磯部浅一
八月廿八日
竜袖にかくれて皎々不義を重ねて止まぬ重臣、元老、軍閥等の為に、
如何に多くの國民が泣いてゐるか
天皇陛下
此の惨タンたる國家の現状を御覧下さい、
陛下が、私共の義擧を國賊反徒の業と御考へ遊ばされてゐるらしい
ウワサを刑ム所の中で耳にして、私共は血涙をしぼりました、
眞に血涙をしぼつたのです
陛下が私共の擧を御きき遊ばして
「 日本もロシヤの様になりましたね 」
と 云ふことを側近に云はれたとのことを耳にして、
私は數日間気が狂ひました
「 日本もロシヤの様になりましたね 」
とは 将して如何なる御聖旨か俄にわかりかねますが、
何でもウワサによると、
青年将校の思想行動がロシヤ革命当時のそれであると云ふ意味らしい
とのことを ソク聞した時には、
神も仏もないものかと思ひ、神仏をうらみました
だが私も他の同志も、何時迄もメソメソと泣いてばかりはゐませんぞ、
泣いて泣き寝入りは致しません、
怒って憤然と立ちます
今の私は 怒髪天をつく の 怒にもえてゐます、
私は今、
陛下を御叱り申上げるところ迄、精神が高まりました、
だから毎日朝から晩迄、 陛下を御叱り申して居ります
天皇陛下
何と云ふ御失政でありますか、
何と云ふザマです、
皇祖皇宗に御あやまりなされませ
八月廿九日
十五同志の四十九日だ、
感無量、
同志が去って世の中が変わった、
石本が軍事課長になり、寺内はそのまま大臣、南が朝鮮総督、
嗚呼、
鈴木貫も牧ノも、西寺も、湯浅も益々威勢を振ってゐる、
たしかに吾が十五同志の死は、世の中を変化させた
悪く変化させた、
残念だ、
少しも國家の爲になれなかつたとは残念千万だ、
今にみろ、
悪人ども、何時迄もさかえさせはせぬぞ、
悪い奴がさかえて、いい人間が苦しむなんて、
そんなベラ棒な事が許しておけるか
八月卅日
一、余は極楽にゆかぬ、断然地ゴクにゆく、
地ゴクに行って牧ノ、西寺、寺内、南、鈴貫、石本等々、
後から来る悪人ばらを地ゴクでヤッツケるのだ、
ユカイ、ユカイ、
余はたしかに鬼にはなれる自信がある、
地ゴクの鬼にはなれる、
今のうちにしつかりとした性根をつくつてザン忍猛烈な鬼になるのだ、
涙も血も一滴もない悪鬼になるぞ
二、自分に都合が悪いと、正義の士を國賊にしてムリヤリに殺してしまふ、
そしてその血のかわかぬ内に、今度は自分の都合の為贈位する、
石碑を立て表忠頌徳をはじめる、
何だバカバカしい、下らぬことはやめてくれ。
俺は表忠塔となつて観光客の前にさらされることを最もはらふ、
いわんや俺等に贈位することによつて、
自分の悪業のインペイと 自分の位チを守り 地位を高める奴等の道具にされることは眞平だ
俺の思想信念行動は、銅像を立て石碑を立て贈位されることによつて正義になるのではない、
はじめから正義だ、
幾千年たつても正義だ
國賊だ、
反徒だ、
順逆をあやまつたなど
下らぬことを云ふな、
又 忠臣だ、石碑だ、贈位だなど下ることも云ふな
「 革命とは順逆不二の法門なり 」
と、コレナル哉 コレナル哉、
國賊でも忠臣でもないのだ
八月卅一日
刑ム所看守の仲にもバク府の犬がゐる
馬鹿野郎、今にみろ、目明し文吉だ
トテモワルイ看守もいる、
中にはとても国士もいる、
大臣にでもしたい様な人物もいる
註
磯部浅一は村中孝次と共に、香田大尉いか十四名が処刑される前日、突然分離されて、
さらに一年余の獄中生活を送り、昭和十二年八月十九日、最期を遂げた。
これは彼が十五同志処刑直後の十一年七月三十一日から八月三十一日までの、
獄中の万感を日記体で綴ったものである。
・・・
目次 磯部浅一 ・ 獄中日記 へ
二・二六事件 獄中手記遺書 河野司編 から