北、西田の立場は最も同情すべき立場だと云って、
少なからぬ同情をさへしてゐたのです。
然るに両氏に死刑を求刑する様な事になつたのは、
軍の幕僚どもが権力のかげにかくれて、どさくさまぎれて殺してしまえと行って、横車を押してゐるからです。
或る法務官は私に、北、西田が事件に直接の関係のない事は明かだが、
軍は既定の方針にしたがって両氏を殺すのだと云ふ意をもらしました。
まるで無茶です。
神聖公平なる可き陛下の裁判権を軍がサン奪して、
軍の独断独裁によつて陛下の赤子を無実のつみで殺してしまふのです。

こんなわけですから、
何とかしてこの軍の横暴を公表バク露して、天下の正義に訴へて、
北、西田両氏を救ふ方法をとつていただきたいのです。
軍の横暴をバク露することは、今の軍部の最もいたみとする所です。
ロ、
右の言論戦と同時に、隠密に、或は公然にする所の政治的工作によつて、
上御一人の上聞に達する様に御盡力下さる事が最も肝要な事と存じます。
今となっては、上御一人に直接に御すがりするより他に道はないと思ひます。
( 既に充分に手を御つくしになつて居られる事と信じますから、くどくど敷く申上げません )
ハ、
第三に申上げることは、反問苦肉の策であるかもしれませんが、一つの方法と信じます。
それは、川島前陸相、香椎中将、(事件当時の戒厳司令官)、堀中将(事件当時の第一師団長)
山下少将(事件当時の陸軍調査部長)、村上大佐(事件当時の軍事課長)、
小藤大佐(第一聯隊長)、眞崎大将、の七氏を叛乱幇助罪で告発することです。
この告発がゆうりょくな政治家によつてなされた場合には、
寺内軍政権は非常なる動揺を生じます。
私は既に去る六月、前記の諸官及他の数氏合せて、十五名を告発して居ます。
私の告発によって、軍がどれ程窮地に立ってゐるか不明ですが、
二、三方面から、私に告発取り下げを勧告した所をみると、相当に軍はこまってゐると思ひます。
私の告発理由は同志、特に北、西田両氏を救ふにあつたのです。

多くの青年将校を、死刑にせねばならない様な羽目に落し入れたのは、
寺内は勿論ですが、筆頭に揚ぐ可き人物は、川島陸相外前記の人です。
これ等の人が軍の当局者として、
三月一日発表した所の 「 青年将校大命に抗したり 」 の 一事が、
爾後に生ずるすべての問題の解決のかぎになつてしまつたのです。
即ち、明らかに青年将校の行動を認めたる大臣告示を説得案なりと変化させ、
又 青年将校の行動を認めた上で下達した戒厳令を、
謀略命令なりと遁辞とんじを設けさせる、に至らしめたのは、
すべて川島を頭にする軍幕僚が宮内省方面と結託してなしたる所の
「 大命に抗したり 」 の 発表に因を発してゐます。
既に青年将校 大命に抗したりと云ふ発表をした以上は、
大臣告示と戒厳命令は共に、青年将校の行動を認めたるものに非ずとせねば、
軍全体が青年将校と共に國賊にならねばならぬ羽目になつてしまつたのです。
これはたまらんと気のついた軍部はアワテ、フタメイテ遁げ始めました。
川島も、荒木も、山下も香椎も堀も小藤も村上も、
アワテ切って遁げてしまつて、
つみを青年将校と改造法案と北、西田両氏になすりつけてしまつたのです。
実際、前記諸氏の証人としての証言をみますと、全くひどいですよ。
スッカリ青年将校になすりつけてゐます。
比較的硬骨な眞崎すら、弱音をはいてしまつてゐるのです。
これでは青年将校は勿論、北、西田両氏迄殺される様になると推察致しました私は、
私共の求刑前に於て川島、眞崎、香椎等の十五名を告発し、
これによつて寺内軍政権を恐喝したわけです。
寺内軍政権は、初めは眞崎等個人をにくむのに賤しいいやしい私情によつて、
勢ひ込んで眞崎を収容しましたが、
眞崎を起訴するとあまりに事の重大化するのをおそれて、今や非常に困ってゐると考へます。
眞崎を起訴すれば川島、香椎、堀、山下等の将星にルイを及ぼし、
軍そのものが國賊になるので、眞崎の起訴を遷延しておいて、
その間にスッカリ罪を北、西田になすりつけてしまつて処刑し、
軍は國賊の汚名からのがれ、一切の責をまぬかれようとしてゐるのです。
軍部の腹の底は北、西田、青年将校を先づ処刑してしまつて、
誰も文句を云ふものがなくなつた時、眞崎を不起訴にし、
川島、香椎等々の将軍 否 軍全部を國賊の汚名からのがれさせようとしてゐるのです。
この軍部の裏をかいて
「 川島、香椎、堀、山下、村上等は青年将校と同罪なり、
 大臣告示及戒厳命令に関係ある全軍事参議官も亦同様ならざるべからず 」
と 攻めたて、軍部そのものを國賊にしてしまふことが絶対に必要です。
之が為に先づ、川島等を告発しそれと同時に天下の正論に訴へてゆくと、
此処に必ずや北、西田両氏を救ふ事の出来る新生面が生ずるを信じます。
国家の爲めに軍のインチキをバク露打破して、両氏を御救ひ下さい。
一寸考へると川島、山下、香椎、眞崎等を告発によつて、
結局困って来るのは寺内等現軍首脳部です。
一度び告発問題がやかましくなったら、
必ずや寺内軍政権はたほれねばならなくなると確信します。
寺内の倒れることは、湯浅等重臣の足場がぐらつく事ともなりませう。
こくはつの方法時期その後の作戦等は考究を要しませうが、
勝勢村中を証人とし、証拠書類は大臣告示、戒厳命令、奉勅命令だけで充分です。
私は今 眞崎に対し、
川島、香椎、山下、堀、小藤、村上及び事件当時の戒厳参謀長を告発せよと云ふことを、
シキリにすすめてゐるのです。
眞崎はまだ決心がつきませんが、何とかして眞崎に決心してもらいたいと努力してゐます。
私としては北、西田両氏を助ける為には、どんな事でもしますけれども、
刑ム所内でしてゐることは一向に表面化されないで、暗かに暗に葬られてしまひます。
それで、川島等の告発問題にしましても、
どうしても外部のどなたかに重複してやつてもらはねば効果がないのです。
こんなわけですから、
小生の意中を御くみとりの上、何とかして両氏を悪魔の毒牙からうばひかへしてあげて下さい。
私はこの数ヶ月、北、西田両氏初め多くの同志の事を思って毎夜苦んでゐます。
北、西田両氏さへ助かれば、少しなりとも笑って死ねるのです。
どうぞどうぞ、たのみます、たのみます。

①  一言附記しておきます事は
眞崎を不起訴にする様に運動してゐる御連中がたくさんゐる様ですが、
私はこれに対して非常に反感をもちます。
眞崎はたしかに吾々に対して同情して、好意的に努力して呉れた人です。
ですから、眞崎個人に対して感謝もしますけれども、
吾々同志が義士か國賊かと云ふ問題を決定する為には、
眞崎が義士か国賊か、川島その他首脳部の諸官が國賊か否か、
而して眞崎と如何にも関係深かかりしかを決定せねばならぬのです。
吾々が國賊ならば、眞崎と川島とその周囲の人は國賊である筈です。
彼等が法の制裁をうけないならば、吾人も當然法の制裁を受けない筈です。
二月事件に戒厳命令を発しでもなく、大臣告示を発したるにもあらざる
北、西田両氏の如きは、
當然も當然も当然すぎる程に制裁のケン外にある筈です。
吾々青年将校は北さんの戒厳命令により、
或 西田氏の大臣告示によつて行動したのではないのですぞ。
陸軍の親玉からもらつた命令によつて動作したのに、命令を発した人は罰せられずに、
命令を受けた人が殺されたり、全く命令や告示の圏外にあつた人が死刑を求刑されるのです。
こんなトンチンカンベラボウな話はありません。
どうしても話のすぢ道を通す為には、
眞崎を起訴し、川島、香椎、堀、山下、村上等が起訴され、
勅裁経て陸軍大将の裁判長を定めて黒白を明かにせねばならんのです。
而してこれをすることは、実に寺内等を窮地に追ひ込む第一彈になるのです。
然るに眞崎の不起訴を策動する人物の如きは、同志を犬死にさせたり、
見殺しにさせたりする所の不とどき至極の奴輩です。
②  大蔵大尉以下数名の同志は、
 不起訴になることにきまつてゐて、前日夕方迄は出所の準備をしてゐたのですが、
陸軍省の幕僚が横車をおしてムリヤリに起訴してしまひました。
③  香椎、川島等五名の者は、
 予審にかけることに決定してゐて、法務官は刑務所に収容する様になるだらふと云ってゐたのに、
何時の間にやらウヤムヤにしてしまつたのです。
朝野の愛國者の方々、御願ひ申上げます。
維新の敵軍閥を倒して下さい
既成軍部は軍閥以外の何物でもありません。
寺内も杉山も川島も荒木も、その他一切の軍人は悉く軍閥の家の徒です。
どうぞ彼等を根こそぎに倒して眞の維新を實現させて下さい。
私はどこ迄もやります。

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二・二六事件 獄中手記遺書 河野司編から