あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

獄中手記 (三) の一 ・ 北、西田両氏の思想

2017年07月15日 11時37分44秒 | 磯部淺一 ・ 獄中手記


磯部浅一 
一、北、西田両氏の思想

法務官が ( 新井法務官が七月十一日、安田優君に云ったのです )
「 北、西田は二月事件に直接の関係は無いのだが、
 軍は既定の方針に従つて両人を殺してしまふのだ 」

と 云ふことを申しました。
軍部が彼らの自我を通さんが為に、
ムリヤリに理窟をつけて 陛下の赤子を勝手に殺すのです。
出鱈目とも無茶とも云不言葉がありません。
軍の既定方針とは何でせうか。

かねてより軍部は、北、西田を軍の攪乱者と云ひふらし、
( 陸軍省より全軍に布告したることあり )
又両人の思想は民主主義であって國體に容れないと宣伝し
( 昭和八年十月頃、憲法司令部發行の思想イ報に於て全軍に宣伝したり )、
アリトアラユル手をつかって両氏をたたきつけて来ました。
然るに、改造運動に於ける両氏の思想的地位はローコとして抜くことが出来ず、
却って陸軍省アタリのインチキ改造思想を圧倒してまいりました。
青年将校は常に時代の先覚者でありますでありますから、
若くて鋭敏な頭脳と、私心がなくて、ものを正視する能力とを有する全國青年将校が、
陸軍中央部あたりの云ふ改造思想と北、西田両氏の思想信念との比較をして、
その正しきものに共鳴したのは当然の帰結であつたのです。
此くして、全軍の青年将校は國體の正しき理解のもとに、
建國精神に基く國軍の粛正と國家の維新とを實践するに至りました。
そしてその結果、青年の火の如き熱情は軍隊に於ては下士官兵の愛國心に点火し、
私心劣情の上長に向っては非違を諫争し、中央首脳部に向つては正論を持して献言する等、
なかなかに止めることの出來ぬ勢ひを呈して来たのであります。
斯の時代の潮流に押しつけられて苦しまねばならぬものは、
無能なる上長と前世紀的頭脳の上級軍人と、
徒らに洋行がへりを鼻にかける中央部幕僚とであつたのであります。
彼等は口を揃へて、軍の統制と云ふことを云ひ出したのです、( 永田鉄山君は最も努力した一人 )
所が月に新たにして 日に新たなることを求める青年等は、
彼等の云ふ逆進的統制に服することは出來ませんでした。
それで軍内は益々ガタガタビシビシして来ました。
彼等の多くはカイゼル時代のドイツ軍人の型を眞似、
それに近代的ヒットラーの思想傾向を以て、遮二無二統制をしようとしたので、
國體顯現に生命を賭する青年将校とは、どうしても一点相容れぬ所があつたわけであります。
此に於て、彼等は所謂抜本塞源を軍の方針として、
北、西田両氏をつけねらふ様になつたのです。
法務官の所謂 「 軍の既定方針に従って殺す 」 云々は、
永田時代に統制派幕僚等が作為した勝手極まる独斷的方針で、斷じて皇軍の方針でなく、
皇軍の御統率者たる 天皇陛下の御聖旨にもとづく軍の方針ではないのです。

ヒットラー流ドイツ式統制の幕僚等が、
眞の愛國者、國體精神の體現者たる両氏を 「 皇軍の方針 」 の 名の下に殺さうとしてゐるのです。
( 看守長の監視ウルサク、思う様に筆進マズ )
彼等は、改造法案は民主主義だ、國體に容れない、等々愚劣極まる評をしておりますが、
両氏の思想は断じて正しく、
歴史の進化哲学に立脚せる社会改造説、日本精神の近代的表現、
大乗仏教の政治的展開であって、
改造法案の如きは実に日本國體にピッタリと一致しております。
否 我が國體そのものを國家組織として、政經機構として表現したものが、日本改造法案であるのです。
決して、外來の社会主義思想でなく、
又 米国に露國に見る如き民主、共産思想でもないのです。
北氏は著書 「 國體論 」 に 於て
『 本書の力を用ひたる所は所謂講壇社会主義と云ひ、 國家社会主義と称せられる鵺的(ヌエテキ)思想の軀逐なり 』
と 云ひ、
『 著者の社会主義は固よりマルクスの社会主義と云ふものにあらず、
又 その民主主義は固よりルソーの民主主義と云ふものに非ず 』
と 云ひ、
先覚者的大信念を以て 「 國家、國民主義なり 」 と 斷じております。
而して國民主義については、
「 國家の部分をなす個人が、其の權威を認識さるることなく、國民主義なるものなく 」
「 權威なき個人の礎石をもつて築かれたる社会は奴隷の集合である 」
と 云ひて、
自覚せる國民、自主的国國を以て國家がつくらねばならぬと強調しています。
又 その國家主義については、
「 世界聯邦論は聯合すべき國家の倫理的独立を単位としてのことなり 」
と 云ひて、
人類進化の單位をどこ迄も國家として、徒らなる世界鞏調主義をたたきつけてゐるのです。
更に改造法案に於ては、
「 若し此の日本改造法案大綱に示されたる原理が、國家の權利を神聖化するをみて、
マルクスの階級闘争説を奉じて對抗し、或は個人の財産権を神聖化するを見て、
クロポトキンの相互扶助説を戴きて誹議せんと試むる者あるならば、
それは明らかにマルクスとクロポトキンの方が著者よりも馬鹿だから、てんで問題にならないぞ 」
と 云って、
欧米思想の中軸たり近代改造思想の根拠たる二つのものに対し
烈々たる愛國的情熱を以て國家の權利の神聖を叫んでおります。
又曰く
「 國内に於ける無産階級の闘争を容認しつつ、
独り國際的無産者の戦争を侵略主義なり軍國主義なりと考ふる欧米社会主義者は、根本思想の自己矛盾なり 」
「 國際間に於ける無産者たる日本は、彼等(英露)の独占より奪取する開戦の権利なきや 」
等飽く迄 直訳社会主義、民主主義、共産主義等の非日本的なるものと戦ひ、
日本精神の新たなる発揚、日本国体の真姿を顕現せんとしてゐるのです。
北氏が改造法案の結論に於て、
「 國境を撤去したる世界の平和を考ふる各種の主義は、全世界に与へられたる現実の理想ではない。
現実の理想は何れの國家が世界の大小國家の上に君臨するかと云ふにある。
日本は直訳社会主義、民主主義、共産主義などの愚論にまよってゐてはならぬ 」
と 云ひ、
神の如き権威を以て
「 日本民族は主権の原始的意義、統治権の上の最高の統治権が國際的に復活して、
各國家を統治する最高國家の出現を覚悟すべし 」
と 云って居る所は、
正に我建國の理想たる八紘一宇の大精神を、現日本に実現せんとする高い愛國心のあらわれであるのです。

以上述べました通りに、
北氏の思想は決して所謂民主々義思想ではないのです。
然るに思想的に無智無能なる幕僚、法ム官などは、民主と云ふ字が改造法案にあるから民主主義だと云ひ、
北、西田の思想に影響されてゐるから、
青年将校は民主革命を強行せんとしたの
だと 云ひ張って どうしても私共の真精神を受け付け様としないのです。
ですから、青年将校に対する求刑論告文は 北、西田等の思想によつて民主革命を強行せんとし云々、となつてゐるのです。
私共は此の論告をきいて痛憤し、悲涙をしぼりました。
公判廷に於て弁論の僅かなる機会をあたらへられた時、
同志一同は民主革命を強行せんとしたのではない、と言ふ陳述の為に必死になりました。
眞に必死に訴へ、願ひ、しました。( 閣下どうか御察し下さい )

ロンドン条約以来、統帥権の干犯されること二度に及んでゐるので、
たまりかねて、大義の為、股肱としての絶對道を進んだ純粋な青年将校の行動を、
民主革命強行の六字で片付けられた時の悲憤は、ほんとうに言葉にあらはせません。
此の時から、既に陸軍は、軍部の責任たる青年将校の蹶起を北、西田両氏の罪也として、
両氏に一切の罪、責任等をなすりつけて死刑にする方針をたててゐたのです。
私共の必死の弁駁(ベンバク)によつて、
渋々民主革命強行の字句を取り除きました所の判決文に於ては矢張り、
北、西田氏を殺す為に、
「 絶対に我が國體に容れざる思想 」
と 云ふ文句を頑として入れてゐるのです。
そして彼等は、改造法案の私有財産限度は、
段々限度を低下すると共産主義になるから國體に容れないと云ひ、
皇室財産を没収すると書いてあるから國體に容れぬと云ひ、
天皇が國體の總代表と書いてあるから國體に容れぬと云ひ、ことごとく故意に曲解し、
無理に理窟つけ、甚だしきは嘘八百を云って判決をしてしまつたのです。

私有財産については、北氏は
「 私有財産をむるは、一切のそれを許さざらんことを終局の目的とする諸種の社会革命説と、
社会及人生の理解を根本より異にするを以て也 」
と 言ひ、
「 私有財産を尊重せざる社会主義は、如何なる議論を長論大著に構成するにせよ、
要するに原始的共産時代の回顧のみ 」
と 言ひ、
「 私有財産を確認するが故に、尠しも(スコシモ)平等的共産主義に傾向せず 」
と 云ひ
「 此の日本改造法案を一貫する原理は、國民の財産所有權を否定する者に非ずして、
全國民に其の所有権を保障し享楽せしめんとするにあり 」
等、至る所に、重ね重ねて、私有財産を確認せねばいけないと云ふことを云っております。
又、その限度については、
「 最小限度の生活基準に立脚せる諸多の社会改造説に対して、
最高限度り活動権域を規定したる根本精神を了解すべし 」
と云って、限度を低下さしてはいけない。
此の限度は國富と共に向上させる可き性質のものであることを明言して居ります。
法務官等の云ふ、限度を低下すると共産主義になる等は、
出鱈目も甚だしい悪意の作り事であります。
皇室財産については没収等云ふ字句は断じてないのです。
下附と明記して居ります。

「 天皇は國民の總代表たり 」
と 云ふことが國體に容れない、と云ふ我帝國陸軍の法務官及び幕僚は、
國民の總代表が何人あつたら國体に容れると云ふのでせうか。
徳川家康がいいのか、源頼朝がいいのでせうか、或は米國の如き投票当選者がいいのでせうか。
北氏は、大日本國民の總代表は天壌無窮に絶對に天皇であらせられるのに、
中世に於ては頼朝、尊氏の徒が、近世に於ては徳川一門が國家を代表して居た。
此の如きは我が國體に容れざる許すべからざる事である。
明治維新以後の日本に於ては、中世の如き失態を繰返してはならぬ。
又、近年欧米の社会革命論を鵜呑みにした連中が、無政府主義をとなへ、
天皇制の否認をなしなどして居るが、そんな馬鹿気た事に取り合ってはならぬ、
と いましめてゐます。
「 國民の總代表が投票当選者たる制度の國家が、或特異なる一人たる制度の國(日本の如き)
より優越なりと考ふるデモクラシイは、全く科学的根拠なし。
国家は各々其國民精神と建國歴史を異にす 」
と云って、法案著述当時の滔々たるデモクラシイ思想に痛棒を喰はしています。
又、「 米國の投票神權説は、当時の帝王神權説を反對方面より表現したる低能哲学なり、
日本は斯る建國にも非ず、又斯る低能哲学に支配されたる時代もなし 」
と云って、投票当選による元首制を一笑に付してゐるのです。
恐らく法ム官は、總代表即投票と考へたのでせうが、然りとせば、軽卒無脳(能)のそしりをまぬかれません。
又、國体に進化があるなどと云ふことはけしからんと云ふのが彼等の云ひ分ですが、
これはあまりに馬鹿気たことで、殆んど議論にもなりませんから、説明をやめておきます。

要するに、北氏の思想は、決して所謂社会主義でも民主主義の思想でもありません。
髙い國家主義、國民主義の思想であります。
而して天皇 皇室に對し奉つては熱烈な信仰をもつております。
実に日本改造法案全巻を貫通する思想は、皇室中心尊皇絶対の思想で、これは著者の大信念であるのです。
北氏が法案の諸言に於て、
「 天皇大權の發動を奏請し、天皇を奉じて國家改造の根基を完うせざるべからず 」
と云ひ、又、巻頭第一頁に於て、
「 天皇は・・・・天皇大權の發動により三年間憲法を停止し、両院を解散し全國に戒嚴令を布く 」
と云って居るのは、
日本の改造は外國のそれと根本的にちがひ、
常に天皇の大号令によつてなされるべきであることを明確にし、
諸種の改造論者と雑多な革命論に対して、一大宣告をしてゐるのです。

國家改造議会の條に於て、
「 國家改造議会は天皇の宣布したる國家改造の根本方針を討論することを得ず 」
と云ってゐるのも、巻八の末尾に於て
「 天皇に指揮せられたる全日本國民の運動によつて改造をせねばならぬ 」
と云ってゐるのも、凡て北氏の信念であります。
氏の日常 「 自分は祈りによつて國家を救ふのだ 」 「 日本は神國である 」
「 天皇の御稜威に刃向ふものは亡ぶ 」 等等の言々句々は、
すべて天皇に対する神格的信仰のあらわれであります。

昭和六年十月事件以来の軍部幕僚の一團の如き
「 軍が戒嚴令を布いて改造するのだ 」
「 改造は中央部で計畫実施するから青年将校は引込んでおれ 」
「 陛下が許されねば短刀をつきつけてでも云ふことをきかせるのだ 」
等の言辞を平然として吐く下劣不逞なる軍中央部の改造軍人と、北氏の思想とを比較してみたら、
何れが國體に容れるか、何れが非か是か、容易に理解出来ることです。

軍が二月事件の公判を、暗闇の中に葬らふとしてゐるのは、
北氏の正しき思想信念と青年将校の熱烈な愛國心とによって、
従来軍中央部で吐きつづけた不逞極まる各種の放言と、
國體に容れざる彼等の改造論を たたきつぶされるのがおそろしいのが有力な理由であります。
重ねて申します。
北、西田両氏の思想は断じて正しいものであります。

次頁
獄中手記 (三) の二 ・ 北、西田両氏の功績  に続く